森へ帰る (1998) -部分- 木版9版11度摺 
森へ帰る (1998) -部分- 木版9版11度摺 

画廊通信 Vol.149              森の中へ

 

 

「風鈴丸」という名前を聞くと、私は「森」を想い浮べる。これはもう、条件反射のようなものだ。夜の森である。見上げる樹影の遥かには無数の星々をいだく銀河が横たわり、その河辺では巨大に膨らんだ満月が妖しい光を放っている。ちょうど四半世紀ほども前になるだろうか、版画専門誌に紹介されていた作品を初めて目にした時も、今となってはさてどの作品が載っていたかは定かではないけれど、やはり月夜の森を私はイメージした。一見してそのみずみずしい感性に打たれて、作家名を見

たら「風鈴丸」とある。今でこそ「風鈴丸」と言えばユ

ニークな版画家として知られているが、当時はまだ新人

の作家だった訳で、はて男なのか女なのか、たぶん若い

だろうけども幾つ位の作家なのか、そもそもいったい何

者なのか、その名前では皆目分らない。幼少の頃に見た

「少年忍者・風のフジ丸」というテレビ漫画の記憶があ

るせいか、何となく妖しげな忍者を彷彿とさせる。その

詩情に溢れた繊細な作風から、おそらく女性だろうとは

推測出来たが、そこから先は何の情報も無かったため、

気が付けばいつしか脳裏で「森」のイメージと「忍者」

のイメージが合体していた。つまり有り体に言えば、し

ばらくの間私の頭の中では、得体の知れない女忍者が、

月夜の森の中をもの凄い速度で、枝から枝へと飛び回っ

ていた訳である。それから数年後、私は風鈴丸さんに初

めてお会いする運びとなったのだが、あと2~30年生

きられたとして、死ぬ間際に人生の「サプライズ・ベス

トテン」を聞かれたとしたら、その中に必ず入れる事を

今この場で約束したくなるほど、それは驚愕の出会いで

あった。その時の事は、以前にもこの画廊通信に書かせ

て頂いたので逐一は繰り返さないが、要は牧野宗則さん

のアトリエに初めてお伺いした際に、娘さんがたまたま

そこに同席されていたのである。お茶を出してくれたり

アトリエの中を案内してくれたりと、にこやかな応対で

かいがいしくもてなしてくれる、とても感じの良い娘さ

んだった。だから牧野さんから「風鈴丸です」と紹介さ

れた時には「ええ~っ?!」と我が耳を疑った。心底驚

いたのである。何しろ「牧野宗則」という木版画の大家

と「風鈴丸」という妖しい新進作家が、それまで全く結

び付く事がなかったし、夜の幻想に生きるようなあの正

体不明の作家と、目の前で明るく微笑む理知的なお嬢さ

んが、にわかには符合しなかったからでもある。ただそ

う言われてみれば、確かに強い光を湛えたその印象的な

瞳が、あの不思議な幻影のめくるめく世界を、そこはか

となく映し出すようにも思われたけれど。かくして私の

中で、謎めいた女忍者は忽然と姿を消したのだったが、

前述した森のイメージだけは、いつまでも残り続けた。

 

「森」という言葉の奥には、常にある風景が広がってい

る。遥かな昔、中学生の時に見た山間の夜景である。今

も健在と聞いたが、群馬県辺境の山奥に「高原千葉村」

というキャンプ地が在って、私の居た中学では2年生の

秋期に「体験キャンプ」とでも言うのだろうか、そこへ

学年全体で宿泊する慣行になっていた。現在は近代的な

ロッジが建てられているらしいが、当時は森を切り拓い

た空地に、小さな三角のバンガローをやたらと並べただ

けの貧しい施設で、しかしだからこそ、日常とは隔絶さ

れた自然のふところとでも言うべき環境を、ダイレクト

に肌で感じる事が出来たのだと思う。先日、積み上がっ

た書籍で訳が分らなくなりつつある書架をひっくり返し

ていたら、その時分の埃だらけになったファイルが出て

来た。開けてみると、今よりも数倍劣悪な文字で書かれ

た千葉村の体験記が入っている。これは確か、国語の時

間に書かされたものだ。今回はそれを、新たに回想の形

で書き直そうと思ったのだが、こうしてせっかく記録が

残っているのだから、当時の事は当時の少年に語らせた

方が率直であろうと思い直し、私事で大変に申し訳ない

のだけれど、しばし稚拙な文章にお付き合い願えたらと

思う。そんな訳で以下、40数年前の私の作文である。

 

