
画廊通信 Vol.278 時雨音なくて
先日鎌倉のご自宅にお伺いした折り、中西さんは病床
で描いたという十数葉のペン画を見せてくれた。果樹・
落葉・森の茂み・古い石段・野の花・庭の小景等々、い
ずれも細いペンによるモノクロームの線描である。線だ
けで描く事、無彩色である事、それらの極めて限られた
言わば自由のない制作を余儀なくされる事によって、却
って今まで気が付かなかった事が鮮明になって来た。例
えば「線」という言葉を普段はあまり考える事もなく使
うけれど、この物体と空間の境界に引かれた現実には無
い筈の「線」とは、そもそも如何なるものか、それは物
体の側に属するものなのか、或いは空間の側に属するも
のなのか、そんな事を問いながら描いていると、これは
なかなか興味の尽きないものだ。このリンゴの木を描い
た絵なんかも面白いんだ、実の部分を黒くしてしまうと
リンゴには見えない、白いままにしておくと何故かリン
ゴに見える、どうしてかなあ。この野の花の絵だって、
花を黒くすれば花には見えない、ところが白いままに残
せば花に見える、もしや色だって想像出来るかも知れな
い、この現象はそれを見る「眼」の側に何かが起こって
いる故だろうが、さてそこには何があるんだろうか……
というようなお話を、画家は実に興味深そうに語るのだ
が、たぶん中西さんは「描く」という行為の本質に関わ
るような事を考えておられるのだ。しかし、私のような
制作の側に居ない人間にとっては、まずは「問い」その
ものの共有が困難であると思われ、はあ、どうなんでし
ょう、何故なんでしょう……と、あまり意味のない相槌
を打つぐらいがせいぜいである。それはそうだろう、幾
星霜を「見る」事に徹して来た人間と、私のような単に
目が有るから見えているという程度の人間とでは、物の
見え方が全く違うのだろうから。そんな言い訳で自らの
浅慮を首肯していると、中西さんは目前に置いてあった
十数葉の中から、或る作品を抜き出して「この石には、
本当は苔が生えているんだけど、そこまでは描けないん
だよね」と、無念とも諦めとも付かない面持ちで言われ
た。庭の片隅に捨て置かれ、草に埋もれそうになってう
ずくまる丸い石塊、通常なら気にも留めないような小景
である。「色を使えば、描けるんでしょうけど」「もち
ろん。でも黒い線だけでは、如何ともし難い」、そんな
話の最中、ふいに中西さんは「しぐれおとなくて……」
と、呟くともなく呟かれた。「蕪村だけど、えらく字余
りの句でね──時雨音なくて苔に昔をしのぶかな」「い
い句ですね」「これはやはり、蕪村ならではの表現だよ
ね。芭蕉だったら、こんな言い方はしないだろう。それ
にしても『時雨音なくて』という表現は見事だね。よく
こんな所に目を付けて、こんな言い方が出来たもんだな
あ」、調べてみると「時雨」は初冬の季語で「冬の初め
降ったかと思うと晴れ、また降りだし、短時間で目まぐ
るしく変わる通り雨。この雨が徐々に自然界の色を消し
て行く。先人達は寂れゆくものの中に、美しさと無常の
心を養ってきた」と、歳時記の解説には記されてある。
肌寒い晩秋の一刻、場所は苔むした庭の一隅だろうか、
一頻りの驟雨が通り過ぎるも、一面の苔に雨は柔らかに
吸い込まれ、しじまの中に雨音は聞こえない。芭蕉の命
日を「時雨忌」という事から、おそらく句中の「昔をし
のぶ」の文節には、芭蕉をこよなく敬愛したという蕪村
の、時雨に寄せた先達への敬慕が込められているのかも
知れないが、よしんばその謂を外したとしても、この句
の醸し出す閑寂の気韻は、味わう程にしみじみと読み手
に響く。こんな情景を描きたかったのだけれど……と、
画家は言いたかったのだろうが、確かに絵には時雨も苔
も描かれてはいない、しかしながらそこには、蕪村の句
