新治不二  混合技法 / F3
新治不二  混合技法 / F3

画廊通信 Vol.115            森に抱かれて

 

 

 佐々木さんの個展は今期で7回を数えるが、生前の開

催は4回展まで、よって今回は3度目の回顧展となる。

通常の混合技法による作品の他に、今回も密陀絵(みつ

だえ)が出品されるが、この特殊技法に関して書き残し

ていた事があるので、この場でお話しておきたいと思う。

 生前最後の企画となった「密陀絵の世界展」で、私は

こんな文章をこの通信に記した。

 

 密陀絵とは、日本古来の油性絵具による技法である。

元々は中国から伝来した技法だが、日本では法隆寺の玉

虫厨子が、その最古の例と言われる。要は日本の油絵、

ひいては西洋に先んじた、東洋の油絵と言うべきか。

 もっとも佐々木さん自身には、その誇るべき東洋技法

を現代に復活させようという、遠大な構想があった訳で

はないらしい。納屋に眠っていた古い板材に魅せられ、

それを活かした表現を追求する内に、顔料を桐油で溶い

て漆の上に描き、箔を併用して使うという技法に到り、

それを見た知人の研究家から、密陀絵という古代技法と

それが同じものであると、指摘を受けたのだと言う。

 かくして古代の油絵は、現代によみがえった。ただし

異例の特殊技法を用いたとは言え、そこに描かれた世界

は、いつもの佐々木さんと何ら変らない。支持体がキャ

ンバスから板に替り、使われる絵具も異なるため、画面

は通常とは違う質感を見せるが、そこに描かれたどこか

懐かしい風景は、紛う方なき佐々木さんの世界である。

 ただ一点、背景だけが違う。焼いて焦がしたスギやヒ

ノキの板に、鉄分を混合した黒漆を塗る事により、背景

の地はおおむね漆黒となる。漆黒の蒼天、漆黒の黄昏、

漆黒の薫風……、見るほどにそこは奇妙に現実感が遠の

いた、どこかしら夢の中のような趣が漂う。

 

 今こうして顧みれば、色々と解説めいた事を並べては

いるが、上記の時点では密陀絵の魅力の一端しか、私は

捕え得ていなかった。実はある種の凄みとも言えるもの

が、その先に潜んでいたのだが、それを遅ればせながら

実感出来たのは、展示会が始まってからである。

 個展が開幕して数日を経た朝、たまたま電気を点けず

に店内へ入った事があって、瞬間、私は眼前の光景にハ

ッと息を呑んだ。薄暗い空間で、箔が息づいていたので

ある。金箔・銀箔は元より、わずかに緑がかったり、赤

味がかったり、とりどりに用いられた箔が、今正に目の

前で、呼吸をしているように感じたのである。あたかも

それは、画面に寄生した未知の菌類が、一斉に音もなく

発光し始めたかのような、一種の凄みを秘めた光景であ

った。光を存分に与えるよりも、わずかに射し込む光に

こそ、箔は怪しく息づき、漆はより深みを増す──これ

は、思いがけない発見だった。きっといにしえの人々は、

このような昼なお暗い室内で、わずかな外光やほの暗い

燭光に浮び上がる、夢幻の小宇宙に心を遊ばせたのだろ

う。私はこの時、佐々木さんが描き出す密陀絵の本当の

姿に、初めて触れ得た気がした。今にして思えば、漆黒

の地に浮ぶ怪しいまでの箔の光彩は、画家が最後に

残した、命の煌めきだったのかも知れない。

 この日から私は、店内のスポットライトを全て取り外

し、出来るだけ照明を落した空間で、作品をみてもらう

ようにした。本当は一切の照明を切りたかったのだが、

度が過ぎると真っ暗な画廊を訪れたお客様に、遂に潰れ

たかと勘違いされるのが落ちだから、蛍光灯だけは仕方

なく、点けるようにはしたのだけれど。

 

