
画廊通信 Vol.276 浮世絵今昔夢噺
毎年話題となるNHKの大河ドラマが、昨年は「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」と銘打って、江戸中期~後期を賑わした名物出版人・蔦屋重三郎の破天荒な一代記を放映した事は、まだ記憶に新しい。西暦にして1700年代後半、ご存じの如く浮世絵史の中では、喜多川歌麿や東洲斎写楽が活躍した時代であり、ちなみにあの北斎も戯作本の挿画等では、既に活動を始めていたようだ。しかしながら絵画表現において、いわゆる「葛飾北斎」としての真価を発揮するのは1800年代に入ってからなので、好敵手として鎬を削った歌川広重共々、彼らは蔦重の死後・江戸最後期に活躍した、次世代の絵師だったと言える。例えば「冨嶽三十六景」の刊行が1831年頃、当時北斎は絶頂期の只中にあったが、齢とうに古希を越え、通常なら既に死んでいる年齢であった。ところ
がどっこい、成仏なんざまるで興味なしとばかり、その
2年後には水の諸相を大胆に描き分けた「諸国瀧廻り」
を版行、名匠老いてなお意気軒昂にして、風景木版の新
風を錦絵に巻き起こしていた訳だが、ちょうどそれと時
を同じくして、恰も稀代の達人に挑戦するかの如く、新
鋭・歌川広重がご存知「東海道五十三次」を発表、折し
も庶民の旅行ブームと相まって、空前のベストセラーを
記録している。当時広重は独立したばかり、37歳の若
さであったと言う。おのれ若僧、俺に楯突くなんざ百年
早えや、と北斎思ったかどうかは知らないが、いよいよ
筆鋒冴え渡る気炎万丈の老絵師、広重の挑戦を真っ向か
ら受けて立つかのように、翌年には富嶽景の総決算たる
「富嶽百景」を刊行、これは北斎研究家の解説によると
「各図は要所要所に繊細な薄墨が施され、彫りも殊更入
念に行われており、北斎版本の中でも『北斎漫画』と並
ぶ最高傑作と評価されている」との由、北斎これで新進
絵師に一矢報いたかに見えたが、なかなかどうして広重
一筋縄では行かず、同作と相前後して、不敵にも今度は
「金沢八景」を版行、これもまた広重の傑作として評価
されている。思えば人間五十年と言われた時代、平均寿
命をとっくに過ぎた懲りない老匠と、今をときめく新進
浮世絵師との息もつかせぬ競合は、当時の庶民にとって
は血湧き肉踊る、またとない見物であったに違いない。
「冨嶽三十六景」にせよ「東海道五十三次」にせよ、多
様な諸相で画面を賑わすその風景や風俗を見ていると、
私達はそこに何の疑問もなく、典型的な「江戸」という
古き良き時代を想起する。名絵師の手によって描かれた
それらの風物が、時代の空気を生き生きと活写している
事には、むろん疑問の余地はないのだけれど、しかしな
がら幕末へと続く以降の歴史を思う時、それが太平の世
を謳い上げたと言うよりは、目紛しい激動の乱世に突入
する直前の、最後のユートピアを刻印したものであった
事が分かる。試みに「東海道五十三次」が刊行され、一
足先に発表された「冨嶽三十六景」の版行も継続中だっ
た「1833年」を起点としてみると、ペリーの来航は
ちょうどその20年後に当たる。明治維新の動乱を経て
大政が奉還され、新政府が樹立されたのが更にその15
年後、それから3年後には断髪令によって散切り頭が流
行し、その翌年には早くも横浜・新橋間に鉄道が開通、
蒸気機関車が黒煙を上げていたという次第。これを具体
的な事例で推し量れば、長屋の壁に貼られた北斎や広重
を見て育った子供が、長じて40歳を過ぎた頃には、下
手をしたら背広姿で蒸気機関車に乗っていた事になるの
だから、この時代の急激な変遷には心底驚くばかりだ。
江戸の出版界も御多分に洩れず、この時代の急流には
抗えなかったようで、北斎や広重が活躍した当時は、彫
