ATRIBUTE        440x455cm
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画廊通信 Vol.214           真夜中のCQ

 

 

「姿なき翼」「アストラルの食卓」「黄泉への誓(うけひ)」「夜と息」「蒼い蛹」「紫の安息──アステロイド・アタラクシア」「星のいる室内」「夜光結晶」「惑星の記憶」「セファイドの水」「プロキシマ;見えない婚礼」「水晶の塔をさがして」「ひかりさえ眠る夜に」「薄荷の学説」「夢記(ゆめのしるし)」「銀色のことば」「流星飲料」「妖精の場所」「透明電気集」「イプシロン」……これらの詩的な言葉は、今までに開催され

た「小林健二展」のタイトルを、随意抜き出してみたも

のだが、こうして並べてみただけで、そこには何処か謎

めいた不可思議な浪漫が、蒼く透明な極光のように浮か

び上がる。小林さんの表現は、周知のように驚くほど多

岐に亘るが、それが平面であれ立体であれ、或いは電気

仕掛けのオブジェや装置であれ、そこには一貫して顕著

な或る共通点が見られる。答えがない──と云う事、む

しろ見る者に問いかけ、尽きない謎を呈示する事、それ

はきっと単なる共通性を超えて、小林健二と云う作家の

根幹を成す、揺るぐ事のないスタンスなのだ。ただ、そ

れが如何に謎めいた詩的な表現であっても、小林さんの

制作に向かう態度の底には、常に科学への信頼がある。

「不可思議な浪漫」「尽きない謎」等と言うと、世に言

う超常現象の類いや、ある種のスピリチュアリズムに近

接するような印象もあるが、小林さん自身にそのような

指向は、全くないだろうと思う。事実、私の知る限り、

小林さんほど「科学的な」作家は居ないし、言うまでも

ない事だが、限りない魅惑を孕んだあの不思議な器械類

も、高度な科学技術を抜きに製作は不可能である事を考

えると、そこに曖昧な伝奇浪漫の介入する余地はない。

 おそらく小林さんの言う「不思議」とは、科学で解明

出来ない事を意味するのではない、たとえ科学による解

明が成されたとしてもなお、世界がこのように「在る」

と云う事、正にそれこそが、小林さんにとっての不思議

なのだろうと思う。ヴィトゲンシュタインは述べている

──世界が如何に在るかが神秘なのではない、世界が

るというその事実が神秘なのだ、と。これはそのまま、

小林さんの姿勢を表した言葉と言えるだろう。小林さん

の世界に触れる事によって、私達は忘れていた大切な事

を思い出すのである。即ち、見慣れてしまったこのあり

ふれた日常が、実は如何に多くの不思議に満ちた世界で

あったかを。そしてほんの少し視点を変えただけで、世

界はその神秘を、ありありと私達に見せてくれると云う

事を。小林さんの書籍等を読んでいると、そんな「世界

(小林さんはそれを『天然』と呼んでいるが)」への愛

が、とりわけ電磁波等々の天文物理への偏愛が、至る所

に顔を覗かせている事に気付く。以下は「ぼくらの鉱石

ラジオ」の中から、空電現象について記された一節を。

 

 空電は電気を帯びた雲と雲の間、または雲と大地の間

に起きる放電や、大気中の電気的変動によって生まれる

電波の一種の事です。たいていはクリック音(カリッと

いう鋭い音)、グラインダー音(ガラガラと連続した雑

音)、ヒッシング音(シューとかジャーという連続ノイ

ズ)などですが、中にはとても美しく感じる音もありま

す。それらは「音楽的空電」とか「滑らかに変わる音」

と呼ばれているようです。とりわけ「口笛を吹く者たち

の放電」は、10kHz以下のオーディオ帯の周波数の信

号なので、直接アンプで増幅してあげると、まるでシン

セサイザーでポルタメント(音階が連続的に変動するよ

うな効果)をかけたような音として聞く事ができます。

これらは落雷によって発生した電波のうち、可聴帯域の

成分が電離層を突き抜けて上方へと向かい、地球の磁力

線に沿って反対半球まで行き、反射されて元の場所へと

戻って来る中で、音に変化がつくと考えられています。 

 また「夜明けの合唱」という現象も興味深いもので、

不思議な宇宙からの音楽が明け方に降りそそいで来るの

です。これは高・中緯度の場所で午前中に観測されるも

ので、ちょうど朝の鳥たちのさえずりのように聞こえる

事でそう呼ばれます。この現象は電子や陽子や重水素イ

オンが、地球の磁力線に巻きつきながら発している長い

波長の電波によって起こります。オーロラが発生する時

に、バンアレン放射帯の辺りから通信して来るのです。

 