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   千葉村の夜 ──きもだめしと夜の風情

              2年C組 山口雄一郎

 

 まるで、プラネタリウムを見ているようだ。無数の星

が天上にちらばり、実に幻想的な神秘的なふんいきだ。

千葉にきて何年にもなるが、ぼくはこんな夜を味わった

ことがない。実にきれいである。実に神秘である……。

 

 ──さあ、出発だ──ぼくと田村はきもだめしのコー

スを歩き始めた。ぼくは一人で行きたかったのに、田村

がいっしょに行こうといってきかないのである。きっと

田村君は、一人で行くのがこわいのにちがいない。向こ

うには、バンガローの明りがちらほら見える。まるで、

おとぎの国のようなふんいきだ。林の中は暗くひっそり

として、今にもゆうれいが出てきそうに見える。しかし

ぼくたちは、何ごともおこらずに監視センターの所まで

きた。今度は、キャンプファイヤーをした広場とその前

にある広場を、ぐるっと回って行くのである。第一の広

場は何ごともなく通りすぎた。しかし、キャンプファイ

ヤーをした広場を見た瞬間、ぼくの背中には冷たいもの

が流れた。広場のどまん中に、青白い小さな物体が見え

たのである。──おい田村、何だあれは──とぼくが言

うと、田村もわからんというような顔をしている。そこ

で二人で相談して、とにかくそれが何か、つきとめてみ

ようということになった。ぼくと田村は、ソロリソロリ

と歩き始めた。一瞬、強い風がサアッと横切る。殺気!

……とまではいかないが、背すじがゾクゾクッとする。

そしてとうとう青白い物体のそばにきて、それをじっく

りと見てみたところ、ぼくはいささかひょうしがぬけて

しまった。それはただのローソクだったのである。その

炎が風になびいて、青白くチラチラと見えていたのであ

る。しかし、いったいだれがこんなことを……。その時

アキカンがそばの草むらから、カランコロンととびだし

てきた。急いで懐中電燈をあててみたら、今度はおかし

くなってしまった。なんと、中沢君がぼくたちをおどか

そうとカンカラをなげたのである。これで真そうははっ

きりした。広場にローソクをたてたのは、中沢君だった

のである。ぼくと田村は全然こわくなくなってしまった

が、それでもいちおう広場を一周してみた。どす黒くせ

まる山々、冷たい風、奇妙な姿をみせる木々、風になび

く草、満天の星、そして向こうは闇また闇、ぼくはその

神秘な風景にうっとりしてしまった。ああ、なんという

幻想怪奇な風情だろう。──広場を一周してそばの草む

らに光をあててみたら、小林先生がいた。全然こわくな

い。ぼくと田村はアハハと笑ってしまった。このまま帰

るのもつまらないので、ぼくと田村は人をおどかすこと

にした。ぼくはそばの草むらに身をひそめた。その時ぼ

くは、何か闇の中に一人残されてしまったような不思議

な孤独感を感じた。何しろ回りは闇また闇で、そばでは

気味の悪い草が風にサアッとなびいているのである。そ

のうち青白くすきとおった手が草むらの中からニューッ

とのびてきて、バンドをつかまえられて、ひきずりこま

れそうな気もする。やがて人がきた。しかしなんのこと

はない、みつかってしまったのだ。実さい、ぼくは運が

悪いのである。考えてみれば、ぼくは白い服を着ていた

ので、すぐにみつかってしまったのにちがいない。あと

はだれも来ないので、ぼくたちは帰ることにした。帰る

途中、広場のどまん中に中台君が一人ですわって、空を

みあげているのがみえた。何か中台君がえらく思えた。

 

