画廊通信 Vol.176 個性と沈黙
今日ほど言葉の持つ力が大きくなったことは、かつてありません。人類は言葉の帝国のもとで、西暦2000年代に踏み出そうとしています。極めて重要な意味と権威、それに自由意志を持った言葉が、これほど数多く使われている時代はかつてありませんでした。現代生活はまさに、巨大なバベルの塔です。新聞、読み捨てられる本、宣伝用のポスターによって作り出され、虐げられ、神聖化された数多くの言葉、ラジオ、テレビ、映画、電話、設置されたスピーカーから流れ出る話し言葉や歌、通りの壁に下手な字で大きく書かれた絶叫、薄暮の中、耳元でささやかれる愛の言葉。そう、大きく敗れ去ったのは沈黙です。言語は名付け親の手もとを離れてバラバ
ラになり、混ざり合い、混乱し、グローバルなある言語
に向かって、押しとどめようもなく突き進んでいます。
これは、先日読んだガルシア=マルケスの講演集に載
っていた一節だが、1997年のスピーチとあるから、
インターネットが世界を覆い尽くす以前の言葉である。
メキシコでスペイン語圏へ向けて語られたものらしく、
時代を超えて大きく共通する部分がある一方で、場所や
情勢の隔たり故か、現在の日本語圏とはかなり異なる部
分もある。今の日本を知る識者なら、冒頭の一行はこう
書き換えるだろう、「今日ほど言葉が軽くなったことは
かつてありません」。上述のスピーチから約20年を経
て現在、ライン・ツイッター・フェイスブック・インス
タグラム等々、膨大な擬似コミュニティーが電脳ネット
ワーク上に氾濫し、それに伴い、吐いたと同時に消えて
ゆくだけの無数の取るに足らない言葉が、言語文化を急
劇に侵蝕してその重さを激減させた。今や安易な軽佻の
日常会話が書き言葉に取って代わり、書き言葉だけが持
つ妙味も情趣も陰影も、急速に失われつつある。よって
マルケスの言う「きわめて重要な意味と権威、それに自
由意志を持った言葉が、これほど数多く使われている時
代はかつてなかった」というような状況は、今の日本に
は該当しない。ただし、現代の瑣末な日常言語が、メデ
ィア上では極めて重要な意味と権威を持つ事もまた事実
なのだから、マルケスの言葉もまた、逆説的には真とい
う見方も出来るだろう。現代との相違はその位にして、
20年を経ても全く変らない真実、いや、むしろ20年
後を正しく予見したとさえ言える言葉が、同じ言説の中
にある。「そう、大きく敗れ去ったのは沈黙です」、こ
うマルケスが語る時、あらためて私達は現代における沈
黙の消失を知る事になる。省みれば発信の側であれ受信
の側であれ、押し並べて両者共々に、現代は安直にして
浮薄な言葉を騒ぎ立ててやまない。けたたましい喧伝よ
りは黙示するという事、牽強の解釈よりは黙して味わう
という事、思えばそれは芸術の根幹を成す行為であるの
に。だから今や「芸術」という言葉も意義も死して、サ
ブカルチャーとの境界も消滅し、単なるお遊びに過ぎな
い軽薄な表現の跋扈を、単簡に許してしまうのである。
それでも今、強靭な沈黙の力を復興出来るのは、やはり
芸術を措いてない、そこにしか原点への回帰はない、美
術もまた然りだろう。そのような状況下で今、あらため
て「中西和」という芸術家に思いを致す時、ひたすらに
地道なその創作と来し方は、いよいよその輝きを増すか
に思える。本当は「地道」よりは「孤高」と書いても良
い位なのだが、ご本人がそんな大仰な形容を嫌うので、
あえてそう書いたまでである。思えばその作品に、あれ
ほどの清らかな沈黙を湛え得る作家が、他にどれほど居
るのだろう、あの澄み渡るような沈黙を描き得る人が。
中西さんの世界が、他作家と大きく隔絶する所以は、
その無私にあると思う。自我の主張を離れ、個性の誇示
をとうに捨てたが故の「無私」である。と言うよりは中
