光る道 (1985)  木版画10版19度摺 / 55x40cm
光る道 (1985)  木版画10版19度摺 / 55x40cm

画廊通信 Vol.111       悠久の水面(みなも)で

 

 

 早いもので、牧野宗則展は今年で10回を数える。ふ

り返ってみると、画廊をオープンした翌年に個展をお願

いして以来、ほぼ毎年の開催を重ねて来た事になる。以

前は新作・近作を中心に、過去の作品も様々に取り混ぜ

た展示形態だったが、一昨年からテーマ別に作品をセレ

クトして展示する形態へと、コンセプトを変える事にし

た。その方が、一つのテーマを作家がいかに多様に展開

し追求して来たかを、じっくりと堪能する事が出来ると

思ったからである。

 一昨年は「新・富嶽二十四景」と題して、富士山を描

いた作品だけに絞り込んだ展示を、昨年は「咲く花と、

燃ゆる樹と」と題して、植物を描いた作品だけに絞り込

んだ展示をさせて頂いた。そんな訳で、今回はテーマ別

展示の第3弾となる訳だが、いよいよ海景を中心とした

水のシリーズを、ご紹介させて頂く事となる。ライフワ

ークとなった富士のシリーズも、大自然を彩る花や樹木

といったテーマも、牧野芸術に無くてはらない重要なフ

ァクターなので、いずれも充実した展示が出来たと自負

しているが、今回はそれにも増して画期的な展示になる

のではないかと、実を言うと私は、今から心をときめか

せているのである。

 

 端的に言って牧野さんは、1980年代に始まる有明

海の連作で、かつて誰も成し得なかった新しい表現を、

獲得されたのだと思う。年齢にして40代半ば、おそら

くは伝統浮世絵木版の困難な技法を、長年の研鑽で完全

に自家薬籠中の物とされて、伝統を超えた次なる表現を

模索する中での、一つの帰結としての表現だったのだろ

う、そこには前人未踏と言っても決して過言ではない、

極めて斬新な版表現が展開されている。

 その顕著な一例として、「光る道」という作品を右に

掲載させて頂いた。発表は1985年、連作中7作目と

なる、有明海シリーズの金字塔とも言える作品である。

かつて、こんな木版表現があっただろうか。この作品は、

確かに伝統浮世絵木版の技巧を凝らして創られてはいる

のだけれど、ここでは最早、浮世絵の最大の特徴であっ

た墨線はことごとく消え失せ、その代わりに幾重にも重

ねられた色の層だけがある。それは光のしずくとなって

天空の月からしたたり落ち、夜の大気を荘厳に音もなく

浸潤して、一種宗教的とも言える神秘の絶景を現出して

いる。おそらく、何の予備知識もないままにこの作品を

前にした人は、これが「木版画」という技法で創られた

ものである事に、まったく気が付かないのではないだろ

うか。当時から30年近くが経とうとしている今でも、

この作品は斬新な息吹をしんしんと放ちながら、見る者

をめまいにも似た驚きへといざなう。

 以前にも何度か紹介させて頂いたが、今一度、現代詩

の代表的作家として名高い、故・丸山豊の言葉をここに

引用しておきたい。私はこの詩のような文章を、牧野木

版の正鵠を見事に射たものとして、今まで解して来た。

しかし、今は少し違う思いである。詩人は牧野さんの作

品を見て、単に驚いたのではないか。きっと絶句して、

目を見張ったのだ。これは考えて書いた言葉ではない、

素朴な驚きの言葉だ、今はそう思う。

 

 かれの視は

 風光のおくの生命のかがやきを

 みがきあげた技術によって

 みごとな木版画に表現した。

 そこでは

 光こそ色であり、

 色彩は光そのものであった。

 自然が秘した佛性を感得して

 おもわず礼拝したいほどの

 神秘にあふれていた。

 