 まるで、プラネタリウムを見ているようだ。空をみて

いると、無数の星とともにすいこまれてしまいそうに感

じる。実に神秘だ、実に幻想的だ。そして、何もかもが

冷たくすきとおっている。バンガローに帰るぼくたちの

じゃりを踏む音までが、冷たくすきとおるように思えて

くる。その神秘を、その幻想を、その冷たさを、その透

明を、ただ静けさだけが何ともいえない詩的なふんいき

で、はっきりととりまいている。美しい、実に美しい。

 

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 今こうして読み返してみると、プロローグとエピロー

グを前後に置いたりして、ひとかどの構成を文章に施し

ているような所が少々あざとくて鼻に付くが、まあ、そ

れは子供特有の背伸びという事でご容赦頂くとして、未

熟な作文を長々と掲載させて頂いたのは、ただ一点この

「空気感」だけは、当時の私の生の感慨の方が、偽りな

く伝えられるだろうと思えたからである。先述の風鈴丸

さんにまつわる「森」のイメージとは、私にとっては正

にこの時の感覚に他ならない。もっともこれは私に限っ

た事ではなく、きっと誰もがこんな心象を、記憶の深く

に秘めているのではないだろうか。妖しくときめくよう

な澄み渡る夜を、その時空を支配する透き通るような幻

想を、仰ぎ見れば全てを包み込む天上の神秘を、そんな

風情が大気一杯に充満した黒々と横たわる森を、かつて

少年や少女だったあらゆる大人達が胸奥に持ちながら、

慌ただしく流れ去る卑近な日常の中に、いつしかそれを

忘れ去っている。いや、忘れた事にさえ気が付かない。

 風鈴丸さんがどんな幼少を過ごし、どんな子供時代を

生きて、どんな思春期を乗り越え、その後どんな青春を

歩まれたのか、そしてその間、何を見て、何を聞いて、

何を感じ、何を経験したのか、もちろんその一切を私は

知らない。知らないけれど、でも心の中の森はきっと誰

よりも広く、誰よりも深く、誰よりも澄んで、誰よりも

謎めいている、それだけは知っている、作品を見れば自

ずと分る事だ。だからその世界に触れると、私達は忘れ

ていた森を思い出す。そして、そのより深くへといざな

われる。1998年の作品に、文字通り「森へ帰る」と

いう秀作が有るけれど、風鈴丸という不思議な感性に導

かれて、私達は自らの森の奥へと歩み始めるのである。

 

 風鈴丸さんの個展は、約4年ぶりとなる。ご存じのよ

うに、年頭は牧野宗則さんにお願いしたので、今回は親

娘立て続けの企画である。どうせ連続してやらせて頂く

のなら、両者共に画業の根幹である「木版画」だけに的

を絞り、それによって両者の比類なき独創性を存分に比

較・ご堪能頂ければと考え、元々風鈴丸さんは木版画を

メインに置きながらも、ガラス絵・油彩画・インク画・

オブジェ等々幅広い表現に挑戦する方なのだが、今回だ

けはそんな訳で勝手ながら、版画作品だけの出品とさせ

て頂いた。顧みれば、風鈴丸さんには過去6回の個展を

お願いして来たが、木版画だけのストレートな展示は今

回が初めてかも知れない。4年近くも空いてしまったと

いう事は、今回初めてご覧頂くお客様もいらっしゃるだ

ろうから、いっそのこと版画制作の全貌をご覧頂けるよ

うな展示が出来たらという思いで、初期作品から近作ま

でを一堂に網羅した、名作展のようなラインアップをお

願いしている。きっとこの半月ほどは、心ときめくよう

な「森」が皆様をお迎えするだろう。だから是非会いに

来て欲しい、忘れていたいつかのあの少年や少女達に。

 

 

                    (16.01.14)