に共通する深い寂寞が在り、時の止まったような静穏が
在った。誰も目に留めない庭の隅で、ひっそりと草に埋
もれる古の石塊は、ただ坦々と丸く穏やかな姿で座し、
一人永遠の沈黙の中で、遥かな昔日を偲ぶかのようだ。
昨年中西さんは、年頭に体調を崩されて急遽入院とい
う事態に見舞われ、幸いそれは短期で済んだとの事だっ
たが、そうとは言え退院後の日にちがあまり無いという
状況下、恒例となった当店における春の個展は、通常通
りにやらせて頂くという経緯が有った。後日のお話によ
ると、個展終了の後も度々の検診を余儀なくされ、それ
に伴う長く困難な治療が続いたとの由、それでも銀座の
「ギャラリー桜の木」における個展は、予定通り秋の盛
りに開催され、作家も治療の合間を縫って、会場に足を
運ばれたとの事である。その折りに中西さんは、来場さ
れたお客様に向けて、数頁の小冊に自らの思いをしたた
められた。例によって私は連日の慌ただしさに紛れ、会
場に赴く事は出来ず仕舞いであったが、過日それを拝読
するに及んで、この便りは上記のギャラリーのみならず、
全てのファンに向けられたものと思えたので、以下にそ
の全文を掲載させて頂く事にした。なお原文は、作家ご
自身の手書きによるものであった事を附記しておきたい。
私はよく “描きたいものを、描きたい風に描いていく
だけだ” と、いってきました。それは今も、かわりあ
りません。こういうと何か自信ありげにきこえるかも
しれませんが、決してそうではなく、自分の仕事をこ
れでいいのか、世でいうところのもっと創造的で、個
性あふれるものを目指すべきでは、などと考えたりし
ました。しかし芸術上の仕事は、詰まるところ自己の
“一心” に頼るしかないと、半ば諦めからの頼りなげ
な決意でしか、なかったのかもしれません。
世に、美しく匠みな作品は多くあります。それに比し
て、私の作品は “拙い” ものだと思っております。し
かし、自己の一心を頼りに、卑下するでなく、尊大に
ふるまうでなく、素直に進んでいけば、どこか美しい
“誠拙” と呼ばれる世界に近づいていけるかと念じて
仕事を続けてきました。そんな頼りなげな足取りの背
中を押して下さったのが、私の作品に何かいいところ
を見い出し、ギャラリーを通して親しくさせて頂いた
皆様方、回を重ねて会場に足を運んで頂き、また作品
を手元において頂いた皆様方に他なりません。
一茶の句に “月花や四十九年のむだ歩き” という句が
あります。私はすでに七十八になります。 “七十八年
のむだ歩き” と捨ておかれても仕方のないものを、拾
い上げて頂いたことは、あらためて幸運なことであっ
たと思っております。
情報というものは “あるところ” から “ないところ”
へ伝わるものですが、情感(特に芸術上の)は “ある
ところ” から “あるところ” へしか伝わらないもので
“ないところ” へは決して伝わらないものだと思うの
です。美しいですね、いい光景ですね、と私がさしだ
したものを、そうね、といって下さる。そこには作品
を創る者と見て頂く方とのありようはちがいますが、
同じ心情が流れていると思っております。そしてそれ
は、明るく幸せな語らいだと思うのです。ながきに渡
って、本当にありがとうございます。
終りにそんな出会いの数々を、かくも永きにわたって
創り続けて頂いたギャラリーとスタッフの皆様に、深
く感謝申し上げます。又、身近で支えてきてくれた妻
にも、感謝を伝えたいと存じます。
ご一読、ありがとうございます。
中西 和 2025年10月18日
「時雨」を詠んだ句は古今に数有るようだが、その多く
は雨音の齎す印象や、雨の冷たさや肌寒さ、或いは晩秋
・初冬という季節に特有の、枯れた寂寥の匂いを眼目と