 どうだろう、一見これは或る特殊現象の説明文なのだ

が、読んでいると次第にその行間から、小林さんの少年

のような心のときめきが、自然への大いなる共感を伴っ

て滲み出し、遂には一編の美しい「詩」となって、雄大

な歌を奏でるようではないか。もはや科学用語の意味な

ど分からなくても良い、ただ私達は天空を飛び交う不思

議な信号を脳裏に響かせ、磁力線を震わせる地球の歌に

耳を澄ませば良いのだ。実は上記の文章を書き写してい

たら、全く忘れ去っていた或る記憶が、不意に甦って来

た。何十年もの間、思い出す事もなかった些細な記憶だ

が、それが突如甦ったと云う事は、何かの意味が有るの

かも知れず、ならばそれについて少々記しておくのも、

この際無駄ではあるまいと思う。或る少年の話である。

 

 少年は中学一年、無線クラブに所属していた。入部し

たら直ぐに、アマチュア無線免許取得のためのテキスト

を渡され、しっかり勉強するようにと言われたのだが、

中学一年の頭の悪い少年には、電磁理論など高等数学に

等しいようなもので、まるで頭が付いて行かない。それ

でも憧れだけは人一倍有ったから、当時の無線雑誌「ラ

ジオの製作」などは、隅から隅まで飽かず眺め回した。

特に何度も穴の開く程に凝視したページは、無線機器の

写真がズラリと並んだ広告欄である。重量感に溢れた金

属性ボックスのフロントに、メーターやらダイヤルやら

スイッチやらが所狭しと配置され、それによってあたか

も科学技術の粋を極めたが如くに、圧倒的な存在感を放

つその誇り高き威容は、見ているだけで鼓動が早くなる

程の羨望を少年にもたらした。安っぽい液晶画面などは

まだ登場する以前の話だから、指針の揺れる計器や、大

小のツマミがこれでもかと居並ぶ相貌は、正にアナログ

の威信に溢れた美を、堂々と放って止まなかった。ただ

し、それらの専門機器はいずれも高価で、とても中学生

に手の出せる金額ではなかったし、おまけに少年の家は

あまり裕福ではなかったので、小遣いも微々たるものだ

ったから、ただ写真を眺め暮らす他には何の術も無かっ

たのである。そんなある日、彼は広告欄の隅に小さな無

線機を見つけた。それはトランシーバーと云う機種では

あっても、子供らが遊んでいるちゃちなトランシーバー

とは似て非なるもので、明確に「携帯用無線機」と銘打

たれていた。あくまでも「無線機」だから、子供用トラ

ンシーバーのような「2台で1組」なんてちゃちな売り

方ではない、1台で幾らと云う設定である。1万円位し

たのか、そんなにしなかったのか、もう少ししたのか、

委細は忘れたが、大方その辺りだった筈だ。むろん通信

には相手が要るので、2台必要な事ぐらい分かってはい

たのだが、貧しい少年には2台分の資金など望むべくも

ない、よって狙うは単品である。と云う訳で数ヶ月後、

彼は貯まった資金を握りしめて秋葉原の電気街を訪ね、

夢に見た携帯用無線機1台を意気揚々と購入して来た。

色は渋いモスグリーン、上半分はマイクロフォン兼スピ

ーカー、その下に送信用の四角いボタンが付いている。

家族が居なくなるのを見計らって、少年はボタンを押し

て恐る恐る呼びかけてみた。CQ…CQ…CQ…、もち

ろん反応は無い、ただサァーッと云う低いノイズが聴こ

えるばかりだ。相手が居ないのでは反応も有る筈が無い

のだが、それでもそれからの日々、彼は暇を見つけては

孤独な呼びかけを繰り返した。それは確かに虚しい行為

ではあったろう、でも彼はひたすらに待っていたのだ、

いつか訪れるかも知れない、未知からの胸躍る通信を。