師・摺師共に多くの職人が腕を競ったと思われるが、広
重没後10年で時代は明治となり、急激に押し寄せる西
洋化の波に呑まれて、浮世絵は次第に衰退の一途を辿る
事になる。しかし、その変転する時代の中を、連綿と代
を重ねて生き残った職人達も居た。昭和期に入って大戦
を経た後も、変わらず東京や京都を中心に工房を構え、
伝統技術を継承する職人が存在していたが、さて戦後も
10余年を経た頃から、その仕事場を何度も足繁く訪れ
ては、やたらと熱心に教えを請う一人の若者があった。
後に伝統技法を用いて全く新たな表現を開拓し「超絶の
木版」の異名を馳せる事になる、あの牧野宗則である。
顧みれば、大正から昭和初期にかけての新版画運動を舞
台に、川瀬巴水・吉田博・橋口五葉といった画家が活躍
し、当世の新しい風俗を伝統木版によって表現したが、
技法的に新しい試みも為されたにせよ「分業」という浮
世絵制作の限界を出る事はなかった。伝統木版の真の革
新は、絵師・彫師・摺師の三役を担う、牧野宗則という
版画家の出現を待って、初めて為され得たのだと思う。
浮世絵の世界では、技術はあくまでも職人の領域で、
作家のものではありませんでした。しかし作家自らが
技術を身に付けて表現を生み出す事が出来れば、伝統
木版はまた別の世界を展開出来るかも知れない、それ
を自分でやってみようと思ったのです。技術を習得す
る中で当時の職人達が、使う版数や色数・絵具の品質
や納期等々、様々な制限の中で制作していた事を知り
ました。たぶんやりたい事、試してみたい事も、充分
には出来なかったのではないでしょうか。だから自分
の作品ではその制限を全て外して、本当に自由に現代
の作品を作ろうと思いました。分業でやっていた事を
一人で行う訳ですから、どうしても作品点数は少なく
なってしまいますが、それでも伝統を用いるからこそ
日本の版画は、こういうものが表現出来るという可能
性を作品で見せる所に、私の役目があるかも知れない
と思い、作家としてやっていく決心が付いたのです。
結果として、版数を予定よりも増やしたり、自分の意
志で自由に摺りを変えたりと、自分が納得するまで制
作を深める事が出来るようになりました。もちろん、
分業のような多作は出来ませんが、その代わり現地で
絵を描いた時の感動に、長い時間をかけて色々な角度
・方向から分け入って、その感動を再体験しながら増
幅していけるのが、何よりも楽しい作業です。最近は
あまり原画に頼らないで、いきなり第一版目を彫りな
がら次の版を考え、摺り合わせをしながらその先を予
想して、版を彫り進めていく事が多くなりました。こ
のような手法から、分業の工程には有り得なかった、
未知の世界との出会いが生まれ、私は今、伝統版画が
自分の自由な思いと、一体になったと感じています。
以上は、2009年刊行の「牧野宗則全木版画集」に
掲載されたインタビューからの抜粋だが、ここで作家自
身も語るように、牧野さんは木版表現の長年に亘る探究
の果てに「絵師・彫師・摺師」の三役を同時進行させる
という、かつて誰も成し得なかった段階へと到達した。
つまり牧野さんは伝統木版という手法を用いながらも、
いつしか伝統を超えた領域へと、自ら踏み込んでしまっ
たのである。その先にどんな世界が開けているのかは、
おそらく当人でさえ知らなかったに違いないが、その後
立て続けに発表された、富嶽シリーズの絢爛たる表現を
見れば、如何に新たな地平がそこに拓かれたかは、最早
言わずもがなであろう。斯様にして、牧野さんの一歩一
歩が、そのまま新しい伝統の歩みとなる、そんな革新的
な伝統の最先端に分け入りながらも、尚その先に開ける
であろう版表現の可能性を信ずる、私の知る牧野宗則と
いう作家は、そんな徹頭徹尾「木版画」を体現した作家
なのである。もし「職業は何ですか」とご本人に聞いた
