画廊通信 Vol.117 白昼のシュルレアル
今、歴史を振り返ってみると、20世紀前半の第一次
大戦を挟んだ前後は、あらゆる芸術分野において、極め
て大きな変革期であった事が分る。文学にしても、音楽
にしても、もちろん美術にしても、現代の潮流の原点を
さかのぼれば、全てこの時代が源流となっている。特に
大戦前夜は、既成の芸術を打ち破ろうとする胎動が一気
に吹き出た、激動と変革の時代だった。
まず文学においては、ロートレアモン、ステファヌ・
マラルメといった、19世紀後半の先駆的な詩人の亡き
後、1915年にフランツ・カフカの「変身」が刊行さ
れ、翌16年にはジェイムズ・ジョイスが「若き芸術家
の肖像」を上梓している。文学の革命は、この二人で充
分だろう。
音楽の分野では、20世紀に入って伝統的な調性音楽
の破壊が急速に進んで、1912年にはシェーンベルク
が「月に憑かれたピエロ」を発表、それまでのクラシッ
クとは似ても似つかぬ、大胆な表現へと到っている。極
めつけは、ストラヴィンスキーのバレエ曲「春の祭典」
だろう。今では古典となってしまっているこの大曲も、
初演の当時は前代未聞のスキャンダルを巻き起こして、
けが人が続出する大騒動になったと言う。今やこの事件
は、新しい時代の幕開けを象徴する伝説と化して、音楽
史をひと際鮮やかに彩っているけれど。
さて、そのバレエを上演した立役者が、「バレエ・リ
ュス(ロシア・バレエ団)」を率いて当時のヨーロッパ
を席巻した、セルゲイ・ディアギレフである。天才バレ
リーナと謳われたニジンスキーを擁し、次々と革新的な
舞台を世に問うて、華々しい活動を展開したこの興行師
が、20世紀初頭の芸術界に及ぼした影響は、正に計り
知れないものがあると思う。影響と言うよりも、むしろ
あらゆる芸術分野を巻き込んで、「バレエ・リュス」を
中心に回っていた時代があったと言っても、過言ではな
いのではないか。
ちなみに、1917年に上演された「パラード」を見
てみると、作曲はエリック・サティ、台本はジャン・コ
クトー、舞台・衣装はパブロ・ピカソといった超豪華メ
ンバーで、加えてあのココ・シャネルも積極的に後援し
ていたという話だから、まさしく当時をときめく芸術家
のオンパレードといった感がある。実は、このバレエ団
に属していたロシア出身の美女が、後日ピカソの妻とな
ったオルガだった。その貴族的な哀愁を秘めた美しさに、
たちまち心を奪われてしまったピカソは、彼女を追って
バレエ団と行動を共にしたあげく、遂に念願の結婚へと
到っている。この後、ご存じのように次から次へ、よく
もまあここまでと呆れるほどに、ピカソは多彩な恋愛遍
歴を重ねる事になるのだが、さしもの恋多き天才芸術家
も、このオルガにだけは頭が上がらなかったようで、彼
女自身が亡くなるまでの40年近くにわたって、離婚は
してもらえなかった模様である。
閑話休題、オルガと出会う10年ほど前に、ピカソは
あの「アヴィニョンの娘たち」を制作して新たな時代を
拓いているが、盟友のブラックと共にその画風を更に発
展させて、後にキュビスムと呼ばれる事になった画期的
な手法を創出している。時にして1910年前後、それ
から2年ほどを経た頃から、キュビスムを追求する過程
において、二人はパピエ・コレという技法を創始する。
新聞や雑誌等の印刷物を始め、様々な紙片・木片等を画
面に貼り込む方法で、元来幾何学的なフォルムを好むキ
ュビスムという方法論を推し進める内に、必然的に派生
した手法であった。その理論的推察は研究家諸氏にお任
せするとして、要するに、幾何学的フォルムなら文字や
記号だってそうじゃないか、ならば絵の中に取り入れよ
うという事になり、最初はおとなしくアルファベットや
音符等を、印刷物からこまめに筆で描き写していたのが、
