
画廊通信 Vol.280 山の向こうに
先日榎並さんがブログの中で、私との出会いについて
書かれていたので、せっかくだからここに掲載させて頂こうと思う。文中で榎並さんは、私を硬骨の士の如くに語っておられるので、結局それを自慢したいだけじゃないかと言われれば、それも一理あるので反論はしない。しかしながら、そんな格好の良い者ではない事ぐらい皆様よくご承知の通りだし、実はこの原稿を書いている今現在、現行展示会の成績が思わしくない事もあって、強力な自己肯定を必要としている時期でもあるので、これも罪のない自慢と思いなして、寛大なるご容赦を頂ければ幸いである。という訳で、以下は画家のブログから。
山口さんとはネット経由で知り合った。私が山口画廊
が毎回の企画で書かれている画廊通信に感動して、無
断でシェアしたことから始まった。元々山口さんは権
威みたいなものが大嫌いで高学歴とか団体展の作家に
はあえて声を掛けない。自分の眼力だけで作家を選ん
でいる節がある。個人の開く画廊だからそれでいいの
だが、一人前の社会人として幸福にリタイヤして趣味
で自宅を改装して開廊しているなら良くある話だが、
山口さんはバリバリの現役の画商です。故に、なかな
かそれだけでは商売として成り立たないだろうと他人
事ながら心配するのだが、当の本人は至ってのんびり
と構えていて屈託がないようにみえる。実際は毎回青
息吐息で自転車操業そのものだそうだ。知らんけど。
以前にも書かせて頂いたのだが、榎並さんとの出会い
は展示会でもなければ美術誌でもない、上述の通りウェ
ブ上で拝見したのが機縁であった。不勉強ゆえ初めて耳
にする名前だったが、その作品に何か惹かれるものがあ
って印象に残り続けたので、後日こわごわメールをお送
りして、作品の資料を見せて欲しいと頼み込んだのが、
初めてのコンタクトである。きっかり一週間後、幾冊も
の作品ファイルの詰め込まれた段ボール箱が、画廊にで
んと届いた。その日は確か所用が立て込んでいて、梱包
を解いただけで終わってしまい、明日ゆっくり見せて頂
こうと思いながら一日を終えたのだったが、翌日どうし
た訳か朝から腹が痛い。ご存じかどうか、胃が痛い・首
が回らないなんて事は、借金のある人間にはよく有る症
状なので、どうせその類いだろうと思って放っておいた
ら、だんだん背筋も伸ばせなくなるようである。仕方な
く背中を丸めつつ画廊へ行って、更に背中を丸めつつ接
客に臨み、いよいよ背中を丸めつつ前日の段ボール箱を
開きかけた辺りで、遂ににっちもさっちも行かなくなっ
た。止むなく画廊を閉めて妻に車を出してもらい、助手
席で丸くなって、ほうほうの体で病院に辿り着いてみた
ら、今すぐ入院しろとのお達しである。展示会中なので
今すぐという訳には……と抵抗を試みたら「死にたかっ
たら、その展示会とやらが終わった後でも結構ですが」
というご返答、それも困るので急遽入院の運びとなって
しまった。どうやら急性膵炎だったようで、約一ヶ月の
絶食である。幾日かを経て症状が落ち着いた頃、例の開
かずの資料を持って来て欲しいと私は妻に頼んだ。翌日
分厚いファイルをびっしり詰め込んだ紙袋を両手に下げ
て、汗を拭き拭き「重かったのよねえ」とブーブー言い
ながら来院した妻をなだめつつ、私は長らく会えなかっ
た作品資料に、やっと対面する事が出来たのであった。
思えば長い入院の間、私は常に榎並さんの作品集と共
にあった。しばしば活字を追う事に疲れた時など、ベッ
ド脇の窓際に積み重ねたファイルを、私は何を考えると
もなしに眺めた。修道士、旅芸人、楽師、放浪者……、
どことなく中世のイコンを思わせるような作中の人物達
は、喧噪を極める現代という時空を離れ、どこか名も知