西さんの場合、正にその立脚点にこそ創作の源泉がある
と言っても過言ではない。それ故に中西さんの世界は、
あのような特異にして奥深い沈黙を、清らかに湛える事
が可能となるのだろう。それはおそらくは近現代の芸術
に特有の、自我や個性といった一種の迷いとも言える概
念を、きれいに離脱して始めて達し得る、ある種彼岸の
香りを孕んだ沈黙なのだと思う。5年ほど前の同欄に、
このように書いた事がある──芸術表現とは、個性の発
露に他ならないと信じる創作家は多いが、実はその個性
という曖昧な概念の大半は、狭隘な我執に過ぎない事を
知る者は少ない。中西さんは、そのやっかいな我慢偏執
という煩悩を、ある日さっぱりと捨て去った作家だ。正
にその地点から、中西さんの世界は始まっている。個性
から解き放たれた個性、言うなればこの背理こそが、中
西和という画家の根幹を成すように思えてならない──
こうして今読み返しても、いささかもこの思いは変らな
いようだ。現代はことさらに個性の尊重が叫ばれ、個性
の讃美が随所に散見される。よって「オンリーワン」と
いうような都合の良い言葉が好まれ、「私はこういう人
だから」という自己弁護が大手を振って歩き、下手をす
れば年端も行かない子供にまで「彼の個性だから」と言
ってその放縦を許す。しかし、あたかも免罪符のように
使い回される当の言葉の意味を、あらためて正面から問
われたとしたら、満足に答えられる人は少ないだろう。
以下は「ゴッホについて」と題された、小林秀雄の講演
CDからの聞き書きである。ちなみに中西さんは小林秀
雄を好まれないので、きっと「またか」とウンザリされ
ている事と思うが、その辺りは平にご容赦を願いつつ。
普通に我々が「個性」と言っているものは、実は個性
なんかじゃない、あんなものはただ「人と変っている」
という事なんです。だから芸術家の個性というものは、
我々の考えているような意味ではない、少なくともゴッ
ホにとってはそうじゃなかった。私の鼻がとんがってい
るというのは、私の個性ですか?それはオリジナリティ
ーとは言えない、スペシャリティー、特殊性です。そん
な誰にだってあるようなもの、それは強制されたもので
す。ならば、そんなものは突破して克服しなければなら
ない。だから芸術家の個性というものは、必ず努力の結
果、そういう強制された個性を克服したものです。そん
なものを乗り越える精神、それが本当の個性でしょう。
優れた芸術家で、自分の鼻を自慢した奴など一人もいな
いんです、これは与えられたものなんですから。とんが
った鼻を持ってしまったにもかかわらず、俺はこういう
普遍的な事が言える、というのが芸術家でしょう。これ
は、みんな間違える事なんです。特に浪漫派芸術が始ま
って以来、誰でも個性を表したいという欲求が強くなっ
た。だから「俺は鼻が高いぞ」というような自慢を、個
性だとはき違える。単に「変っている」という事、それ
はクセと同じで自慢になる事ではない、変ったものは皆
征服しなければならないものばかりなんです。だからゴ
ッホの手紙を読んでいて一番感じるのは、あの人の公平
無私、私の無い所なんです。最も仮借ない批判は、自分
に向けられている。自分のクセだとか考え方だとか、そ
ういうものは皆、いわゆる個性的、偶然的なものです、
彼の精神から見ればね。そんなものは克服して、俺の感
情が万人の感情にならなければならないような、そうい
う感情を掴まなければ、芸術家とは言えないでしょう。
以上ほんの抜粋だが、小林秀雄の論考をこの機会に引
いてみた。むろんゴッホと中西さんとでは、それこそ個
性が違い過ぎて、あまり共通する要素も無いだろうけれ
ど、ただ一点、その「無私」の精神だけは同じである。
