279th Exhibition
── ひとひとのあわい ──
第17回 榎並和春展
2025年 04月24日 (木) 〜 05月11日 (日)
※ 04月26日(土)・27日(日) 作家在廊
古希を過ぎた。時と時、日と日、人と人の間を生きゆく中で、何処に行くのか、行き着くのか、未だに何も見えない。たぶん最後までやり通しても、完成することはないだろう。ただ描き続けること、そして描きゆく中で問い続けること、それが私の目的なのかも知れない。
~ 榎並和春
榎並 和春 Enami Kazuharu (1952〜)
「もう既に分かっている事を描いても、面白くない。
それよりも、何故それに引っかかりを感じたのか、
その『想い』の中味を知りたい。
そして、それを選んだ自分を知りたいと思う」
あたかも長い歳月に風化された石壁のような、深い趣を湛える地塗りの上に、どことなく古いイコンを思わせる人物像が、茫洋と静かに浮かび上がる。修道士・旅芸人・楽師・道化師、そして何処へ向かうとも知れない放
浪者等々、そのどこか中世的な作中の人物像は、見る者
をいつしか、ゆったりとした瞑想の時空へといざなう。
思索する画家、榎並和春。未知なる魂の形象を求めて
ひたすらに自己を掘り下げる内に、その世界は表層的な
虚飾を離れた、より根源的な領域へと到る。作風の深化
に伴って技法も大きく変化し、初期の構成的な油彩表現
から、一年間のイタリア滞在を境に、アクリル・エマル
ジョンを自在に用いた、独自の混成技法へと発展した。
現在は麻布や綿布を貼付したパネルに、壁土やトノコ
等を塗り重ねて下地を作り、インド綿等のコラージュを
自由に交えながら、墨・弁柄・黄土・金泥・胡粉等々、
様々な画材を用いて地塗りを重ね、やがてそこに浮かび
上がるフォルムを捉えて、独特の人物像を現出させる。
おそらくは、その幾重にも絵具を塗り込み、かけ流し、
たらし込み、消しつぶし、また塗り重ねるという作業の
中で、来たるべき「何か」を飽く事なく求め続ける事、
それが榎並和春という画家にとっての「描く」という行
為に他ならないのだろう。それはまた、画家がイタリア
の古い教会や祠で出会い、心打たれた幾多の無名画家達
に寄せる、時空を超えたオマージュなのかも知れない。
表層的な特異性のみがもてはやされ、精神性が大きく
欠落した現代の美術界において、真っ向から精神の内奥
を指向し、始原の祈りを希求する榎並和春の存在は、こ
れからいよいよその意義を増して行くものと思われる。