 展示会を終えてわずか3ヶ月後、佐々木さんは帰らぬ

人となった。翌年の夏の盛り、私は初めて横浜の谷戸を

訪ねた。その時の手記は3年ほど前、この通信に書かせ

て頂いたのだが、回顧展も今回で3度目を迎えるに当っ

て、今一度ここに掲載したいと思う。要らぬ解説をあれ

これと書き立てるよりも、私の佐々木さんへの想いは、

あの時の谷戸に未だ残して来たままなので。

 

   †  †  †  †  †  †  †

 

 谷戸(やと)── 里山の森に囲まれた、谷あいの地。

谷津とも呼ばれ、人と自然が豊かな生態系を保って来た

が、現在は乱開発のためその多くが失われつつある。そ

んな時勢の中、佐々木さんのこよなく愛した谷戸は、横

浜という都市の中に、奇跡的に残された境域であった。

 翌月に遺作展を控えた七月の末、私は画家宅の傍らを

過ぎて、その先に鬱蒼と広がる里山を目指した。満倉谷

戸・旭谷戸・梅田川等々、佐々木さんの作品におなじみ

の地名は、すべてこの周縁に位置する。とりわけ、満倉

 (みちくら)と呼ばれる谷戸は、画家の繰り返し描いた

舞台だった。初回展で「満倉の独り草」という作品があ

って、今も強く印象に残る作品なのだが、私は特にその

地を訪ねたいと思った。画面の真ん中に一本の野草がす

っくと立ち、気持ち良さそうに風に揺れている。後方に

はなだらかに広がる野原、丘の上には小さな納屋、それ

らを遥かに森が囲んで、その上に青々と広がる夏空……。

 その日は折からの猛暑で、道には人っ子一人いないど

ころか、一匹の野良猫にも会わなかった。谷戸に向かう

道中は、ただただ燃え立つような炎熱である。徐々に緑

の深くなる山裾を歩きながら、「佐々木さん、来ました

よ」と呟いてみる。きっとこの野路は、幾度も画家の通

った道だろう。歩を進めると、時おり一段と大きな葉叢

を広げる、貫禄のある雑草に出くわす。何だか私は、旧

交を温めるような、妙に懐かしい気分である。きっと佐

々木さんは、飽かずに繰り返し描いて来た彼らを、「絵

の題材」とは微塵も考えていなかったろう。それは画家

にとって、まずはかけがえのない尊き生命であり、溢れ

るような共感を覚える同胞であり、限りない敬意を捧げ

るべき、谷戸の象徴であった。おそらく画家は、描かず

にはいられなかったのだ、独り大地に毅然と根を張って、

健気に生きる名もなき草達を。

 佐々木さんは、見るからに壮大な絶景を、豪奢に描き

上げるような作家ではなかった。人が見晴るかす大自然

に嘆声を上げる時、独りそのまなざしは、徹して足下に

あった。ましてやそれが、取るに足らないものであれば

あるほど、いよいよその眼は慈しみに溢れた。何でもい

い、画家の描いた小さきもの達を一目見れば分かる、そ

こにはどんなきらびやかな花も及ばないような尊厳が、

凛として静かに湛えられていたから。

 ふと、この道を歩いて、この草を見た人は、もういな

いんだと思った時、私は初めて佐々木さんの死を、不在

を実感した。どうもその日まで、佐々木さんの「死」と

いう事実を、私は明瞭に実感出来ないでいたのだ。もう

いない、もう会えない、単純な事なのに。

 その日私は、小さなカメラを携行していたので、時々

立ち止まってはファインダーを覗き、谷戸への道のりを

写した。その内シャッターを押すごとに、佐々木さんと

の一こま一こまが、眼前の風景に重なるような気がして

来た。訪ねるといつもガラガラと玄関を開けて、笑顔で

迎えてくれた佐々木さん、箱から無造作に絵を出して、

手際良くあちこちに並べていた佐々木さん、私は遂に画

家の友人のように、佐々木さんを「和さん」とは呼べず

仕舞いだったなと思う。初めて訪れた画家のふる里で、

今日だけは「和さん」と呼ばせてもらおう。

 炎天下に雨傘を差して来た和さん、麦わら帽に西瓜を

