Greeceの時間 (2023)       Objet
Greeceの時間 (2023)       Objet

画廊通信 Vol.242           秘められた系譜

 

 

 略歴によると、北川さんは1970年代半ばに銅版画家としてデビューし、フォトグラビュールを駆使した斬新な制作活動を、以降約30年にわたって展開されている。近年は、以前から版画と併行して発表されて来た、アッサンブラージュによる独創的なオブジェに、制作の主力を移されてはいるが、創作の根幹を成すデペイズマンの方法論は、版画制作期から一貫して変わらない。この魅惑的な表現手法を、最初に具現化したメディアが版画であり、なかんずくそれが銅版画であったという事実

に、私は北川健次という芸術家の本質を示唆する、或る

重要なキーが潜むように思えるのである。その方法論か

ら推測すれば、コラージュという出発も有り得た、或い

は当初からオブジェという出発も有り得た、しかし北川

さんは敢えて銅版画を自らの起点とした、そう考えた時

「なぜ銅版画だったのか」という問いは、追究に値する

設問とは言えないだろうか。以下は、それに関しての一

方的な推論である。あくまでも私見なので、もし作家自

身に同じ質問をぶつけたとしたら、全く別の答えをされ

るだろうとは思うのだが、少々強引な屁理屈ながら、時

に外部からの視点で初めて浮上する、当人でさえ与り知

らぬ要因が有るのやも知れず、この度はそれに免じて、

誠に勝手な臆見の数々、作家には寛大なるご容赦を請う

他ない。まずは、銅版画そのものについての考察から。

 

 周知のように、銅版画は西欧において顕著な発展を遂

げた訳だが、その歴史は意外に古いようで、既に15世

紀頃にはその萌芽が有ったと言う。以降デューラーに代

表されるルネッサンスの潮流の中で、16世紀初頭には

腐蝕による銅版技法が編み出され、17世紀にはジャッ

ク・カロやレンブラントといった名匠が、エッチングを

自在に駆使した制作を展開し、18世紀のカナレットや

ピラネージ等を経て、19世紀のシャルル・メリヨンに

到るという軌跡を俯瞰すると、その歴史は軽く500年

を超える長きに亘り、油彩画の嚆矢をファン・アイク兄

弟の活躍した15世紀初頭とすれば、銅版画は正に油彩

画に匹敵すると言っても過言ではない歴程を誇るのであ

る。19世紀のバルビゾン派から印象派を経て近代絵画

へと繋がる流れの中で、銅版画はいつしか専門家の手を

離れ、多くの画家が取り上げるメディアとなって、それ

ぞれに多様な表現を展開して行く事になるが、その一方

で、従来の銅版画が一様に持ち合わせていた、或る特有

の「匂い」とでも言うべきものは、急速に消失の一途を

辿ったように思える。この件については、どの版画史に

も説かれていない見解ゆえ、仮説の域を出ないのだが、

16世紀から19世紀にかけて、油彩画の傍らで独自の

流れを創って来た銅版画──とりわけ腐蝕銅版画には、

作家や国土の違いを超えて共通する、或る特有の匂いが

感じられる。興味のある方は、先述のカロ・ピラネージ

・メリヨンといった作家の銅版作品を、ぜひ検索してご

覧頂ければと思うのだが、それは自然や風俗を描いたも

のよりは、建築や都市といった人工物を描いたものに、

より顕著に感じられるように思うのだが、どうだろう。

 明よりは暗を、光よりは闇を、平静よりは怪異を、覚

醒よりは幻惑を、そして正統よりは異端を、そんな指向

性がそこはかとなく滲む、濃厚なる不可思議の匂い。無

数の線描による細密を極めた表現が多いため、それは限

りなく写実へ明晰へと傾く筈なのに、何故かそれは写実

であればある程に、そして明晰であればある程に、闇を

秘めたあやかしが模糊として香り立つ、不可解な幻想の

領域へと傾くのである。腐蝕銅版が古来数百年をかけて

内包して来たこの「匂い」が、さて何処から来たものだ

ろうと思いを巡らす時、厚い歴史の霧が茫漠と煙る彼方

に、私はいつしか西洋文化の影に潜みながら、隠然と流

れ来たもう一つの文化を思わずにはいられない。決して

顕在する事のないその謎めく領域に、試みに西洋銅版画

の精神的源流を求めるとしたら、それは謬見に過ぎない

と言い切れるだろうか。潜在する闇の文化──錬金術。

 