としたら、懸けてもいい、「画家」や「芸術家」という
答えは、誓って返って来ない。もしや「版画家」という
答えさえ、返って来ないかも知れない。牧野さんは即座
に、誇りを持って答えるだろう、「木版画家です」と。
牧野宗則という作家の根幹を成す、木版画家としての
揺るぎない自負、その源は上述の如く伝統木版=江戸浮
世絵木版にある。ここにも度々記した事だが、牧野さん
は「彫り10年」「摺り10年」という言葉そのままに、
15歳から35歳にわたる約20年の長きを、ひたすら
伝統木版技法の修得に費やした人だ。ちなみに最後に教
えを受けた摺師は、既に高齢の域にあった職人で、一家
代々の世襲で5代目に当る摺師だったと言うから、それ
を逆に初代まで遡れば、もう広重等の活躍した江戸末期
に行き着く事になる。つまり牧野さんにとって広重や北
斎、加えて当時の彫師や摺師といった存在は、そう遠く
ない直系の先人達であり、数代を遡行しただけで自分と
ダイレクトにつながってしまう、至極身近な同業者なの
である。そんな環境で修業を積む事によって、牧野さん
は伝統木版の生の魅力に存分に触れ得たと同時に、前頁
のご本人の弁にもあるように、その限界に関しても否応
なく知る事となった訳だ。故に牧野さんが、版画家とし
ての独立に際してまず目指した事は、伝統木版の可能性
を自由に追求するために、かつて有った一切の制約を排
除する事であった。分業の廃止然り、それに伴う墨線の
廃止然り、摺度数のアップ然り、作品サイズの拡大然
り、その他諸々の大胆な革新も含め、それはある意味伝
統への反逆であったと同時に、換言すれば新たなる伝統
の創造でもあった。そして今、牧野さんの版表現を虚心
に振り返る時、この現代の浮世絵は何を語るだろうか。
今回の画廊通信に同封した「天啓」という作品は、牧
野宗則という存在を広く世に知らしめた、有明シリーズ
全20点の掉尾を飾る名作だが、そもそも有明海に取材
した連作自体が、伝統を如何に超えるかという挑戦だっ
た事もあって、かつての浮世絵表現から最も遠い地点へ
と到達した、言わば記念碑的な作品であった。と同時に
現代木版の視点から見ても、いわゆる「木版表現」と言
った時の常識を、軽く覆してしまった作品と言えるだろ
う。そもそも伝統木版を云々する前に、これを一目見て
「木版画」と見抜ける人が居るだろうか。印刷ではとて
も再現出来ないので、ぜひ実物をご高覧頂きたく思うの
だが、この作品のほとんどは「ぼかし」と「雲母摺」の
みで創られている。元来は摺刷上の「効果」に過ぎな
かった技法を版表現の要として用い、のみならずそれを
幾層にも摺り重ねるという、かつてない斬新な技から生
まれたこの作品は、同じ有明シリーズの「久遠(これも
ぼかしの積層で創られている)」と並んで、後世に残る
木版表現の金字塔と言っても過言ではない。最早紙面も
残り少ないので、ここには牧野さんの成した革新のほん
の一部を挙げるに留めるが、浮世絵というよりは寧ろ西
洋の印象派を彷彿とさせる、この奥深い表現を目にした
だけでも、その到達した高度を窺い知る事は容易であろ
う。所詮伝統とは、守りに入った瞬間から衰える、新た
な息吹を吹き込んでこそ、また生き生きと蘇るものだ。
折も折、今月半ばから千葉市美術館において「ロック
フェラー・コレクション展」が開催される。北斎・広重
を中心とした花鳥版画を展覧する企画との由、またとな
い機会なので是非、この過去の巨匠の表現と、現代の名
匠の表現を、篤と見比べて欲しい。そして伝統を遥かに
超えつつもなお、伝統だからこそ成し得た表現を、心ゆ
くまでご堪能頂ければと思う。それにしても北斎翁と広
重師、星霜200年を越えて伝統木版が成し得たこの成
果を目にする事が出来たら、さて何を想うであろうか。
(26.01.04)