画廊通信 Vol.264 砂に刻まれしもの
砂──尽きる事なく集積して増大し、休む事なく流動して侵食し続けるもの。この身近でありながらも不思議な特性を持つ微細な石粒について、安部公房(小説家:1924~1993)が残した魅力的な一節がある。少々長くなるが、その特殊な性質を実に的確に語っているので、
ご参考までに抜粋してみたい。以下は「砂の女」から。
しらべてみると、砂というやつも、なかなか面白いも
のだ。たとえば、百科事典で砂の項目をひいてみると、
次のように書いてある。
《砂──岩石の破片の集合体。時として磁鉄鉱、錫石、
まれに砂金等をふくむ。直径2~¹⁄₁₆mm》
いかにも明瞭な定義である。砂とは要するに、砕けた
岩石の中の、石ころと粘土の中間だということだ。しか
し、単に中間物というだけでは、まだ完全な説明とは言
いがたい。石と砂と粘土の三つが、複雑にまじり合って
いる土の中から、なぜ特に砂だけがふるい分けられ、独
立の砂漠や砂地などになりえたのか? もし単なる中間
物なら、風化や水の侵蝕は岩肌と粘土地帯との間に、互
いに移行する無数の中間形態をつくりえたはずである。
ところが現実に存在するのは、石と砂と粘土、はっきり
区別することができる三つの相だけなのだ。さらに奇妙
なことには、それが砂であるかぎり、江ノ島海岸の砂で
あろうと、ゴビ砂漠の砂であろうと、その粒の大きさに
はほとんど変化がなく、⅛mmを中心に、ほぼガウスの
誤差曲線に近いカーブをえがいて分布していると言うこ
とである。ある解説書は、風化や水の侵蝕による土の分
解を、ごく単純に、軽いものから順に遠くに飛ばされる
結果だと説明していた。しかしそれでは、直径⅛mmの
もつ特別な意味は、解き明かせない。それに対して、べ
つの地質学者は、次のような説明をくわえていた。
水にしても、空気にしても、すべて流れは乱流をひき
おこす。その乱流の最小波長が、砂漠の砂の直径にほぼ
等しいと言うのである。この特性によって、砂だけが特
に土の中から選ばれて、流れと直角の方向に吸い出され
る。土の結合力が弱ければ、石はもちろん、粘土でさえ
飛ばないような微風によっても、砂はいったん空中に吸
い上げられ、再び落下しながら、風下に向かって移動さ
せられるというわけだ。どうやら砂の特性は、もっぱら
流体力学に属する問題らしかった。そこで、さきの定義
につけ加えれば──《……なお、岩石の破砕物中、流体
によってもっとも移動させられやすい大きさの粒子。》
地上に、風や流れがある以上、砂地の形成は、避けが
たいものかもしれない。風が吹き、川が流れ、海が波う
っているかぎり、砂は次々と土壌の中からうみだされ、
まるで生き物のように、ところきらわず這ってまわるの
だ。砂は決して休まない。静かに、しかし確実に、地表
を犯し、亡ぼしていく……。
この一節の直後に、作者は「その流動する砂のイメー
ジは、彼に言いようのない衝撃と、興奮をあたえた」と
主人公の心理を描写しているが、これはそのまま、作者
自身の感興でもあったろう。以上の考察から、安部公房
はこのような結論を導き出している──砂の不毛は、普
通考えられているように、単なる乾燥のせいなどではな
く、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一
切受けつけようとしない点にあるのだ、と。ちなみに新
潮文庫版の裏表紙には、「砂の女」の作品紹介がこのよ
うに記されている──砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、
砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考え
つく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男
を穴の中にひきとめておこうとする女。そして穴の上か