 エジプトのヘルメス文書までさかのぼれば、錬金術の

起源は遥か紀元前にまで到るが、ヨーロッパにおいては

中世、とりわけ13世紀以降に大きく発展したと言われ

ている。言わずと知れた、卑金属を貴金属に変える試み

を「錬金術」と称する訳だが、むろん誰も成功した者が

いなかったとは言え、幾多の実験が数々の発明や発見を

導き、それがやがては近代化学へと繋がった歴史を振り

返ると、あながちそれは非科学的な眉唾とばかりは言え

まい。文献によると、トマス・アクィナスといった神学

者やロジャー・ベーコンのような哲学者、更には近代科

学の祖と謳われる、あのアイザック・ニュートンまでも

が深くその研究に関わっていた事は、紛れもない事実の

ようである。一方で、錬金術が「賢者の石」に象徴され

るような、神秘主義や魔術にも繋がる異教的な側面を、

濃厚に持っていた事も確かなようで、西洋史の裏側を暗

躍したと言われるカリオストロ伯爵や、サンジェルマン

伯爵といった得体の知れない錬金術師達は、そちらの面

を代表する存在と言えるだろう。ともあれ、そのような

二面性を併せ持つ錬金術が、数百年に亘って西洋文化の

傍流として異端の系譜を成し、様々な影響を及ぼして来

た事は疑いようのない事実であり、ならば芸術の世界に

もその余波が及んだであろう事は、ほぼ確実とは言えな

いだろうか。事実、腐蝕銅版が発明された16世紀前半

は、パラケルススやファウストといった著名な錬金術師

が活躍した時代でもあり、何故か腐蝕銅版の登場と錬金

術の隆盛は、時期的にも奇妙な一致を見せるのである。

 古来腐蝕銅版は、硝酸を腐蝕液として用いて来た。描

画済みの銅版を薬液に浸すと、硝酸の化学作用で金属が

腐蝕され、細密な描線が版面に刻印される。この場合、

銅は決して「溶ける」訳ではない、硝酸との化学反応で

気体に変化し、気泡となって揮発してゆく。このガスが

毒性を持つ事から、現在はより安全な塩化第二鉄の使用

が一般的となっているが、塩化鉄が不透明な茶褐色の溶

液であるのに対して、硝酸溶液は銅版の腐蝕を重ねる程

に、えも言われぬ透明なセルリアン・ブルーに染まるの

だと言う。この技法が発明された当時、金属と薬液が奏

でるその魔術のような現象に、版画家はどれほど魅了さ

れた事だろう。硝酸──化学式はHNO3 、強酸性の劇物

で、グリセリンと化合すればニトログリセリンとなり、

ダイナマイトの原料として利用される事は周知の通りで

ある。調べてみるとその歴史は以外に古く、8世紀にア

ラビアの科学者ジャービル・ハイヤーンによって発見さ

れたとある。彼は、往古より知られる伝説的な錬金術師

でもあり、後にその技術は十字軍を通じて中世ヨーロッ

パへと伝えられ、当然の事ながら錬金術界に多大な影響

を及ぼして、ラテン語に翻訳された著作は錬金術のバイ

ブルとして尊重され、その権威は絶大であったと言う。

当時は、錬金術と化学の境目は極めて曖昧であったと思

われ、おそらく腐蝕銅版の考案された16世紀初頭は、

正に錬金術こそが化学であり、化学とは秘術に他ならな

い時代であったろう。ならば硝酸とは、紛う方なき錬金

術の産物であり、延いては腐蝕銅版そのものが、錬金術

から派生した技術だったと言っても過言ではあるまい。

 いにしえの錬金術師達は、きっと何処かの薄暗い怪し

げな研究室で、薬液に浸された金属から音もなく立ち上

る毒性の気泡に魅入る内に、幻影の異郷を垣間見たのか

も知れない。やがてその技術は銅版画家のアトリエにも

及び、版表現の新たな技法として定着する。しかし、不

可思議な秘術の香りだけは染み付いて消えず、特有の匂

いとして作品の中に残り続けた……。如何だろう、あの

「匂い」に秘められた謎に、少しは迫り得ただろうか。

 

