画廊通信 Vol.272 伝説
日誌には、2015年7月3日との記載があるから、ちょうど10年前の話になる。画廊を開けて程なく電話が入り、受話器を取ったら「栗原です……」、聞き取れない程に小さくしゃがれた声である。つい先月福生のアトリエに伺い、元気なお姿に触れて来たばかりだったので、はてどうされたのかと思ったら、あれからまた手術をしてね、左肺の3分の2を切除したんだ、随分と大きく切ったから、まだ痛くてさ……、大変だったであろう手術の経過を、出すのも辛そうな声で短く語られた後、それで9月のいつからだったっけ? 個展の話だけど、とおっしゃるので、そのご様子ではどう考えても無理だろう、ご本人のためにもこちらからお断りしなければ、
と思いつつも、日程を一応お伝えしたところ、栗原さん
は俄に断固として、このように言われた──俺も山口さ
んの所で、最後になるかも知れないからさ、何としても
やりたいと思ってるから……。私事になるが、この時の
感慨を私はこう綴っている。以下は、当時の日誌から。
この言葉を聞いて、もうこれで画廊が潰れてもいいと
思った。以て瞑すべし、栗原さんのような画家にここ
まで言ってもらえたら、画廊冥利に尽きる。私の仕事
は最早成就した、廃業しても悔いは無し、と書きたい
所だがそうも行かぬ。有難うございます、栗原さん。
貴方のような生粋の画家・本物の画家と、最後までお
付き合いさせて頂ける事、これ以上の名誉はありませ
ん。願わくばその最後が、まだまだ先であらん事を。
意気に感ず──という言葉がある。この時の、死の淵
に直面した画家が苦しい息の下から吐いてくれた言葉、
私は正にその意気に感じて、この仕事を続けて来たよう
なものだ。いよいよ切羽詰まった時、私はこの言葉を思
い出す。すると、ここはあの栗原一郎に最後を託された
画廊なんだ、こんな程度の瑣事瑣末でくたばってなどい
られるか、という思いが鬱勃と頭をもたげる。そうして
何とか局面を脱しつつ、今に到るまで生き残って来た訳
だが、むろん画家ご自身は、それほど深い意味で言われ
たのではなく、自らの最期を覚悟した時に、たまたま私
の所に予定が有った事から、そんな台詞に繋がっただけ
なのかも知れない、きっとそうなのだろう。しかしその
言葉をどう受け止め、どう意味付けるのかは、残された
者の勝手だ。私は信じる人の言葉を信じる、それだけで
ある。所詮、一方的な「信」ほど強いものはないのだ。
この時のお電話から一ヶ月ほどを過ぎた猛暑の盛り、
私は福生のアトリエにお伺いした。栗原さんは、まだご
快復には遠いやつれた印象だったが、何といつものよう
にタバコを吸われている。片肺をごっそり切除されなが
らまだ吸っておられるのは、もはや豪傑を通り過ぎて無
謀とも思えたが、ご本人はさして気にもされてないご様
子、アトリエには辛い病状の中いつ描かれたのか知らな
いが、見事な新作がずらりと並べられていた。どうやら
完成したばかりの作品が多いようで、まだワニスも塗ら
れていないカンヴァスもあって、栗原さんその場でザッ
ザッとワニスをかけ、題名未定の作品にはスラスラとタ
イトルを書き入れ、一作業終えるとまたタバコを燻らし
て、さすがにお疲れになったのか、先に悪いね、よろし
く頼みます、と奥の部屋へ去られた。そのあと奥様のお
っしゃるには、もうダメか……という時ほど、栗原は益
益描いてしまうんです。先がないと思うと、描かずには
いられないんじゃないかしら。あの人の場合、描く事が