 昨年の画廊通信では、牧野さんが自らを語った自伝を

抜粋させて頂いた。その折に、紙面の都合上割愛させて

頂いたのが、ちょうど海景に関して語られた部分であっ

た。正に今回のテーマそのものなので、ここにそれを掲

載させて頂きたいと思う。以下は「有明海との出会い」

と題された、作家の手記である。

 

 1984年の秋、長崎県の画廊で個展を開いた折、十

六夜の月の夜に、有明海諫早湾の堤防に立ちました。初

めて見る有明海は満潮で風も無く、明るい月の光が海面

に降り注ぎ、少し湿り気を帯びた大気が海面を覆って、

しっとりとした豊かな光の世界を現わしていました。そ

のあまりの心地良さに、深夜まで海を眺めていました。

 翌朝、日の出を見たいと思い同じ場所に立つと、昨晩

の豊かであたたかい海が一変しており、うす暗い夜明け

前の海は干潮で、暗紫色の干潟が沖合いまで続き、その

中を舟の水路がにぶ色に光って蛇行する、孤独で寂寞と

した海がありました。あたかも生命誕生以前の、地球の

創世紀の海を見る思いでした。

 夜が明けるのに合わせて、干潟にもうっすらと赤みが

射して、少しずつ明るさを増して行きました。そして太

陽が顔を出すと、干潟は一瞬の内にさくら色に輝き、す

べての生き物の歓びの声にあふれる海に姿を変えて、こ

の干潟が、たくさんの生き物達が平和に暮らしていくの

にふさわしい、生命の海であることを強く感じました。

 陽が昇りきると、海と干潟は無彩色に近い穏やかな表

情に変わり、のどかで優しい海に戻りました。この新鮮

な感動の出会いが、有明海の作品づくりの始まりです。

有明海を眺めていると、いつも何か大きな感動を覚えま

す。海があって、干潟が続いて、空が広くて、無数の鳥

達が舞い、ゆったりと大きな自然の時間の中に入ってし

まいます。舟も人も鳥も、動きはとてものびやかで、ど

こかはるかな時間を感じさせる、人間が決めた時間が通

用しない世界です。地球の誕生、生命の誕生に連なるも

のを、ゆっくりと感じさせてくれるからなのでしょう。

 海にも干潟にも、これといった強い色彩は無いのです

が、たくさんの色をそこに見つけるのです。ふと見直す

と無彩色の世界なのに、それでいて輝いているのです。

この静かな潮の流れと、穏やかな空気の下で、毎日大き

な干潮・満潮をくり返す、とてつもなく大きなエネルギ

ーを秘めながら、いつもの表情は飾らず、気取らず、温

かく、懐かしく、安心できる海なのです。

 こんな思いを木版画で表そうとしても、目に見えた形

や色を追い続けるだけでは、とても表現しきれません。

伝統木版画による表現の、一つの壁を感じ始めていた自

分にとって、有明海との出会いは、まさにその壁を破る

ために与えられた、天恵と思えました。こうして五官で

感じ、無彩色の輝きを知り、気を掴み、憧れを抱いて、

感動の源を探り当てる、新しい創作が始まりました。

 私にとって有明海との出会いは、風景版画家として最

も大切な時期に、自然の深奥を感じとる力と大切さを、

知らせてくれるものとなりました。

 

