不規則な風          油彩 / 4F
不規則な風          油彩 / 4F

画廊通信 Vol.253              乱気流

 

 

 記録を顧みると、当店における平澤重信展は2004年にスタートしているので、今年がちょうど20年目という事になる。2000年台の前半辺りは、画家が青緑から紺青に到る青系の色調をメインとしていた時代で、よって当店の初個展も、壁に並んだ大小の四角い窓に、様々な表情を見せる青のバリエーションが、鮮やかに映し出されたような光景だった。それが2010年前後には徐々に茶系の色調へと変移して、以降は多様な色調が混在する展開となって現在に到るというのが、ここ20年ほどの概観である。斯様な色調の変遷に伴ってか、絵画表現のスタイルもまた、驚くような変化を遂げる経緯となった。概して一流の作家ほどマンネリズムを嫌い、

自身を常に新たな表現へと駆り立てるものだが、平澤さ

んほど自らの停滞を良しとせず、臆せず未知の領域へと

踏み込んでゆく画家も、稀有と言わざるを得ない。お付

き合いの当初、平澤さんの描き出す画面は、極めてシン

プルなものだった。制作初期の段階では、画面の諸処に

描かれていただろう様々なモチーフが、制作が進むにつ

れて徐々に削除され消去され、長く厳しい引き算の過程

を経た末に、真に必要なモチーフだけが画面上に残され

る、というのが当時の画家が用いた手法であったから、

最終的に作品として完成する段階では、それは絵の大小

に関わらず、一切の無駄を省いた簡潔な作風を呈した。

と同時に、通常は「空間」や「背景」と呼ばれる絵画の

「間」の部分が、元々は何かが描かれていたという経緯

も有るゆえか、そこはかとなく何かが秘められたような

微妙な空気感を、豊かに醸し出して尽きないのだった。

それが青系から茶系へと、画面の色調が変化を見せるの

につれて、以前は制作の過程で消えゆく運命にあった筈

の多様なモチーフが、削ったり潰したりという行為を免

れて、そのまま画面に残される傾向が顕著となり、その

フォルムも具体的で明瞭な形象から、あたかも具象へと

到る前のような曖昧で抽象的な形態へと、徐々に変化を

遂げる成り行きとなった。そして2010年台半ばに差

しかかる頃には、多様なフォルムの断片が諸処を飛び交

うような作風となり、以降は更にその傾向を推し進め、

遂には断片とも線描とも記号とも付かないような無数の

微細なフォルムが、画面を隅々までびっしりと埋め尽く

すようなスタイルへと変貌した。端的に申し上げて、以

前の平澤さんを知るファンの中には、上記のような思い

も寄らない画家の変遷に、大きな戸惑いを覚える方もい

らっしゃるだろうと思う。しかし真摯な画家ほど、ファ

ンの期待や予測を潔く裏切り続けるものだし、平澤さん

自身もそんなファンの心理は百も承知の上で、あえて新

たな制作に挑んで来られたに違いない。たとえ今までの

ファンが離れて行く事が有ったにしても、画家はどうし

ても自らを変化させて行かなければならなかった、その

理由は画家自身にもおそらく明確では無いだろう、往々

にして表現を純粋に求めゆく人は、自身の直感から発せ

られる内なる声に、正直に従ってゆくだけなのだから。

 

