ピティリアーノ        油彩 / 4F
ピティリアーノ        油彩 / 4F

画廊通信 Vol.108               十年

 

 

 画廊をオープンして、十年の歳月が流れた。当初は、

みっともないから一年は持たせなければ位に思っていた

のだが、あれよあれよという間に一年が過ぎてしまい、

それなら石の上にも三年、何としても五年、這いつくば

っても七年、野垂れ死んでも十年、と自らをやみくもに

叱咤激励しつつ、日々危うい綱渡りにせっせと励んでい

る内に、遂に十周年を迎える運びになってしまった。と

は言え、その内実はとても「経営」なんて言えた代物じ

ゃなく、その場その場をただ青息吐息でしのいで来たに

過ぎず、それが証拠に代償として積み重ねた借金は、い

よいよ年季が入ったか一向に減ってはくれず、正直言っ

て借りるも返すもいい加減飽き飽きしているのだが、先

方は残念ながら飽きてはくれない模様である。

 それはさておき、この十年の記録をざっと申し上げる

と、開催した展示会は今期で通算120回、しかもその

全てが画廊の企画による「個展」、よってグループ展・

名品展・セール等の類いは一度もなしというのは、手前

味噌ながら極めて異例の足跡である。その間、計24名

の芸術家を取り扱わせて頂き、そのほとんどをリピート

してご紹介して来た。この際だから、自画自賛ついでに

はっきりと申し上げるが、取扱作家には絶大な自信があ

る。地元の先生でお茶を濁した事一度もなし、どの作家

も全て、紛れもない「一流」である。もしたった今、銀

座・京橋界隈に出店したとしても、近辺にひしめくあま

たのギャラリーには、決して負けない自信がある。それ

だけの素晴らしい画家を、私は分不相応にも扱わせて頂

いて来た。こんな無名の力なき画廊に、個展の開催を了

承してくれた画家のご好意に対し、この場を借りて三拝

九拝・平身低頭、心からの感謝を申し上げたい。

 