その内にだんだんおっくうになって来たのだろう、その
もともとの印刷物を使えば早いという事に気が付いて、
仕舞いには、ええい面倒くせえ、そのまま貼っちまえと
いう成り行きになったのが、事の真相かと思われる。
現在、一般的に「コラージュ」と呼ばれている技法は、
厳密にはこのパピエ・コレを指す場合が多く、それを発
展させて全く新しい方法論を打ち立てた、本来の意義を
持つコラージュの登場は、1914年から18年にわた
って欧州を戦乱の巷と化した、第一次世界大戦の終結を
経て、更には戦後の芸術に多大な影響をもたらした、シ
ュルレアリスムの洗礼を待たなければならない。
チューリッヒ──大戦の争乱をまぬがれたこの地に、
当時様々な国から亡命して来た知識人や芸術家が集い、
新たな革命の息吹がいやが上にも高まっていた。ちなみ
に彼らの活動拠点だったキャバレー・ヴォルテールは、
美術史に今も燦然と名を残している。
1918年、活動のリーダー的存在であったトリスタ
ン・ツァラが「ダダイズム宣言」を発表、既成の芸術を
否定して旧態を破壊し、過激な挑発と煽動を旨とするこ
の運動は、瞬く間に世界中を巻き込んで、大きなムーブ
メントへと発展して行った。その理論的解説は研究家諸
氏にお任せするとして、要は「何でも壊しちゃうんだも
んね、何をやってもいいんだもんね」という、一種捨て
鉢ぎみの反抗運動である。
大戦が終結した翌年、ツァラはアンドレ・ブルトンの
招聘でパリへと拠点を移し、新たな活動を展開する事に
なるが、このパリのリーダーであったブルトンがやがて
ツァラと袂(たもと)を分かち、独自の新思想を高らか
に謳い上げて上梓した書物が、現代芸術の聖典として名
高いあの「シュルレアリスム宣言」である。時にして
1924年、日本では「超現実主義」と訳され、個人の
明確な意識よりは、無意識や夢を重視したこのかつてな
い思想は、ダダイズムの激しい闘争が行き着いた、一つ
の帰着点だったとも言えるだろう。
さて、それから5年後の1929年、ブルトンが熱烈
な緒言を寄せてわずか1000部だけ限定出版された、
奇妙奇天烈な絵本があった。後に澁澤龍彦をして「正に
二十世紀の奇書、現代の最もオリジナルな暗黒小説」と
言わしめた「百頭女」である。言うまでもなくこの本に
は、いわゆる「描かれた」箇所は一つも無い。全て古い
挿絵本や博物図鑑・商品カタログ等から切り取った図版
を、勝手に貼り合せたものだ。作者は、当時気鋭のシュ
ルレアリストとして名を馳せていたマックス・エルンス
ト、彼はこの画集とも小説ともつかない面妖な書物に、
「コラージュ・ロマン」という副題を付けている。長ら
くお待たせ致しました、「コラージュ」の登場である。
コラージュの本質は、さまざまな事物や情報の要素に
従事する属性たちの呪縛を解放して、理性や知識が所属
するアドレスに切実な変更を迫ることにある──これは
松岡正剛によるコラージュの定義だが、少々難解の面持
ちがあるので、百聞は一見に如かず、右に「百頭女」の
一頁を掲載した(ここでは省略)。激しいイメージの混
乱が顕著なこの書にあって、この図版は比較的静かな部
類に属するが、エルンストの提唱したコラージュの方法
論を、典型的に示した一例だと思う。建築現場とおぼし
き建物の内部、右下には馬の前半身、宙に浮いたギリシ
ャ彫刻風の女性像、彼女に目潰しをされている石像、空
中ブランコをしているような若き裸身、中央には半開き
の巨大な眼球、それらの互いに無関係な要素が自由に組
み合わされて、摩訶不思議なイメージをかもし出す画面、
ここでは各々のモチーフに備わる意味が綺麗に取り払わ
れて、全く別次元の小宇宙が現出している。
上記の定義は、正にこの事を意味していると思われる