 ふと、子供の頃に遭遇していつか忘れていた、とある

情景がありありとよみがえる。空一面が薄い雲におおわ

れ、それは不思議な緑色を帯びて、辺り一帯を奇妙な微

光で包み、目に映るすべてがいつもとは違って見えた遠

い記憶。今思うと、あれは何だったのだろう。日々、時

間と金に追われる内に忘却の彼方に消えていた事を思う

と、あれは心に無垢の詩を持つ者だけに見える、かけが

えのない時空であったのかも知れない。平澤作品の湛え

る色彩は、ちょうどあの時の色だ。明るい訳でもなく、

しかし暗い訳でもない。心はいつになく透明で、そこは

かとない不思議な兆しが、辺りには微細に満ちている。

──以上は平澤さんの初個展に際して20年ほど前に、

この画廊通信に書いた文章の抜粋なのだが、平澤作品を

見ている内に不意に浮かんで来た、遠い日の或る情景を

追想した段である。この印象からも推測できるように、

この頃の平澤さんの画風は、至って静的で柔らかな印象

を齎すものが多い。自転車を漕ぐ人物が居たり、空を滑

空する鳥が居たり、様々な姿態を見せる犬や猫が居たり

と、登場するキャラクター自体はそれぞれに動きが有る

のだけれど、作品全体から齎される印象は、押し並べて

独特の静謐感を伴うものだ。対して、画家の描き出す今

現在の作風は、一転して動的なイメージに満ちている。

画面を飛び交う無数の断片は、時に激しく跳躍して乱れ

舞い、縦横に撒き散らされた不定形のフォルムも、常に

顫動し明滅して時空を揺らし続け、言わば無窮動とでも

言えるような間断のない動きで、一見混沌を極めるかの

如き複雑な様相を呈する。故に先述した昔日の印象は、

あれから20年を経た現在の作風には、ほとんど当て嵌

まらないと言って良い。斯様な変貌の要因が何処に有っ

たのかについては、それらしい推測をでっち上げる事も

可能だが、所詮それは憶測の域を出ない訳で、数多の論

評を見れば直ぐにでも分かるように、上手くまとまった

考察ほど嘘臭いものだ。ただ、芸術家が私達には持ち得

ない鋭敏なアンテナを内奥に具有するため、我知らず時

代の空気を反映してしまう事は往々に起こり得るから、

平澤さんの作風がカオスに向かって変移しゆく時期と、

度重なる震災や戦災で世界が不穏に翳りゆく時期とが、

まるで何かの符号が一致するように重なる事、そこに関

連を見出して要因を求める事も、あながち誤謬とは言え

ないのかも知れない。ただ私自身は、そんな如何にも筋

の通った理由付けよりも、単に「風が吹いたのだ」と思

いたい。かつて「平澤ワールド」と呼ばれた曇りなき時

空に、或る日人知れず風が立つ。それは時と共に勢いを

増して、いつか微風から疾風へと変わり、大気を淡く覆

っていた柔らかな霧を吹き払い、それまで微かな輪郭や

痕跡だけを浮かべて霧=色層に隠れていた、数知れぬイ

メージの欠片を顕にする。こうして現出した無数のフラ

グメントは、風に巻き上げられて宙に舞い上がり、画面

の遥かな後方から至近の前方まで、有りと有る空間を埋

め尽くす。そしていつしか、風は気まぐれに吹き荒れる

乱気流へと変わり、多様なフラグメントは諸処へと勢い

良く吹き散らされ、宙空を縦横に交錯して激しく乱れ飛

び、現在の詩的なカオスが一面に横溢し氾濫するかのよ

うな、新たな平澤ワールドがその姿を現わすのである。

 