だから小林秀雄のゴッホを語る言葉は、逐一そのまま、
中西さんを語るようにさえ思えてしまう。よって、これ
以上の長広舌は蛇足になるだけなので、ここでは中西さ
んの在り方と言おうか、その立脚点が最もよく示されて
いると思える一例を、最後に挙げておくにとどめたい。
5年ほど前に発刊された画集に「詞華集」と題された
一章があって、自選した古今の詩歌に絵を組み合せると
いう、いわゆるコラボレーションの試みが掲載されてい
た。この種の試みは、読解の浅深が如実に露呈してしま
う事もあって、普段とは別種の緊張を画家は強いられる
ものと思うが、中西さんは実朝や西行といった古典から
現代に到るまでの広範な詩歌を取り上げて、異なる分野
の響き合いから生じる妙味を、むしろ楽しまれているよ
うにさえ見えた。遅き日のつもりて遠き昔かな──その
中にあった与謝蕪村の句である。調べてみると60歳頃
に詠まれたものらしい。ここでの難関は、言うまでもな
く「つもりて」という言葉の意味する所である。上句の
「遅き日の」を受けて「春の日長が積る」と解し、詞書
にも「懐旧」とある事から、幾年も重ねられた星霜の彼
方に、最早帰らぬ昔日の遠きを思う、というのが通常の
釈義らしいが、はたしてそうだろうか。確かにそう解し
ても間違いではないのだろうけれど、でも更なる紙背に
分け入れば、そこに語られない何かが有るような気もす
る。どうにもその示唆するものが分らず、ただその句を
反芻している内に、こんな光景がふっと浮んだ。春の野
辺である。陽は大分傾いてはいるが、穏やかに和らいだ
大気は未だ麗らかな名残を宿している。こんな茫洋の午
後に独り佇み、あるいは坐する時、ふっと何もかもが遠
のく事はないだろうか。浮世の尽きる事なき雑事に追わ
れ、救い難き煩悩にまみれ、否応もなく流されて来た歳
月、それらつい先刻までの、澱のように積った長い時の
堆積、その全てが瞬時、遥かな昔日のように遠のいて、
後にはただ春の緩やかな大気に、とりとめもなく遊ぶ自
分が居る。その時の心持ちを、さて何と言えば良いのだ
ろう。むろん寂寥ではない、諦念でもない、蕪村自らが
「懐旧」としたためてはいても、なお表し切れないある
言い難い情感、おそらくは彼岸から現世の此岸を眺めれ
ば、そのような心持ちになるのだろうか、そこには楽土
の寂静とでも言うべき、何処までも安らかな地平が広が
っている。「つもりて遠き」という言葉に、ある春の午
後にゆくりなくも開いた、そんな夢のような異界を見た
ような気がしたのだけれど、これも独りよがりの夢なの
だろうか、あまりにも平素な蕪村の眼差しから見れば。
この句に中西さんは、故郷大和の風物なのだろう、一
面のレンゲ畑を配した。上方に一本細い畦道が伸びて、
花の上をちらほらと白い蝶が舞う、後は見渡す限り、無
数の花々が画面を埋め尽くす、ただそれだけの風景であ
る。何をてらうでもない、何を言い立てるでもない、蕪
村の句をどう解釈したとか、それをどう表現につなげた
とか、そんな事さえ賢しらな空理に思えるほど、それは
淡々と平素である。見ていると蕪村の黙して語らなかっ
たものを、中西さんもまた穏やかな沈黙で受けているよ
うにも思え、それはあたかも昔々、釈尊が華を拈って示
した無言の仏理を、弟子の迦葉だけがただ微笑んで受け
たという、あの「拈華微笑」の故事を彷彿とさせるが、
そんな話も中西さんなら「何を大げさな…」と一笑され
るに違いない。この一切の声高な顕示を排した、清らか
に澄んだ沈黙こそが、正に中西和という画家の個性なの
だと思う。それを無私と呼んでいいのなら、人は「私」
という余計な堆積のない、ただ安らかに解き放たれた楽
土を、きっと絵の中に見出すだろう。そこでは折しも有
るか無きかの春の風に、無数の花々がまどろんでいる。
(18.02.15)