 或る夜更け、詰まらない試験勉強に飽いた少年は、何

気なく無線機のボタンを押して、小声でいつもの呼びか

けをやってみた。瞬間、誰かの声が入った。それはノイ

ズ混じりの不明瞭な音で、何を言っているかは分からな

かったが、確かに彼の呼びかけに応える声だった。10

秒にも満たない時間だったろうか、突如プツンと途切れ

たしじまに、少年は「もしもし…もしもし…」と繰り返

したが、もう応答は無い、今にして思えばあの応答は何

だったのだろう、刹那にゆくりなくも訪れた、正に夢の

ような出来事であった。以降、二度とそんな瞬間は訪れ

ず、幸いにして移ろい易い少年の興味も、他の分野へと

変転して行ったので、取るに足らない小さな出来事など

は、いつか忘却の彼方へと埋もれて行った、話はこれで

お終いである。「少年」などと書くと、何やら気取った

感が有るけれど、何せあれから50年近い歳月が流れた

今、当時の自分を一人称で「私」と書くような自己同定

が、どうもぴんと来なかったもので、あえて他称を使わ

せて頂いた次第、ともあれ他愛もない長話、ご容赦を。

 

 上記の詰まらない記憶を書いていて、これもふと思い

到った事がある。少年がトランシーバーの片方だけを手

に、遥かな未知に向かって発信をしていた時空、おそら

くはその同じ時空を、小林健二と云う表現者は、数十年

にも亘ってひたすらに歩み続けて来たのだ。それは誰も

が少年の頃に、一度は足を踏み入れる領域なのだろうけ

れど、なおざりな日常の中で、いつの間に通り過ぎてし

まう。小林さんは違った。心の中の少年を、ついぞ消す

事が無かった。その少年はやがて絵を描き、オブジェを

造り、そこに星を宿し、電磁波を操り、結晶を培養し、

レンズを磨き、それで世界を写し、映画を作って、詩を

綴り、音楽を奏で、それらは縦横にクロスしながら、美

しいポリフォニーを綾なして行った。思うに、そんな驚

くほど多岐に亘る活動の全てが、今も小林さんの心に住

むだろう少年にとっては、遥かな未知へ向けての、そし

て見も知らぬ誰かに向けての、切実な通信に他ならなか

ったのかも知れない。だからその作品に触れた人は、き

っと或る密やかな信号を受け取るだろう。私達はその響

きに、ただ無心に耳を澄ませるだけで良い。すると世界

はいつしか見慣れたヴェールを脱いで、その神秘を垣間

見せる。たぶん遥かな未知とは、何も銀河の彼方にだけ

在るのではない、私達のありふれた日常の、すぐ隣にも

潜むのだろう。前回の個展に出品された或る作品には、

小林さんのこんな言葉が書き添えられていた──部屋に

は/雲が薄くかかりはじめた/もうすぐ世界が現れる。

 

 かつて世界は驚きに満ちていた。子供達は目の前の不

思議に目を瞠り、その響きに身を委ね、神秘の森を何処

までも分け入った。でもいつか道に迷い、見失い、気が

付けば日常の乾いた荒野を、蹌踉と歩く自分を見出す。

そんな時私達は或る作品の中で、一人の少年と出会うだ

ろう。小林さんの心に住む彼は、私達の手を引いて、再

びあの懐かしい森へと誘なう。そして奥深くへと分け入

った夜更けに、ポケットから小さな無線機を取り出し、

にこやかに言うだろう、呼んでみないかい?──誰を?

──世界をさ。不意に私達は思い出す、遠い日にもこん

な事が、確かにあったなと。そして送信ボタンを押して

呼びかける、あの日と同じように。CQ…CQ…、聞こ

えますか? 僕の声は届いてますか? CQ…CQ…、

きっといつかめぐり逢う君に、僕の声は届いてますか?

 

                     (21.03.22)