ら男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。
ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開の中に
人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編。20数カ
国語に翻訳された名作──そう、確かに要約はその通り
なのだ、粗筋だけを追うのであれば。しかし、この作品
の真の主人公は「砂」である。休みなき流動によって無
尽に堆積し、全てを呑み込んで埋もれさせてゆく、この
「砂」のもたらす圧倒的なイメージこそが、この作品を
極めて特異な作品たらしめている、最大の要因なのだと
思う。徹底して不毛である事、その不毛をひたすらに増
殖し続ける事、そんな冷厳非情の作用が、気の遠くなる
ような年月をかけて生み出した地形、それがいわゆる砂
丘であり砂漠なのだとすれば、それは正に救い難き巨大
な不毛を、最も純粋に具現化した光景と言えるだろう。
周知の如く森幸夫という画家は、この「砂丘」という
特殊な地貌を、20年近くに亘って描き続けて来た。し
かもそれは、鳥取砂丘でもなければ我らが九十九里浜で
もない、本州の北辺・津軽半島は日本海側に下った、か
つては「十三の砂山」と呼ばれた落莫の砂地である。通
常は砂丘や砂漠と言えば、アフリカ大陸やアラビア半島
のイメージもあって、何となく亜熱帯的な気候を連想し
がちだけれど、ここ北の最果てに横たわる砂丘は、そん
な悠長なものじゃなく、温熱の印象とはほど遠い極寒の
地だ。よって冬季は激烈な風雪が吹き荒び、荒海に暗澹
と轟く濤声を背景に、凄まじい吹雪が大気を白濁する。
そんな訪れる人もないだろう打ち捨てられた辺境を、わ
ざわざ最も過酷な真冬の時節に何度となく訪ねて、時に
は一寸先も見えないような吹雪の中で絵筆を走らせる、
言うまでもなくそれが森さんの制作であり、流儀とも言
えるものなのだが、あらためて今、最も単純な設問をこ
こに提示してみたい。即ち、なぜ「砂丘」を描くのか。
過去の資料を顧みると、今世紀に入って4~5年を経
た頃から、森さんは津軽を舞台にした制作を始められて
いるが、それ以前には、ヨーロッパの風景を描いた作品
も散見される。中でも北スペインへの取材が多かったと
の事、その多くは寡黙に佇む古い集落や建物を、深い静
謐の中に描き出したもので、染み入るような情趣が深々
と滲み出すが如き作品だが、それでもご本人によれば、
「描きながらも心の隅には、いつも『ここではない』と
いう感覚があった」とのお話であった。それがたまたま
津軽の寒村を訪れる機会があり、その地の海辺に蕭条と
連なる砂丘を目前にした時、「ここが私の地だ、帰るべ
き場所だ」と、瞬時にそう思えたと言う。以降、それは
画家の最要のテーマとなって現在に到る訳だが、先述の
「なぜ砂丘を描くのか」という問いの答えは、この作家
の弁に尽きるだろう。それは即ち、画家自身の直感に他
ならないのだし、往々にして直感の分析は、本人ですら
困難である、それは言語領域を源泉とはしないからだ。
ならば本来はこれで「Q.E.D」となり、この辺りで擱筆
とすべきなのだが、あれこれと余計な憶測を捏ね回すの
が私の習性なもので、もう少し勝手な考察を続けてみた
いと思う。という訳で、以下はあくまでも私見である。
「津軽」という主題の変遷を大まかに辿ってみると、そ
れはそのまま「砂丘」に収斂されてゆく過程である事が
分かる。当初津軽の風景は、港の突堤や砂に埋もれゆく
家屋の連なり、或いはこの地方独特の「カッチョ」と呼
ばれる防雪柵をモチーフにしたもの等々、様々な場面が
そこには描き出されていたが、歳月と共にその視線は変
化して、やがて村落と波際の狭間に荒涼と広がる地面、
即ち「砂丘」へと向けられてゆく。例して言えば、これ