 こうして作家ご本人の言葉を書き写していると、常に

作家を周囲から語るしかない自分の、否応もない限界を

感じる。作品を見て、作家の言葉を聞き、それをもとに

自らの感想や思考を述べる、そのようにして私は、芸術

を周囲からあぶり出すより他ない。所詮私は、私個人と

いう極めて狭い領域の、見聞思考の枠を出る事はないだ

ろう。ただ、「自分の眼」で見て「自分の耳」で聴いて

「自分の頭」で考える、それだけは最低の信条として守

り通したい、たとえそれが、どんなにかすんだ眼であっ

ても、どんなに冴えない耳であっても、どんなに悪い頭

であっても。たった一つ、それだけが私の矜持である。

そして、賢人の語る正しい言説を受け売るよりも、それ

がたとえ間違った管見であったにせよ、血の巡らない自

分の頭で絞り出した言葉だけを、正直に語って行きたい。

だから私の今まで書き散らして来た事は、世の評論家・

研究者・学芸員・ジャーナリストといった人達とは、お

よそ異なった意見が多いだろう。もしかすると、私の方

が間違っているのかも知れない──と、一応謙虚ぶって

はみたけれど、本当はそんな事、露ほども思っちゃいな

い。少なくとも私は美術の現場を、日々金に追われ青ざ

めながら、正真正銘、生活かけて生きて来た人間だ、火

事場を離れた机上の安全圏で、言葉遊びに戯れている皆

さんとは違う。常に正しい見識というものは、現場をい

きいきと呼吸している人間からしか、生まれ得ないので

はないだろうか。

 

 もう5年ほども前になるだろうか、ある美術館に牧野

さんの芸術を紹介に行った事がある。よく浮世絵を取り

上げる美術館だったので、過去も確かにいいけれど、現

代の浮世絵も取り上げてみてはどうかと、提案にお伺い

した訳である。奥に通されて待つ事しばし、学芸課長と

いう方が出て来た。こんな言い方は申し訳ないが、何と

も覇気のない、死んだ魚のような目をした人物である。

「牧野宗則という木版画家をご存じですか?」と聞いた

ら、彼は何を答えるでもなく、無言で頭を振った。もう

一度言うが、丁寧に訪ねた私に向って、ただ無言で頭を

振ったのである。この失礼な態度は何かの間違いだろう

と思った私は、資料を出して作品の写真を見せながら、

作家の紹介に入ったのだったが、それを何やら薄笑いと

も見えるような表情で聞いていた彼は、突如信じられな

い行動に出た。なんと、一生懸命に説明をしている私の

目の前で、大口開けて腑抜けたあくびをしたのである。

 そのあまりにふざけた態度に、温厚な私も思わず逆上

しそうになったが、牧野宗則という看板を掲げた以上は、

下手な事は出来ないと思い直し、憤懣やるかたない思い

で辞去したのであった。後で分かったのだが、彼は浮世

絵の解説でマスコミ等にも顔を出す、その筋ではかなり

名の通った人物との事、なるほど、あんな人間でも権威

となれるぐらい、伝統浮世絵の世界は死に体となってい

たのかと、妙に納得させられた出来事ではあった。

 後日その報告をしたところ、「学者なんて、皆そんな

ものですよ」と笑われて、牧野さんは気にもされない風

である。その爽やかな笑顔を見ながら、私はハッと気が

付いた。きっと牧野さんは、あのような人間に代表され

る旧態の偏見と、長年にわたって闘い続けて来られたの

だ。世界に誇る高度の技術を持ちながら、相も変わらず

古い浮世絵の復刻で、糊口を凌ぐだけの伝統木版画界、

そこに全く新しい風を吹き込み、「活きた」伝統の在り

方を鋭く問いかける牧野さんの芸術は、旧態にあぐらを

かき続ける輩にとっては、無視すべき危険な存在である

に違いない。北斎研究で著名な永田生慈氏のように、開

かれた眼を持つ優れた碩学──氏はまた、牧野芸術の真

価をいち早く認めて、浮世絵を凌駕した衝撃の木版と明

言した人でもある──も居るけれど、大方は既知の見解

にしがみつくだけの、蒙昧の徒に過ぎないと思う。

 くだんの学芸課長は、出世してどこぞの美術館長に納

まっているらしいが、如何なる旋風がそこに吹き込もう

と、彼の腐り切った感性が、それを捕え得る事はないだ

ろう。

 

 新しい風はとうに30年も前から、あの有明の悠久の

水面 (みなも) に、みずみずしい革新の息吹をはらみつつ、

未だ勢い良く吹き渡っているのである。

                     (12.12.23)