らぬ異境の地から、その想いを静かに馳せるかのように
見える。それでいて、どの時代というのでもない、どこ
の国というのでもない、それは時と場所という限定を超
えて、表層の変動が及ばない内なる領域を、変わらない
何かを求めて真摯に歩み往く、作家自身の姿なのだろう
か。それはまた、きっと誰の心にも居るだろう、精神の
果てなき道程を歩む、あの遥かな旅人の姿にも見えた。
ただ「見る」という事、余計な知識も論評も全て取り
払い、ただ虚心に「見る」という事──ほぼ一ヶ月に亘
る間、それしか出来ないという状況に置かれ、私は否応
も無くその「見る」という行為に、何の障りも無く没頭
する経緯となった。そして作品をひたすらに見入る内、
見られているこれらの絵もまた、作者自身のひたすらに
「見る」という行為から、自ずと生まれ出たものではな
いかと思った。そこには自身をゆったりと何処までも見
つめ往く、深い内省の眼があったからである。退院して
数日の後に、借りっ放しだった資料の返却をやっと終え
た翌日、こんな温かなメールがパソコンに入っていた。
お元気になられたようで良かったですね。資料が届い
て直ぐの入院だったので、何かしら見てはいけない物
を見たせいかも知れないと、密かに危惧しておりまし
た。でも良くなったようで、ちょっと安心しました。
少しゆっくりしろという暗示かも知れませんね。その
内にお会い出来る事を、楽しみにしています。 榎並
画家と実際にお会い出来たのは、それから程ない晩春
の砌である。ご自宅から直ぐの所に駐車場があって、そ
こに車を停めた瞬間、道路脇からけたたましい咆哮が湧
き起こった。何だ何だと顔を向けると、薄汚い飼い犬が
猛り狂ったように喚き散らしていて、ウ~ウ~ワンワン
ギャオギャオと、正に一瞬の間隙もなく吠え続けるその
エネルギーは、尋常ではない凄まじさだ。私も若い時分
は営業で外を回っていたので、頭の悪い犬には随分と出
会って来たが、これ程までに極め付けの駄犬は初めてで
ある。恨み骨髄とばかりに吠え立てるその馬鹿面を見て
いると、一体俺が何をしたと言うんだ、無辜の民をここ
まで愚弄するとは不届き千万、いっそ三途の川向こうま
で蹴り飛ばしてくれようかとも思ったが、まあそういう
訳にも行かないので、ギャンギャンワオワオと一向に止
まない狂騒を横目に、榎並邸へと向かったのであった。
何故こんな詰まらない話をしているかと言えば、それか
ら毎年駐車場に着くその度毎に、欠かさずそいつの出迎
えを受ける羽目となり、故に画家宅の訪問と駄犬の大騒
ぎは、私の中で一対となってしまったからである。よっ
ていつしかその狂乱の怒声を耳にすると、ああ、今年も
甲府に来たんだなあと、変な感慨さえ覚えるようになっ
てしまった。10年以上通ってもまだ懲りずに喚き続け
ているので、一体いつになったらこいつは死ぬんだろう
と、摩訶不思議な気さえしていたのだが、近年駐車場が
他所に移ってしまったため、そいつにはパッタリと会え
なくなった。おかげで不愉快な思いはしなくて済むよう
になったが、そうなればそうなったで、何やら物足りな
いものだ。後日、榎並さんにその馬鹿犬の話をしたとこ
ろ「そうそう、ひでえやつだよなあ、あいつは」とおっ
しゃっていたので、私のみならず誰にでも喧嘩を売って
いた模様である。いい加減死んだだろう、冥福を祈る。
以上、最大限の親情と共に哀悼の意を表したが、ふと
我に帰れば、貴重な紙面を無駄話に割いてしまったよう
だ。遅まきながら話を戻せば、この日初めてお伺いした
榎並邸は、余計な装飾を排した質素な佇まいながら、古
い家具や什器が諸処に置かれた、とても趣味の良いお住