はクロード・モネの連作「睡蓮」が辿った軌跡と、正に
軌を一にすると思えるのだが、どうだろう。よく知られ
るように、モネは還暦を迎えようとする頃、ジヴェルニ
ーの邸宅に「水の庭園」を作庭し、それから死去に到る
までの20数年間を、いわゆる「睡蓮」の連作に挑み続
けた。その間の変遷は、画集等の資料を紐解けば一目瞭
然で、当初は睡蓮の浮かぶ池を中心に、和風の木橋や樹
木等を配した、純然たる「風景画」としてそれは描かれ
ている。それが時と共に視線はより前方に、且つは下方
へと移り行き、それにつれて橋や樹木等のモチーフは徐
々に排除され、生涯の総決算となった「大睡蓮(オラン
ジュリー美術館)」の頃には、長大な画面の全てが水面
のみで覆い尽くされるという、風景画のセオリーを大胆
に逸脱した、かつてない独創的な光景が現出される事と
なった。ここに到って睡蓮は、最早水面に置かれたアク
セントに過ぎず、それよりは水面に映り込んで多彩な表
情を見せる、天空=宇宙こそが真の主題となっている。
つまり、モネは水面を「鏡」として用い、そこに千変万
化して尽きない、大宇宙の光彩を映し込んだのである。
この「構成要素を極限まで捨象して、或る単一の主題
に到る」という軌跡は、「水面」と「地面」の違いこそ
あれ、森さんが砂丘を主題とするに到った足跡と、共通
するものだ。上述の如く、モネは水面を「鏡」として用
いたが、ならば森さんは、砂丘という主題に何を託そう
としたのだろう。前頁に私は「徹底して不毛である事、
その不毛をひたすらに増殖し続ける事、そんな冷厳非情
の作用が、気の遠くなるような年月をかけて生み出した
地形、それがいわゆる砂丘であり」云々と記したが、こ
の全てを呑み込んで埋もれさせてゆく「侵食」という作
用、或いは森さんの作品に度々描かれる家屋や棒杭とい
ったモチーフが、その肌に索莫と浮かべる「腐朽」とい
う作用、思えばそれは「時」によって刻み込まれた痕跡
に他ならない。時という見えざるもの、これを何らかの
形で表そうとすれば、それは目にみえる痕跡で代替する
他ないのだから、侵食や腐朽の為せる業を描く事は、即
ち「時」を描き出す事に等しい。こう考えた時、モネが
「天空を映す鏡」として水面を用いたように、森さんは
「時を刻む版」として、砂丘を用いたのではないだろう
か。それは大きくうねりながら堆積する、大地の版だ。
故に作品と真摯に向き合う人は、必ずや尽きる事なく響
き出す、深く豊かな時の声を、沈黙の中に聞くだろう。
詩は「書くまい」とする衝動である。詩における言葉
は、いわば沈黙を語るための言葉、「沈黙するための」
言葉であると言っていい。いわば失語の一歩手前でふみ
とどまろうとする意思が、詩の全体を支えるのである。
結びに石原吉郎(詩人:1915~1977)の言葉を。お
そらくここで詩人の言う「沈黙」とは、単なる「言葉」
の対義ではない、言葉の尽きようとする場所を指すのだ
と思う。つまり、言葉の消失する極限から詩は始まるの
だと、詩人はそう語るのである。これは文学の領域だけ
に非ず、全ての芸術に共通する原理であろう。その意味
で砂丘という地勢が、あらゆる存在を侵食して抹消し、
徹底した不毛しか残さないのだとしたら、その地から言
葉は疾うに絶えて久しい。言葉が絶えれば意味は消え、
意味が消えれば論理も絶えて、論理の絶えた場所には如
何なる思想も存在しない。故に、今回の個展タイトルで
ある「砂丘の思想」は逆説的な言い回しであり、あらゆ
る思想が途絶えた場所から始まるであろう何かの、象徴
としての命名だ。よってそれは言葉ではない、言うなれ
ば感性の言語であり、それは絵筆で全てを語らんとする
画家にしか、使い得ない言語である。だから砂丘の前に
立つという行為は、徹して純粋に画家である事の宣言に
他ならない。思うに、全てが尽き果てた究極の不毛、そ
の沈黙から始まる絵画の、何と雄弁にして豊潤な事か。
(25.01.17)