あなたのそばに行きたい   油彩 / 3S
あなたのそばに行きたい   油彩 / 3S

画廊通信 Vol.121             別れの日

 

 

 昨年もこの場を借りて書いたので、きっと食傷ぎみの

方も多いと思うけれど、性懲りも無くまた、シロの話を

書こうと思う。シロは、長らく我家に出入りしている半

野良の猫で、はっきりとは分らないながら、たぶん20

歳近くにはなるだろうと思われる。半野良ゆえ元来が薄

汚れていたのだが、近年歳のせいか毛繕いにも身が入ら

なくなったようで、人様に「うちの猫です」なんてとて

も言えないような、いよいよ小汚い様相を呈して来た。

 我家は古い公団住宅の一階なので、シロは長年ベラン

ダを出入り口にしていたのだが、この一年程はめっきり

ジャンプ力も落ちてしまい、高さのあるベランダに飛び

乗る事が難儀になって来た様子で、このところ人間と同

じように、玄関から出入りするようになってしまった。

とは言え、自分でドアを開ける事なんて出来ないから、

玄関の前で「にゃあにゃあにゃあ」と哀れっぽく泣きわ

めくだけなのだが、一応ここも団地ゆえ動物を飼う事は

禁止されているので、こう大っぴらに存在をアピールさ

れたのでは、ご近所様に形見の狭い事この上ない。慌て

てドアを開けると、今度は何を思ったか直ぐには入って

来ないで、ドアの前でのうのうとあごの下なんざを、後

ろ足で掻きむしったりしている。その間こちらはドアを

持ったまま待たされている訳で、何でこんな奴に付き合

わなければならないのかと仕舞いには怒り心頭に達し、

「入って来ないのなら閉めるぞ!」と声をかけて、それ

でも入って来ない時は、バタンとドアを閉めてしまう。

そうするとまた、玄関の真ん前で「にゃあにゃあ」と始

まるので、仕方なく再度ドアを開けてあげる成り行きと

なって、今度はどうやら入る気になったらしく、のその

そご帰還となるような次第だ。あらためて電気の下で見

ると、何処で転がって来たのか知らないが、身体の方々

に土や草を付けて汚れ放題、時には顔に真っ黒いオイル

の隈取りまで付けて来て、しかも何だかほこり臭いので

ある。連日そんな状況の繰り返しで、その度に付き合わ

されるこちらだって、いい加減たまったものじゃない。

 愚痴る訳ではないが、夜がまたひどかった。草木も眠

る丑三つ時になると、決まって枕元の柱をガリガリと引

っ掻いて食事の時間を報知し、私が起きないと見るやあ

の不快な舌で、ザリッと手首辺りを舐めて来る。思わず

ぞっとして起き上がり、夜食のお相伴を務めて寝に戻る

のだが、大して時間も経たない内にまた起しに来て、今

度は何だと思って付いて行くと特に用事は無かったよう

で、ただその辺をうろついているだけだったりする。憮

然として眠りにつくと、ほどなくまたザリッと起しに来

て、今度は外に出してくれと私を玄関までいざなう。見

送ってやれやれと一息付く頃には、もう空も白んで来て、

その内に新聞がドアのポストにカタンと入る。するとそ

の下から「にゃあ」という例の声が聞えて来たりして、

私はまたドアを開けてあげなければならないのだ、「い

いか、勘違いをするなよ。俺は君の手下じゃないんだか

らな」と、朝日の中でぶつぶつ悪態をつきながら。

 