まいであった。そのゆったりと落ち着いた空間で、香り
高いアールグレイを戴きながら、様々なお話を聞かせて
頂いた一時は、今でも温かな記憶として私の中に残って
いる。本来はこの時にお聞きした事を、この場に書かせ
て頂くべきなのだが、例の駄犬のせいで紙面も残り少な
いゆえ、今回は最も印象に残った言葉だけを引いておき
たい。榎並さんはこのように語られていた──今は「大
いなるもの」「答えてください」「声を聞く」、この3
つのテーマで描いています。絵画に限らず芸術というも
のは、結局は「祈り」の表現ではないでしょうか……。
あれから約18年の歳月が流れて、当初の宗教的なモ
チーフを直接に描き出したものから、現在の何気ない日
常の情景が散見されるものへと、画家の作風も緩やかな
変遷を辿って来た。しかし、その奥底を流れるものに思
いを致せば、直接・間接の違いは有るにせよ、そこには
変わる事なき脈々たる底流が潜在する。人は日常の此処
彼処に細やかな祈りを宿し、日々の暮らしの至る所に質
実の祈りを見出す、斯様に祈りとは私達の日常と共に有
る事を、榎並さんの絵画は無言の内に語って止まない。
いろはにほへとちりぬるを 色は匂へど散りぬるを
わかよたれそつねならむ 我が世誰ぞ常ならむ
うゐのおくやまけふこえて 有為の奥山今日越えて
あさきゆめみしゑひもせす 浅き夢見し酔ひもせず
今回の個展に榎並さんは「あさきゆめみし」というタ
イトルを冠した。むろんこの言葉は、日本人であれば誰
もが知る「いろは歌」の一節だが、せっかくなので上に
全文を挙げてみた。ご参考までにその概要を記せば──
匂い立つ花もいずれは散るように、この世の誰もが無常
からは逃れられない。ならば今日「有為」の山々を越え
れば、浅はかな夢にも惑う事はない……という程の意味
になるだろうか。要するにこの歌は、無常という悲哀か
らの解脱を歌った、極めて仏教的なものと解されるが、
榎並さんはここに画家の生き方・歩むべき道を読んだ。
以下は榎並さんがこの歌に寄せた、随想の一節である。
このところずっと考えていた結論が、ここに書かれて
いた事に驚いた。どういう事か? 要するに、上手く
描こうとか、有名になろうとか、売れようとか、それ
は絵の道ではない。絵の道の極意とは、有為な浅い夢
など見ないで、自分に酔う事もなく、ひたすら描いて
無為に至る事であると。具象であれ抽象であれ「いい
絵」を描く最低の条件は、作者の無為な行為なのだ。
ここでポイントになるのは、歌中の「有為の奥山」と
いう言葉である。有為とは「有為転変」という熟語も有
る通り「無常」と同じ謂だが、榎並さんはそれを様々な
煩悩の為せる業=不安定に揺れ続ける作為という意味に
敷衍している。そしてその浅薄な作為を超えて無為に到
る事こそ、絵の道の極意なのだと言い切る。無為とはあ
るがままである事──この意味を改めて思う時、多くの
美術家は「制作」の観念を、延いては「表現」の意義を
覆されるだろう。制作とは私という固有の作為であり、
表現とは即ち個性の発露であると、そう考えて疑わない
作家が大半と思われるが、その理念自体が有為な浅い夢
に過ぎないのだと、画家はそう語るのである。思えば個
性という言葉に、私達はどれほど惑わされて来た事だろ
う。各々ありのままの姿が個性であるのに、人と違った
作為を衒う事が個性なのだと、そう履き違える人々の何
と多い事か。対して、榎並さんの制作は至って無理のな
い、悠揚とした大らかな詩情を湛える。画家の内省の眼
は、有為の奥山を越えたその先に、いつか無為の郷を見
出したのだ。故に暫くも絵の前に佇めば、そこはかとな
く響いて来るだろう、あの曇りなきいろは歌の調べが。
(26.05.02)