 中でも斎藤さんには、最も多くの個展をお願いして来

た。今回で16回目という事は、一年に二度お願いした

年が何度もあるという事だが、他の予定も色々と立て込

んでいたにも拘らず、その都度斎藤さんは誠実な対応で、

質の高い作品を提供してくれた。

 個展の2~3ヶ月前にお伺いすると、斎藤さんはたい

がいジーンズにボサボサの頭で出て来られて、「いや~、

なかなか描けなくてねえ」等と言いながら、自ら淹れた

コーヒーを出してくれる。それから1~2ヶ月ほどを経

て、案内状に載せる新作をいただきに上がると、アトリ

エの壁にはまだ絵具の乾いてない新作がいつも数点掛け

られていて、その見事な風格と独特の情趣にしばし見と

れつつ、私は画家がまた一歩新たな境地へと、歩を進め

られた事を知るのである。斎藤さんはその脇で、いつに

なく晴れやかな笑みを湛えながら、「この半月ほどで一

気にはかどりましてね、今朝も3時から描いてたんです

よ」等々、疲れも見せず快活に語っている。

 何でも、海外の取材から帰って来ても数ヶ月の間は、

見て来た実際の風景の印象が消えず、そこからなかなか

抜け出せないのだと言う。それが心の中で徐々に熟成さ

れて来て、いつかふっとある一線を超えた時、「斎藤良

夫」としての内なる風景が立ち現れる、そこから先は早

いのだそうだ。画家が現地で描いて来たという素描と、

後日制作された油彩作品とを見比べてみると、その違い

が明瞭に分かる。素描も、勢いのある自在な筆さばきが

素晴らしいのだが、やはりそれは実際の風景の写生であ

るのに対して、それを元に描かれた油彩作品の方は、

「斎藤良夫」というフィルターを通した心象風景へと、

見事に変貌しているのが常だった。

 私はその新作をいそいそと車に積み込んで、来たるべ

き展示会へと思いを馳せながら、うねうねと伸びる東金

街道を、ひたすらに千葉へと飛ばす。顧みればそれは、

何度も繰り返して来たおなじみの光景だったが、しかし

何度繰り返しても決して飽きる事のない、スリリングな

得難い体験だった。

 十年前に画廊を開店した時も、オープニングはもちろ

ん斎藤さんにお願いした。斎藤さんはある展示会を終え

た直後だったが、突如慌ただしく入った企画に嫌な顔一

つせず、かえって「全面的に協力しますからね」と温か

い言葉をかけてくれて、おかげで私は先々の不安に青ざ

めながらも、堂々たる展示で画廊を開ける事が出来た。

初回展のタイトルは「欧州放浪 ── 斎藤良夫展」、文

字通りヨーロッパ・シリーズだけをセレクトした、全点

油彩による展示である。当時斎藤さんは66歳、ちなみ

に私は42歳、それから今日に到るまで、私は苦しくな

る度に目を閉じて、しばし胸奥の彼方を仰ぎ見る。そこ

には斎藤さんの描き出すあの悠久の大空が、遥かな郷愁

を湛えてどこまでも広がっている。この十年、私の心の

中には、いつも斎藤さんの絵が共に在った。

 

 斎藤さんと長いお付き合いをさせて頂いて来て、私は

画家の「覚悟」という事を思う。おそらく「プロ」とい

う言葉は、「覚悟」の異名に他ならない。一生を絵に懸

けるという覚悟、何があっても描き続けるという執念、

それを「生業(なりわい)」にして生きるという信念、

それは言葉にすれば簡単な事かも知れないが、実践して

貫き通す人は極めて少ない。

 絵を志した人のほとんどは、必ず一つの別れ道に遭遇

するだろう。さて、どちらの道を歩むのか、その人は自

ら選択しなければならない。一つは不自由ながらも安定

した穏やかな道、一つは自由だけれど先の分からない危

うい道。ちょうど家庭を持つ年齢となり、養わなければ

ならない家族を背負った人の大多数は、安定した道の方

を選ぶに違いない。それはある意味、社会人として当然

の事だ。具体的にどんな道を行くのかは、人によって様

々だろうけれど、いずれの道を行くにせよ、結果的にそ

の人は自ら画家としての道を閉ざす。むろん当人は、閉

ざしたとは考えてないだろうけれど、そこから真にプロ

として生き残る事の出来る人は、おそらく1パーセント

にも満たない。せいぜいどこかの美術団体の役員にでも

なって、地元に君臨するぐらいが関の山である。

 ところが一方で、何を思ったか知らないが、わざわざ

先の見えない危険な道を選ぶ、普通とは言えない人も稀

に存在する。将来設計など何のその、そうは言っても家

族は養って行かなければならず、故に彼は真に人の心を

打つ絵を、見る人の財布を開けさせるだけの力を持った

絵を、切実な想いで描き上げて個展に臨み、厳しい評価

の目に自らをさらす。幾度も幾度も、気の遠くなるよう

なその繰り返しである。そこには、絵画教室の先生がた

まに個展を開いて、どんな絵であれ生徒が義理で買って

くれるような、そんな生ぬるい共生関係は存在しない。

絵を生業にするという事は、常に開かれた売買の場で、

勝負をし続ける事だ。だからこそいつか彼の絵には、自

己満足や自己主張を通り越えた、人の心にまで届き得る

力が備わる。それが、プロの歩みというものだろう。

 斎藤さんはまさしくそんなプロの道を、強靭な覚悟の

もとに貫いて来た人だ。声高に信条を語らずとも、その

来し方は否応なく絵から滲み出す。斎藤良夫76歳、独

自の画境に到りながらも、未だ安住を良しとせず、更な

る境地を希求するその気概に、私はいつも心打たれる。

 