 ついこの間、9月に入って初めて秋の風が吹いた頃、

前足の片方を痛そうに折り曲げたシロが、よたよたとふ

らつきながら帰って来た。やめておけばいいのに、何を

思ったか往年の如くベランダから飛び降りてみたら、た

ちまち足をくじいてしまったのらしい。どうにも痛そう

なので、いつもの病院に連れて行ったのだが、幸いにも

骨折はしていないとの診断で、痛み止めを処方してもら

う程度で済んだ。妻の話によると、飲ませたらまた元気

を取り戻して、しばらくは懲りずにベランダから出入り

をしていたらしいが、それでもやはり本調子ではなかっ

たのか、その内ぐったりと寝ている事が多くなった。次

第に食事も口にしなくなり、やがて嘔吐を繰り返すよう

になったので、再度病院に連れて行って血液検査をして

もらったところ、腎臓の数値が相当に悪く、尿毒症を起

している、覚悟しておいた方が良い、との診断である。

喧嘩の負傷で何度診てもらったか知れないが、その度に

「強いネコちゃんね」と誉められて、シロ満更でも無か

ったのだが、この時ばかりは先生も暗い顔で「さすがの

シロちゃんも年貢の納め時かしら…」、とりあえずは点

滴と吐き気止めの注射をしてもらい、帰還の運びとなっ

た。翌朝も点滴を投与してもらったが、仕事を終えて帰

宅すると、相変わらずシロは窓際のソファーの脇で丸く

なり、力無く横たわっている。その夜、シロをテレビの

前へ抱いて来て、膝に乗せて一緒に酒を飲んだ。何しろ

このところ汚かったもので、ゴロニャンとまとわりつい

て来ても、冷たく敬遠していたのだ。

 夜半「シロが動いてない!」という妻の声で起された。

駆け寄ると、息はしているが眼は見開いたままで、もう

見えているのかどうかも分らない。あのシロが、本当に

居なくなってしまう──この疾うに分っていた筈の現実

を、私は初めて実感する思いだった。翌朝は妻が病院に

連れて行って、その翌晩は私が連れて行く事になったが、

この頃にはもう全く動けなくなってしまい、移動用のケ

ージも最早必要ない状況である。よってショールにくる

んだだけで車に乗せたのだが、思えば男同士、初めての

短いドライブだった。「シロ、本当に往っちゃうのかい。

あと一ヶ月でいいから、元気になって共に過さないか。

どんな敵でも果敢に立ち向った、男の中の男だよなあ。

ならばもうちょっと、頑張ってみないか」、シロ、聞え

ているのかいないのか、助手席で丸くなったまま答えな

い。

 

 その翌日、早朝に家を出て、私は府中の平澤宅を久々

に訪ねた。アトリエに伺うと平澤さんは「ちょっと掃除

をしててね」と、長年の絵具の堆積で、ポロックのドリ

ッピング・アートのようになっている床を、ゴリゴリと

削ったりしている。壁際には大小の新作がカンヴァスの

ままズラリと並んで、あの独特の詩的時空が多様に展開

していた。ネコがいる、ウサギがいる、クジラがいて、

ゾウがいる、そして家があり、自転車があり、樹木があ

って、風が吹いている。背景は一口に何色とは言えない

ような、微妙な色彩にそれぞれが彩られているが、これ

は長い時間をかけて幾層もの絵具が堆積し、その間に何

かが描かれ、その描かれた何かが消され、更に何かが描

かれてはまた消され、その執拗な繰り返しの果てにやが

てそこはかとない気配だけが残り、それが不思議なアト

モスフィア(空気感)をかもし出す、言うなれば作家の

精神の軌跡が、そのまま地となったようなものだ。そこ

に家が建ち、樹木が育ち、動物達が遊び、自転車が走り、

あるいは一方で、それは新しく描かれたものと言うより

は、消されずに残されたもの達である事も多く、時にそ

れは微かな痕跡だけとなって、画面の諸処に小さな記憶

のかけらを刻み、そして「世界」が立ち現れる。

 今回の新作は、案内状に掲載した作品を始めとして、

画面のほとんどを空間が大胆に占める作品が目立つ。他

に適当な用語が無いので、一応「空間」という言い方を

したけれど、それは言葉にはし難い気配や予感や情感が、

画面の諸処から密やかに香り立つような時空だ。画廊に

戻り、預かって来た作品を改めて紐解いていたら、「あ

なたのそばに行きたい」と題された作品が目に留まった。

画面の3分の2以上を占める広漠とした空間、それは草

原のイメージなのだろう、彼方に一件の小さな家がポツ

ンと建って、後はただ青々とした空が広がっている。私

事になるが、瞬間私はその野原に、今も家でじっと丸く

なっているだろう、シロの姿をかいまみた気がした。シ

ロは走っていた、走っていた、ひたすらに独り広い広い

野原を、家族の待つあの温かな家に向って。でも徐々に

その姿は薄くなって、やがて野原に同化して消えてしま

う。そして、決して辿り着けない哀しみが風のように草

原を流れ、後には見えない想いだけが残る、……貴方の

そばに行きたい!……。

 私はその青く染まる大気の中に、喪失と不在の哀しみ

を見ていた。しかしそれはどこまでも、何と静かに澄み

渡っていた事だろう。

 