生きる事のようなものですから……。結局この日は、全
20点の新作をお預かりして、ツヤツヤとワニス塗り立
ての作品を、トランク内にパズルの如く並べて乾かしつ
つ、雲一つない真夏の炎天下、車内に充満する揮発油で
クラクラしながら、高速をすっ飛ばして千葉に帰って来
た。車から作品を降ろし、画廊に並べて暫しの放心の中
で、改めて思った事──この20点を、栗原さんはどう
いう思いで描いたのだろう。おそらく、これで最後にな
るかも知れない、と覚悟した画家の、これは紛れもない
生き様なのだ。今はチャラチャラしたタレントまがいで
も、俺の生き様は……なんて言い方をするが、冗談じゃ
ない、生き様という言葉は、己の死に様を見据えた者だ
けに許される重い言葉なのだ。ここには正にそんな画家
の、偽りなき絶唱が有るではないか。このような絵を前
に、取り澄ましたコンセプチュアル・アートや屁理屈じ
みたアブストラクト美術の、何と薄っぺらな事だろう。
ちなみに今回の展示には、正にこの時の作品が、数点
含まれている。何の理屈も要らない、ここには真実の絵
画がある。本物を求める人に、ぜひ見て頂きたく思う。
後にお聞きした事だが、当店の個展を終えて程なく、
栗原さんは急遽再入院となって、胃癌の手術をされたの
だと言う。翌春、日本橋高島屋において、大規模な「栗
原一郎展」が開催された。この時も私は、驚愕の念を禁
じ得なかった、手術に継ぐ手術、度重なる入院の中で、
これだけの圧倒的なクオリティーの作品群を、いつ描き
上げたのだろうかと。その時の衝撃を、当時私はこのよ
うに記している。以下は、2016年の画廊通信から。
画面一杯に滾るが如き情念が渦巻き、建物も街並も等
しくその中に巻き込まれて溶解し、やがては彼方へと
消えゆくかのようだ。「雨の降る」と題された渾身の
50号、これは一体何だろう、もはや風景画の範疇を
超えてしまった風景、全ては荒ぶる情念に溶けゆくか
の如く、これが絶筆になってしまうのかと思える程に
それは鬼気迫るものだった。他の壁面には樹木の絵、
降りしきる雨の中に、孤独な樹が悄然と佇む、ただ黙
々と濡れそぼって。その隣では想いに沈む女が独り、
もの憂い裸身をさらしている。描線はしなやかにうね
りつつ身体を縁取り、やがてグレーの背景へと奔放に
消えて、僅かにバランスを狂わせれば、一気に崩壊す
るかのような危うさを孕む。卓上の静物、咲き誇る向
日葵、ある時は大胆に画面を走り、ある時は激しく乱
れ舞う描線の狭間に、ハッとする程に鮮やかな色点を
灯して、それらは見る者の眼を射抜く。どの絵にも、
哀しみが息づいていた。哀しみはやがて情念の渦とな
り、会場一杯に脈々と生きる鼓動を奏でた。あれほど
の困難な状況下で、いつこんな絵を描いたのだろう。
この時の「雨の降る」50号は、後日画集にも掲載さ
れたが、無念にもその凄みは捉えられていない。所詮栗
原さんの場合、印刷による再現自体が無理なのである。
それから一ヶ月後、私は再び栗原宅を訪ねた。驚いた
事に栗原さんは、大きな庭石をスコップで掘り返してい
る最中だった。思わず、大丈夫なんですか、労働なんか
されて……と申し上げたら、この石を他所に移そうと思
ってさ、と事も無げである。それからアトリエに入ると
椅子に掛けて煙草に火を点けられ、珈琲を運んで来てく
れた奥様に、俺にもくれや、と言われた。最初にお会い
した頃に比べれば、随分と小柄になられた感があるが、
あの鋭い眼は何一つ変っていない。いつ描いたかって?