ぶら下げて来た和さん、好きな画家の個展にゴム長靴で

現れた和さん、モジャモジャのごま塩頭で朗らかに笑っ

ていた和さん、「胃ガンなんです」とやけに明るかった

和さん、「来年の個展の時には、もういないかもね」と

微笑んでいた和さん……、想いは尽きない。

 いつしか山陰に入って、ふと目を落としたその先、繁

みの中の小さな路標に、「満倉谷戸」と読める。その脇

に伸びる小道を分け入ると、丘の上に突如畑地が開けた。

その真ん中には寂れた納屋、きっとあの絵に描かれてい

たものに違いない。しかし、あの広々とした野原はどこ

にあるのだろう。画家の描いたアングルを探しながら、

畑に沿った野道をたどると、たぶん農機具を置くためだ

ろうか、道の脇に薮を拓いて、小さな空地が作られてい

る。それを目にした瞬間、あの絵を前に語っていた和さ

んの言葉が、不意によみがえった。

「ここには、ちょうど人が一人座れるような場所があっ

てね、そこから描いたんですよ、すっぽりと森に包まれ

てね」、そうか、ここだったのか。カメラを構え、ファ

インダーを覗いてみると、どうもアングルが高い。腰を

かがめてもまだ高い。思い切って地面すれすれにファイ

ンダーを下げると、初めてあの絵と同じ視線になった。

 その角度から眺めると目前の畑は、なるほど彼方へと

広がる丘であった。今は茶色の畝が見えているが、あの

絵を描いた時分には、作物が植えられていたに違いない。

ならば畑地は一面緑に染まる、広やかな野原に見えた事

だろう。丘の上には小さな納屋、後方にはそれらを包み

込むような森、遥かなる夏の大空……、あの「満倉の独

り草」は、正に野草の視点で描かれていた。

 帰り際に振り返ると、画家の姿がふっと見えた気がし

た。和さんは空地にしゃがみ込んで、地面すれすれに顔

をくっ付け、一心に画用紙へ線を走らせている。目の前

には、時おり吹く風に身を揺らす、一本の野草。画家は

それを、脇目もふらず描いている最中だ。時の停止した

静かな野の片隅で、乾いた鉛筆の音だけが、サラサラと

軽やかに響く。和さんは描いていた、ただひたすらに描

いていた、子供のように眼を輝かせ、何だかとても楽し

そうに。その横には、あの老けたボサボサの愛犬が寝そ

べり、ハアハアと舌を出して涼んでいる。それほど遠く

もない日、確かにここにあったひと時……。

 あの日、すべては穏やかな森に抱(いだ)かれ、谷戸

の丘はまどろんでいた。緑なす初夏の野は、柔らかな光

に満ちて、いつまでも進まない時が、音もなく大気を包

んだ。そして今、画家は夢のように去って、この地には

戻らない。あの鉛筆の音も、あの野原の詩(うた)も、

最早聞えて来る事はない。しかし、かつて名もなき草と

なって、描き残したあの里山には、画家の確かな魂が、

今も刻まれている。だから、もう二度と戻らない時では

あるけれど、私は描かれた永遠の谷戸の道を、幾度も幾

度もたどり直すだろう。和さん、また会いに来ますよ。

 ゴオーッと、風が谷戸を吹き渡った。私にはそれが、

画家からの爽やかな返信に思えた。

 

   †  †  †  †  †  †  †

 

 今回の案内状に掲載した作品は、画家が自らの余命を

知りながら、描いたものだと聞いた。船の帆柱をスケッ

チするため、わざわざ奥様と、磯子の港まで車を飛ばし

たのだと言う。

 今しもカモメは帆柱を飛び立ち、吹き渡る風へと身を

踊らせた所だ。荒れる海原、流れる乱雲、海鳥は溢れる

ような想いを胸に、遥かな天空を目指す。

 文字通り、画家最後の絶唱である。このカモメは佐々

木さんだ。耳を澄ませば豪放の風の中から、確かな声が

聞えて来る。力強く帆柱を蹴って、雄々しく翼を広げ、

抗うべき何物かに向って、正に羽ばたかんとする魂の、

あの絶える事なき命の凱歌が。

                    (13.04.20)