 その夜、病院で点滴を受けて帰宅した後、窓際で独り

寝ているシロがどうにも不憫になって、私の蒲団の脇に

寝床を移した。もう一週間以上もの間、何も食べず、水

さえも飲もうとしない。それでも時折弱々しい声で「に

ゃあにゃあ」と家人を呼ぶ。玄関の片隅が食事場だった

ので、そこにぽつねんと置かれたままの、空っぽの食器

を見る度に、いつも真夜中に起されて、ウンザリしなが

らご相伴をしていた日々が思い出される。もうあんな日

々も、二度と帰って来ない、ついこの間までそんな日常

が、当り前のようにあったのに。

 私が独立する前から我家に居着くようになって、それ

から13年も一緒だったのだ。13年! 思えばその間、

何故か成り行き上その係になってしまったものだから、

私はこの猫の夜食のために、ほとんど熟睡というものが

出来なかった。迷惑千万この上なかったが、それでさえ

今や懐かしい。

 翌朝蒲団の脇を見たら、シロはこちらに顔を向けて、

大きな黒目を真ん丸に見開いて何かを見ている。手をか

ざしても反応は無い。片目は枕に当ててつぶったままな

ので、そちらだけを見ていると、心なしか微笑んでいる

ようだ。足を握るとあまり体温もない。もう後少しで、

小さな命が消えようとしている……。

 その日は、市内のお客様宅へ納品があったので、私

一時家を離れる事になった。昼前に帰宅すると「全然動

かないから、生きているのかどうか分らない」と妻が言

う。身体に触ってみると、どう確かめても息をしていな

い。シロは眠るように亡くなっていた。顧みればとても

安らかで穏やかな、まるで小さな灯火が音もなく消え入

るように、静かな静かな最後だった。もっと優しくして

あげればよかった、もっと可愛がってあげればよかった

と、悔いばかりが浮ぶ。妻と合掌をしていたら、不意に

喉の辺りが震えて来て、最初それが嗚咽だとは、自分で

も分らなかった。「泣く予定なんか、無かったんだけど

な」、折しも窓の外は、昨日の絵のように青々と染まる、

雨上がりの空。

 翌日から新しい展示会が開幕となったので、妻が独り

で市内のペット葬儀場へ、シロを連れて行ってくれた。

その夜帰宅すると、シロは小さな巾着(きんちゃく)に

なっていた。中にはシルバーのモダンなカプセルが入っ

ていて、そっと開けてみると、幾片かの真っ白なお骨。

まるで星の砂のような、ささやかで儚いかけらだった。

 

 今回の拙文、私事に終始してしまい、ご容赦を願いた

いと思う。現在我家では、玄関の食事場も片付けて、数

箇所あった寝床も払い、むろんトイレも撤去して、もう

シロの生きた痕跡は、跡形も無く消え失せてしまった。

寂しいけれど、それが世の習いというものだ。でも私は

決して忘れない、亡くなる日の朝、大きな黒い瞳を真ん

丸に見開いて、どこか遥かな遠くを見ていた、あの美し

く澄んだ眼を。シロが最後に置いて行ってくれた、どん

な宝石よりも美しい贈り物だった。小さな命が残してく

れた大きな宝物を、私は生涯大切に抱きしめて往こう。

 妻が先夜、シロの声を聞いたと言う。心霊現象を長年

バカにして来たせいか、私にはとんと聞えない。心霊諸

氏、申し訳なかった。私は今、幽霊を待ち望んでいる。

シロよ、一度でいいから君の懐かしい声を、私にも聞か

せてはくれまいか。今夜あたり、往年のような白い疾風

(はやて)となって、私にも会いに来てはくれまいか。

 

                     (13.10.20)