している。その一々をここに挙げる余裕はないが、つま
りは「時雨」という現象に、視覚・聴覚・嗅覚・触覚の
五感ほぼ全てを用いて、概ねの作者は向き合っているよ
うだ。それを鑑みる時、前述した蕪村の句は、極めて特
殊な佇まいを見せる。時雨音なくて苔に昔をしのぶかな
──と反芻する程に、そこには聴覚が用いられていない
ばかりか、他作家が盛んに強調する肌寒さ=触覚や、季
節に特有の匂い=嗅覚さえもが、綺麗に消し去られてい
る感がある。そう考えると、蕪村がこの句を創るに当た
って用いた感覚は、ただ「視覚」のみとも言える。音な
き雨足だけを唯一の動きとして、後は全てが深閑と静止
した風景、その視覚だけに特化された風景が、何故かし
ら読み手の心中に、様々なイメージを呼び起こす。感覚
が絞られる程に受け手の心奥では、遠い記憶が豊かに表
層へと浮上するのだろうか、私はこれと同じような感応
の体験を、長年中西さんの絵と付き合わせて頂く中で、
幾度も味わわせてもらって来た。言うまでもなく絵画表
現は、そもそもが視覚のみに特化されたものだが、しか
しながら誰もが経験するように、優れた絵画は視覚以外
の感覚をも瑞々しく喚起する。例えば中西さんの描く花
は、正しく匂うが如くであるし、果実や陶器はその手触
りを、見る者に有り有りと想起させる。ただ「音」だけ
は綺麗に消し去られ、聴覚を必要としないものが多いよ
うに思える。むろん、風に揺れる草叢のさざめきや、渓
流の清らかなせせらぎが、正に眼前から響き出すような
作品も在るのだが、片や泰然と横たわる一本の独活はど
うだろう、或いは肌に仄かな光を浮かべて佇む一壺はど
うだろう。清々と乾いた一束の素麺、黙として動かざる
質朴の木箱、豊穣に撓む一房の稲穂、事例を挙げればま
だまだ切りが無いが、押しなべてこれらには如何なる音
もなく、画面は何処か奥深い気韻を湛えつつ、悠久とも
言えるしじまに満たされている。斯様な中西さん特有の
世界にあって、おそらく「音」とはどんな微音であれ、
所詮は俗世の喧騒に過ぎなかったのだろう。先の便りの
中で「どこか美しい “誠拙” と呼ばれる世界に近づいて
いけるかと念じて」云々と、画家は極めて謙虚な吐露を
されていたが、私の知る限り中西さんの画境は、当初か
ら既に完成されたものであった。それはまた今に到るま
で、些かの揺らぎも見せる事が無かった。換言すればそ
の画境とは、美しい音さえも妄念と思わせる程に、あら
ゆる喜怒哀楽を超えて清らかな、深く澄み渡る楽土であ
る。とは言え、それは決して高遠なものには非ず、あた
かも蕪村が卑近な苔むした庭の隅に、いつか音の消えた
昔日の余情を見たように、中西さんの描き出す清浄の幽
境もまた、ありふれた日常の中にこそ位置を占める。思
うにそれは、何と安らかな寂光に満ちていた事だろう。
冒頭にも記したように、中西さんは病床にあってなお
絵画の奥義を模索されていた。描く程にそれは新たな興
趣と共に、更なる問いを育むものであったのだろうか。
かつて画家は作品集の中に、ギュスターヴ・ティボンと
いう哲学者の言葉を引用されていた。「光というものは
開かれたばかりの眼差し、或いは正に閉ざされようとす
る眼差しにしか、その完全な純粋さにおいて示されない
ものである」──どんなモチーフでも良い、それを目前
に置いた時に、もしそれを今までに一度も見た事が無か
ったとしたら、或いはそれを二度と再び見る事が出来な
いとしたら、画家はどんな絵をそこに描くだろう。腐る
ほどに見慣れた日常を、もしそのように見る事が出来た
としたら、その時こそ世界は真の姿を垣間見せる。中西
さんは、正にそのように絵を描いて来た。故にその眼差
しは目前の楽土に、今も真誠の光を見据えて尽きない。
(26.02.25)