去年千葉でやった後に、また胃を手術してね、その後に
描いたんだ。そりゃあ体調は悪いさ。でもこの10年、
良かった事なんて一度も無いんだから、今に始まった事
じゃない。それに、どうせやるんなら下手な個展はやり
たくないだろ。ああ、あの風景かい? あれは確か年末
に描いたんだ。あの時はあんな心境だったのかな……。
画家は淡々と話されていた。その後、どんな話の成り
行きだったか、凄い執念ですね、というような事を申し
上げたら、栗原さんは俄に厳しい表情になってこう言わ
れた、その言葉が忘れられない──もう、これで最後だ
と思って描いてるんだ。俗な言い方をすれば「命を削っ
て」描いてるんだよ。「執念」なんて、そんな甘っちょ
ろいもんじゃないんだ──私はその言葉を聞いて、栗原
さんの事を分かったようなつもりでいたが、分かってな
どいなかったなと思った。栗原さんにとって「執念」な
どという使い古されて手垢の付いたような言葉は、甘い
感傷に過ぎなかったのだろう。執念でさえ「甘い」と言
える生き方をしている人がこの世には居る、現に今、生
きて闘っている。私は、自分の言葉の使い方を恥じた。
栗原さん最後の5年間を書き留められれば、と考えて
いたのだが、紙面も残り少ないようなので、以降の3年
間はまた別の機会に譲る外ない。ちなみに翌2017年
も、更にその翌年も、更にまたその翌年も、決して良い
体調ではなかったにも拘らず、栗原さんは通常と変わら
ず個展を引き受けてくれた。年を経る毎にその作風は自
由になった。殊にその特徴ある描線は、いよいよ奔放に
闊達に乱舞した。のみならず、2017年の都内におけ
る個展では、突如目の覚めるようなピンクで画面を塗り
たくり、栗原一郎=渋い灰白色という定着したイメージ
を、自ら大胆にぶち壊した。たまたま絵の具箱の底に、
古いピンクのチューブを見つけてね、とご本人は語って
おられたが、本当のところは分からない。その年の個展
案内には、当店もピンク系の新作を使わせてもらったの
だが、作品を戴きにアトリエに伺った際は、突然ピンク
なんか使ったもんだから、気が狂ったと思っただろう、
と嬉しそうにニヤニヤしておられた。その時の掲載作品
も、今回出品される運びとなったので、これもまた一見
の価値ある作品かと思う、ご高覧頂ければ幸いである。
力強い描線で縁取られた建物の狭間を、白い街路が大
きくうねりつつ伸びて、その上には一面燃え立つような
ピンクに染まる空、それは生涯飽くなき挑戦を已めなか
った画家の、最後に咲かせた反逆の花だったのかも知れ
ない。見ていると、変わらない鋭利な眼光で語っておら
れた、栗原さんのこんな言葉が、イキイキと眼前に甦っ
て来る──若い頃、有り難くもない渾名を付けられた事
があった、「テロリスト」なんてね。まあ、せっかく綺
麗に描いた絵を、また壊したり潰したりしてたからな。
そう、今でも変わらないんだよ、その辺は。後生大事に
守りに入ったって、そこからは何も生まれないんだ。ピ
カソを見てみな、破壊の連続じゃないか。でもどんなに
ぶち壊したって、そこにはちゃんとピカソが居るんだ。
案内状に記した通り今回の出品は、過去にご購入頂い
たお客様によるものである。近年、栗原作品を手放した
い、との声がたまたま重なったが故の企画で、当店とし
ても初めての試みだ。これだけの作品を手放されるのだ
から、相当の諸事情が有っての事とお察しするが、とも
あれ、筋金入りの愛好家が選りすぐった作品ばかりであ
り、故に全点紛れもない名作・傑作揃いの展示である。
画家逝きて5年、個展を飾る小品油彩の供給が、ほぼ
絶えてしまった現状において、これだけの名品が揃う展
示は、もはや奇跡に近い。当店においても、これだけの
本格的な油彩展は以降不可能であり、故に今回は栗原さ
んの油彩を存分に堪能できる、おそらくは最後の機会と
なるだろう。私は栗原一郎という比類なき画家を語るに
際し、何度となく「画家中の画家」という形容を用いて
来た。その絵を前に、如何に言葉が虚しいかを知る時、
人はその尊称の意味を、必ずや暗黙の内に悟るはずだ。
(25.09.03)