 今春斎藤さんは、イタリアはトスカーナ州の山間部を

中心に、ソラーノ・カスティリオーネといった古い町を

巡られた。特にソラーノは、印象深い町だったと言う。

丘陵の斜面を覆うように造られた城砦の町で、何百年と

いう時を経た古い石造りの民家が、びっしりと積み重な

るように建ち並ぶ。山の斜面という地形のせいか、終日

強い風が吹いていて、陽春のみぎりだったのにセーター

を着込んでも、まだ寒かったと画家は話してくれた。

 ここに、斎藤さんからお預かりした、一枚の写真があ

る(ここでは不掲載)。町の中腹の路地から、山頂の城

壁を仰いで撮られたものと思われるが、左方の階段は雑

草に覆い尽くされているところを見ると、おそらくは誰

も足を踏み入れなくなった廃墟が、その上に在るのだろ

う。右側には、何度も埋め直しては塗り直し、そのこと

ごとくが剥げ落ちてしまった石壁、味とか趣といった段

階をとうの昔に通り越したような、ただの薄汚い塀であ

る。ところが、斎藤さんが目を留めるのは、正にこうい

った風景なのだ。きっと私達であれば、気にも留めずに

歩き去るだろう壁の前に、画家はふっと足を止めてたた

ずむ。見ていると、その壁の前を通り過ぎた幾多の人々

の温もりが、その幾百年をかけて刻まれた、数え切れな

い遥かな営みの響きが、しんしんと滲み出して画家の心

へと到る。やがてそれは、あの得も言われぬ情趣をかも

し出す、斎藤さん独自の石壁となって、絵の中に結晶化

するのである。今年はトスカーナの空の下で、風の吹き

渡るいにしえの町に、画家は何を見て来られたのだろう

か。

 

 壁に染み込んだ時間、毎年毎年塗り替えられながら、

 何百年にもわたって見て来たであろう人間の営み、そ

 んな事を思いながら描いています。

 壁の前を通り過ぎて行った、無数の人々がいるでしょ

 う。ある時は恋人同士であったり、ある時は友達同士

 であったり、子供を連れた家族であったり、年老いた

 夫婦であったり、そして喧嘩をしたり笑ったり、酒を

 飲んで騒いだり、もの思いにふけったり、辛い別れが

 あったり、そんな市井の人々の数えきれない営み。心

 温まる事も、愚かな事も、全てを黙って見続けて来た

 路地裏の壁、そこに刻まれた目に見えない時間の温も

 りを、少しでも描き出す事が出来たらと思うのです。

 

 十周年という特別の区切りに臨んで、何かのイベント

を打つべきかどうか、これでも少しは考えたのである。

当初はその時が来たら、皆様への感謝を価格に反映させ

つつ、「画廊コレクション展」を華々しく開催しようと

目論んでいたのだが、昨年の震災後に切羽詰ったあげく、

お客様のご好意にすがり付いて、数少ないコレクション

の大半を売ってしまったので、それも叶わぬ夢と消え、

かと言ってパーティーという柄でもないし、そういった

ものは勘弁して頂きたい方なので、結局通常通りの個展

開催に、落着する成り行きとなってしまった。相も変ら

ず面白みのない人間で、大変に申し訳ないとは思うのだ

が、しかし考えてみればこの大きな区切りに、「斎藤良

夫展」ほどふさわしいイベントがあるだろうか。オープ

ニングが斎藤さんなら、十周年もまた斎藤さんである。

今年もこうして、斎藤さんの新たな気概に満ちた新作を

展示する事こそ、今の私が皆様に表し得る、最大の感謝

と言えるのかも知れない。

 つくづく思うのだがこの十年、私は良き画家と良きお

客様の、ささやかな橋渡しをして来たに過ぎない。この

画廊をここまで存続させてくれたものは、画家のご好意

と共に、一枚の絵に身銭を切る事をいとわず、私財をな

げうって評価してくれたお客様の、芸術への一途な愛情

である。安全圏から傍観するだけの物見遊山の徒が多い

中で、そんなお客様の純粋な献身に、私は何度心打たれ

勇気付けられた事か。願わくはこれからも、そんな素晴

らしき同志の皆様と、この道を歩んで往けたらと思う。

 

 十周年に臨み、斎藤さんの新作を前に、遥かトスカー

ナの空を夢みつつ ── 風立ちぬ、いざ生きめやも。

 

 

                     (12.09.28)