 私は当初から平澤さんの世界を語るに当たって、自分

でも意識しないままに「軽やかな哀しみ」というフレー

ズを、今まで何度となく用いて来た。「軽やか」という

明るいイメージの言葉と「哀しみ」という暗いイメージ

の言葉、通常なら結び付く事の無いだろう二つの相反す

る言葉が、平澤さんの世界では何の違和感も無く、それ

こそ「軽やかに」結び付く。画面の中に、有るか無きか

に浮遊する哀しみは、本来は暗く重いものであるのかも

知れないが、平澤さんはそんなリアルな情感を、決して

直接的には描き出さない。だから、そのような情感を生

々しく体現する「人間」よりは、猫や鳥といった身近な

「動物」達にその情感を移し替えて、より間接的な表現

へと、描く方法をしなやかに変化させる。そのような過

程を経る事で、いつしか情感はその暗く重い衣装を脱ぎ

捨て、軽やかな詩情となって画面を浮遊するのである。

──重ねて拙文の引用で申し訳ないのだが、これも以前

の画廊通信からの抜粋である。平澤さんの世界に、あた

かも持続低音のように流れる或る「哀しみ」について言

及した部分だが、平澤作品が一様に湛えるこのそこはか

とない哀しみだけは、たとえそのスタイルがどう変遷し

ようとも、一貫して作品の根底を変わる事なく流れて来

たものだ。この平澤さん特有の情趣は、そのまま画家の

パーソナリティーとも言えるものだろうから、今まで特

にその所以を詮索した事は無かったのだが、一昨年の秋

に画家が突如刊行した一冊の手記を読んで、改めてその

所以を想わざるを得なくなった。「─長崎原爆投下の日

から─11日間の人間風景」というタイトルで、平澤さ

んの亡き母の名前が、著者として記されている。それだ

けでも分かるように、画家の母が書き残した若き日の被

曝体験を、息子の平澤さんがそのまま上梓したもので、

原爆投下直後数日の間に、両親も兄弟も次々に亡くして

ゆくという凄惨な体験を、克明に赤裸々に記した貴重な

記録なのだが、その冷静な淡々とした語り口は、救い難

い戦禍をより一層際立たせるようだ。このような生死の

淵を彷徨うが如き手記に、軽々しい感想などはとても述

べられないにせよ、平澤重信という画家の持つ或る哀し

みの源泉が、想像以上に深い場所に在る事だけは確かだ

ろう。それ以上は、牽強付会になるだけなので立ち入ら

ないが、実はこの手記を上梓する前に、画家は大病を患

って入院している。よってこの手記は、画家が病室から

闘病の傍らに発刊したものだ。おそらく、自らを襲うか

も知れない万一の事態を考え、止むに止まれぬ思いで刊

行されたものだろう。以降数度の入退院を経て、幸い画

家は通常の制作を再開し、つい先月も意欲的な個展を銀

座で開催されて、当店における2年ぶりの個展へと到る

訳だが、私は今改めて、母の手記を刊行された当時の、

平澤さんの心境を思うのである。先述したような、絵画

による間接表現では表せなかった事、それを平澤さんは

文字による直接表現で提示した、その時あの「軽やかな

哀しみ」は「凄絶な悲傷」に転じるだろうけれど、それ

でも構わない、それだけの激しい情念が、画家の内奥に

は渦巻いていたのだろう。そして現在、心身共に或る困

難な峠を越えた画家は、具象と抽象の狭間に広がる開か

れた領域の中で、更なる未踏の地へとその歩みを進める

かのようだ。風は変わらずに吹いている、画面を飛び交

うイメージの欠片は、いよいよ微塵のフラグメントとな

って、宙空を縦横に飛翔して乱舞する。先月開催された

個展の案内状には、こんな言葉が直筆で記されていた。

 

 人間とは/かくも愚かで/かくもだらしなく/その愚

 かさや/そのわがままのゆえに/時にかわいくて/時

 にかなしくて/時に希望にみちた存在である/風景を

 通して/今の自分を知る仕事をしたい   平澤重信

 

 この通信を記しながら、先日画家のアトリエからお預

かりして来た作品を、何度となく熟視して見返す内に、

画面に散乱する無数のフラグメントの奥から、ふと微か

な光が漏れるような気がした。混沌とした様相を見せる

大気の向こうに、何かしら漠とした光源が有って、ここ

かしこから滲み出すあのそこはかとない哀しみも、仄か

な微光に照らされて浮かび上がっている。画面を吹き荒

れる乱気流は、いつか収まるのだろうか、そして時空に

は再び淡い霧がかかり、散乱する欠片達はまたその奥へ

と、緩やかに消えゆくのだろうか、いずれにせよそれは

分からないし、画家自身にも判然とはしないのかも知れ

ない。しかしながら以降、そのスタイルがどう変移しよ

うとも、この微かな光源が消え失せる事は無いだろう。

長い曲折を経て、画家はやはり人間を肯定し、世界を肯

定した。結局のところ、表現の土壌は徹底した肯定にし

かない、否定から生まれる表現が有るだろうか。肯定は

やがて希望を育み、希望はいつか生きる光となる。この

光をゆくりなくも画面に見出した時、厚い混沌のヴェー

ルは緩やかに剥がれ落ち、その奥に広がる新たな地平を

垣間見せるだろう。今日も世界には、風が吹いている。

 

                     (24.03.14)