 冒頭の問いに戻ろう──なぜ銅版画だったのか。上記

の考察からその解は、既に明白であるように思える。古

来より、腐蝕銅版画の内包して来た特有の傾向を、先に

私はこう記した──「明よりは暗を、光よりは闇を、平

静よりは怪異を、覚醒よりは幻惑を、そして正統よりは

異端を、そんな指向性がそこはかとなく滲む、濃厚なる

不可思議の匂い」と。思うにこれは、北川健次という作

家の内在する指向性そのものではないだろうか。そして

この「匂い」の源流が、上述の如く中世ヨーロッパの錬

金術に在ったと仮定した時、当人が意識するにしろしな

いにしろ、北川健次という特異なパーソナリティーが、

その謎めいた領域に強く感応し、共鳴・共振を起こした

であろう事は、容易に推測できる経緯である。往々にし

て芸術家の感性は、常人のそれとは比較にならない程の

鋭敏なアンテナを備え、外界の有りと有る時空から響き

到るであろう、無数の微細な波動を捉えるものだ。おそ

らくは若き北川さんの感性も、学府にて広範に絵画技法

を研鑽し修得しゆく中で、銅版画──殊に腐蝕銅版画に

澱のように潜在する或る秘術の匂いを、意識的にか無意

識的にかは判然としないにせよ、内在するアンテナで敏

感に且つ確実にキャッチして、自らをその指し示す領域

へと導いたのではないか。つまりは腐蝕銅版という西洋

の一技法を介して、その奥に闇然と澱みながら、遥かな

往古より秘匿されて来た不可思議の領域に、北川さんの

感性はその深層において同調したのだと思う。故にその

出発は銅版画だったのであり、換言すれば、銅版画でな

ければならなかった、それが銅版画家・北川健次が生み

出された所以であり、同時にそれはコラージュへ、オブ

ジェへ、写真制作へ、詩作へと、驚異的なヴァリエーシ

ョンを展開してゆく事になるパーソナリティーの、正に

本質を体現する原点となった──仮説上の仮説が、所詮

空想に過ぎないのは重々承知しつつも、私はそのように

考えたい、あの魅惑の芸術を心より愛する一人として。

 

 コラージュとは一種の錬金術であって、既に在る物の

 内容を人工的に組み換え、その全体的な様相を一変さ

 せる技法の事である。ちょうど本来の錬金術が、化学

 的な操作によって物質の内容を組み換え、卑金属を貴

 金属に変成する事であるように。私達を最も不安や驚

 異の情緒で満たすものは、神の行うような無からの創

 造ではなく、かえって既知の物の上に加えられた一つ

 の変形、一つの歪曲なのである。~ 澁澤龍彦(評論家)

 

 上記で使われている「コラージュ」という言葉は、正

確にはそれが立脚する理念である「デペイズマン」を指

すが、これは言うまでもなく、北川さんの制作を貫いて

来た重要な理念でもある。版画では斬新なフォトグラビ

ュールによるコラージュで、オブジェでは既存のあらゆ

る素材を用いたアッサンブラージュで、その理念は縦横

無尽に実践され展開されて来た。つまり北川さんにとっ

ての錬金術とは、自らの精神的源流を成す系譜であるの

と同時に、創作の根幹を貫く歴とした方法論でもあるの

だ。上記の一節はエルンストに寄せた論評だが、これは

そのまま北川芸術の核心を語る言説ともなるだろう。故

にその作風を形容する「視覚の錬金術」等々の言葉が、

単なる比喩としてよりは、正に制作手法そのものを指す

言葉である事は、もはや論を俟たない。かつて西洋史の

裏側を怪しく彩った秘術の系譜は、北川健次という現代

の錬金術師を通して、この先も脈々と受け継がれてゆく

に違いない、幻惑と攪乱の企みを秘めやかに孕みつつ。

 

                     (23.05.12)