が、この「無関係な要素を自由に構成して、新たなイメ
ージを作り出す事」こそ、ピカソやブラックのパピエ・
コレを端緒として、エルンストがコラージュへと進化・
発展させた狙いであった。そしてこの手法は、既知の意
味や理念を超えて、意識外の世界を希求するシュルレア
リスムの具現に当って、正に打って付けの方法だったと
言える。
「そして何よりも、彼は美しい!ミシンとコウモリ傘が
解剖台の上で、思いも寄らず出会ったかのように」、こ
れはシュルレアリスムの精神を語る言葉として、よく引
き合いに出される詩句である。冒頭に記した先駆の詩人
ロートレアモンによる、「マルドロールの歌」からの一
節だが、後世にアンドレ・ブルトンを始めとしたシュル
レアリスト達が、再評価して絶讃を寄せただけあって、
シュルレアリスム宣言から半世紀以上をさかのぼった、
19世紀半ばに書かれたとは思えないような、斬新な息
吹に満ち溢れた言葉だ。ミシンと雨傘と解剖台、この全
く無関係な要素をぶつけ合う表現手法は、まさしく言葉
によるコラージュと言えるだろうし、そこから鮮やかに
湧き上がる一種みずみずしいイメージこそ、シュルレア
リスムの目指した新たなる宇宙であった。
パピエ・コレの登場から100年、シュルレアリスム
宣言から約90年、コラージュの創始からは80余年、
それが現代のシュルレアリスト・河内良介の、時間的な
およその位置である。20世紀という変動の時代を舞台
に、シュルレアリスムはやがて抽象表現主義へと受け継
がれ、他にも様々な動向や潮流へと派生しながら、現代
の美術界でも未だその脈動は、止む事がない。河内良介
という画家は、その最も正統な末裔でありながら、同時
に最も離れた地点へ到った作家とも言えるだろう。
河内さんの手法はコラージュである。一見その細密的
に描き込まれた画面は、コラージュというイメージから
はほど遠いものに感じられるが、エルンストの提唱した
本来的な意味でのコラージュの精神が、ここにはいきい
きと脈打っている。ちなみに上述の「ミシンと雨傘と解
剖台」を、例えば「紳士と蓄音機と蓮の実」に換えてみ
ると良い、それだけでそこには、紛れもない河内さんの
世界が立ち現れる。即ちそこにある表現形態は、正に
「無関係な要素を自由に構成して、新たなイメージを作
り出す」という、正統派コラージュの方法論に他ならな
い。ただ、エルンストならどこかの雑誌から切り取って、
貼り合せればそれで完成とするものを、河内さんは10
Bから8Hにわたる二十種にも及ぶ鉛筆を使い分けなが
ら、気の遠くなるような細密画法で、丹念に描き込んで
往く。結果出来上った作品は、通常のコラージュ作品と
は似ても似つかぬ、ある種静謐な気品を湛えたものとな
り、かつてのシュルレアリスト達が作り出したようなイ
メージの混乱は、最早そこには見られない。むしろそこ
には、コラージュという手法を突き詰めた末の、純化さ
れた一つの到達点とでも言うべき境地が、透明な静けさ
の中に確固として提示されている。それは言うなれば、
現代に新しく展開された、最も良質なシュルレアリスム
の姿と言っても、決して過言ではないだろう。
先述した「百頭女」を典型として、当初のシュルレア
リスムには夜や闇のイメージが色濃い。これはシュルレ
アリスムという思想自体、同時代のフロイトによる無意
識という概念に、密接な関係を持つが故と思われるが、
対して河内さんの世界の大方は、白昼の光の下(もと)
に展開する。よってそこでは、暗く閉ざされた夜のイメ
ージは一掃され、如何なる摩訶不思議な物語も、明るく
突き抜けた遊び心を伴う。快く解き放たれた不条理が、
軽やかにしなやかに舞う世界──そう、現代を拓く先鋭
のシュルレアリストは、白昼に神秘を見るのである。
(13.06.16)