PRESENT

ならぶ (2018)         油彩 / 8P
ならぶ (2018)         油彩 / 8P

195th  Exhibition

── 晩霞(ばんか)に歌う花の如く ──

栗原一郎展

2018年 09月08日 (土) 〜 09月24日 (月)

 

咲き香る野の花、もの想う裸女、黄昏にともる灯、憂愁に煙る運河、有りと有る哀歓を爛漫と湛え、命の歌を奏でる自在の筆。福生に生まれ、基地の街を生きて、ただひたすらに画布と向き合い、今生の限りは描き続ける。画家・栗原一郎、いよいよ奔放に、いよいよ斬新に、比

類なき哀歌と讃歌が響く、そのみずみずしい「今」を。 

番い (2018)          油彩 / 6F
番い (2018)          油彩 / 6F

栗原 一郎  Kurihara Ichiro  (1939〜)

 

栗原一郎の芸術は、現代絵画の流れに浮かんだ孤舟のように、いかなる流派にも収まり切ることがない。

栗原は絵具で絵を描いているのではなく、人格のようなもので描いている。人格といっても、道徳とか高踏だというのではない。栗原一郎という画家の持っている人間性そのものが、じかに表現となっているのである。

男どもはしょぼくれて、アメリカ人と若い女性だけは溌剌としていたあの時代……。栗原は、いかにも真実に、いかにも直截に、折れ釘のような線と消しつぶした色で

あの遠き日から生きて来た一人の人間の寂しさ、その寂

しさの内に潜んでいる画家の想いを、まるで記憶を耕す

ように冷えた両手に息を吹きかけて暖め、よみがえらせ

るように描いている。

栗原の仕事には、インテリをたばかるような、物欲しげ

な切なさの押し付けや押し売りがない。色調のたっぷり

さ、思わせぶりな線で表される作品より、切なく深いの

である。野生といってもよい自らの無垢な感覚を、主知

や認識に売り渡してないところに、栗原の素晴らしい表

現があると思う。栗原一郎は、美よりも真が、感情的な

表現より知的な表出の方が、先に立って来たきらいのあ

る現代の絵画で、そういう世界とは無縁なところで描い

て来た、数少ない本当の画家なのである。

真の自然は、闇を持っている。闇を持つ自然こそが、栗

原の呼応した真の風景だった。それは、美しい色彩をち

りばめ粉飾することが、画家の天職と勘違いしてやって

来た画家達には、到底表出し得ない世界だろう。無垢な

直覚を大事にして、若々しい野生の感覚を磨いて来た栗

原にして、初めて表出し得る美なのである。明るく青空

に舞い上がるよりも、地下水のように魂の底を深く沈み

流れて来た画魂。消しゴムで闇を、思い出を、耕すよう

に描き出す命の色の神話が、そこには宿っている。

 

                 米倉 守 (美術評論家)