歓風 (1994) -部分-          木版20版27度摺 / ed.250
歓風 (1994) -部分-          木版20版27度摺 / ed.250

画廊通信 Vol.123            まほろばの光

 

 

 千葉市美術館で開催中の「川瀬巴水展」を見て来た。

大正期に新版画運動を興した版元・渡邊庄三郎と組んで

制作された名所図絵の数々は、江戸期に続く近代の巧緻

な錦絵として、日本のみならず海外でも高い評価を得て

現在に到る。ご存じのように「新版画」とは、当時主流

になりつつあった「自画・自刻・自摺」を標榜する西洋

的な創作版画に対抗して、「絵師・彫師・摺師」による

伝統木版画の分業システムを用いながら、新しい時代の

浮世絵を創り出そうとする運動であった。よって川瀬巴

水の芸術と言われるものは、巴水による個人の芸術とい

うよりは、渡邊版画店という版元のプロデュースによる、

絵師・彫師・摺師の一体となった共同制作によって、初

めて成立したものと言える。今回の展覧で非常に印象に

残った事は、巴水という絵師の「絵」もさる事ながら、

伝統木版の至芸を極めて生み出されたであろう、その版

表現の精緻な美しさであった。

 今回の展覧で興味深かったのは、巴水の水彩による下

絵が随所に展示されていて、それを基に制作された版画

作品と、比較して観る事の出来た点である。巴水の描い

た下絵は、いわゆる「版下絵」という枠を超えて、隅々

まで丁寧に彩色が施された、一つの完成された絵画作品

として成立するものなので、一目瞭然、明白な比較が可

能であった。

 概して巴水の描く水彩画は、柔らかで繊細な情趣を湛

えて、穏やかな詩情の滲み出すような、極めてオーソド

ックスな作風である。対してそれが彫師・摺師の手を経

て、版画作品として再生された時、その世界はあたかも

霧が晴れたかのように明瞭となり、焦点がにわかに合致

して、画面が鮮明に立ち上がる。細部のエッジは彫りに

よって際立ち、重ね摺りで色彩はより透明度を増し、平

坦な色面はバレンの刷り跡によって動きを与えられ、グ

ラデーションは種々のぼかしによって、より多彩な表情

を見せる。つまり、巴水のある意味古典的な下絵は、伝

統木版を駆使した版表現に移し替えられる事によって、

いきいきと活性化して新味を増すのである。

 一概に全てがそうとは言わないが、私の観た比較対照

の限りでは、明らかに巴水の作品は「版画化」という工

程を経る事によって、その世界をより高度なレベルへと

昇華していた。これは、あらためて伝統木版の力を思い

知らされた、意想外の体験だったと言える。この時私は

会場を巡りながら、今は亡きある現代版画家の発言を思

い返していた。当初私は以下の言葉を、版画家としての

強い矜持が言わしめたものと解していたが、今ならそれ

が曲解であったと分る。それは、同じ版画家だったから

こそ見通し得た、紛れもない「真実」だったのである。

 

 僕は基本的に、浮世絵の肉筆よりは、絶対的に版画の

 方が好きだ。例えば北斎にしても、肉筆の凄みという

 ものは確かにあるけれど、やはり伝統的な部分が残っ

 てしまい、狩野派の影響が濃厚に感じられる。それが

 版画化されると、不思議にも独特のオリジナリティー

 を発揮して、あの当時としては信じられない程の大胆

 さに溢れたものとなる。たぶん北斎や歌麿の版画は、

 江戸時代の文化が成し得た、最高のものではないか。

 あの時代から現代に到るまで、肉筆の表現を超えて、

 あれだけの版画を創った世界はない。  ~ 池田満寿夫

 

 試みに、同じ場所をほぼ同じ視点から描いた2点の作

品を、右に掲載させて頂いた。上は牧野宗則作、桜島に

取材して20年前に発表されたもの、下は川瀬巴水作、

約90年前に同じ場所を描いたものである(ここでは不

掲載)。同じ伝統木版画の手法を用いながら、2人の作

風は極めて明確な違いを見せる。この違いは、何処から

来るものだろうか。

 ご存じのように「牧野宗則」という作家は、制作技法

を浮世絵伝統木版の世界に置きながら、そこでは自明の

システムとして機能して来た「分業」という体制を、あ

えて捨て去る方向へと自らを押しやった、世にも稀な版

画家である。と言うよりは、「絵師・彫師・摺師」によ

る伝統的な分業体制を捨てて、「自画・自刻・自摺」を

モットーとする創作版画のスタンスに立った時、初めて

牧野宗則という版画家が、世に誕生したと言うべきか。

 そこに到った経緯と考え方を、今一度作家ご自身に語

ってもらおうと思う。以下は、2009年刊行の「全木

版画集」に掲載された、インタビューからの抜粋である。

 

 浮世絵の世界では、技術はあくまでも職人の領域で、

 作家のものではありませんでした。しかし、作家自ら

 が技術を身に付け、表現を生み出す事が出来れば、伝

 統木版はまた別の世界を展開出来るかも知れない、そ

 れを自分でやってみようと思ったのです。技術を習得

 する中で江戸の絵師達が、使う版数や絵具の種類・納

 期等々、様々な制限の中で制作していた事を知りまし

 た。たぶんやりたい事、試してみたい事も、充分には

 出来なかったのではないでしょうか。だから自分の作

 品では、その制限を全てはずして、本当に自由に現代

 の作品を作ろうと思いました。分業でやっていた事を

 一人で行う訳ですから、どうしても作品点数は少なく

 なってしまいますが、それでも伝統の根幹で日本の版

 画は、こういうものが表現出来るという可能性を作品

 で見せる所に、私の役目があるかも知れないと思い、

 作家としてやっていく決心がついたのです。

 結果として、版数を予定よりも増やしたり、自分の意

 志で自由に摺りを変えたりと、自分が納得するまで制

 作を深める事が出来るようになりました。もちろん、

 分業のような多作は出来ませんが、その代わり絵を描

 いた時の感動に、長い時間をかけて色々な角度・方向

 から分け入って、その感動を再体験しながら増幅して

 いけるのが、何よりも楽しい作業です。最近はあまり

 原画に頼らないで、いきなり第1版目を彫りながら次

 の版を考え、摺り合せをしながらその先を予想して、

 版を彫り進めていく事が多くなりました。このような

 手法から、分業の工程には有り得なかった、未知の世

 界との出会いが生まれ、私は今、伝統版画が自分の自

 由な思いと、一体になったと感じています。

 

 という訳で現在牧野さんの制作は、「絵師・彫師・摺

師」の三役を同時進行させるという、かつて誰も成し得

なかった段階へと到っている。つまり牧野さんは、伝統

木版という手法を用いながらも、とうに伝統を超えた領

域へと、自ら踏み込んでしまったのである。その先にど

んな世界が開けているのかは、おそらく当人でさえ知ら

ないだろう。牧野さんの一歩一歩が、そのまま新しい伝

統の歩みとなる、そんな革新的な伝統の最先端に分け入

りながら、なおその先の版表現の可能性を信ずる、牧野

宗則という作家は、そんな徹頭徹尾「版画」を体現した

作家なのだと思う。

 もし「職業は何ですか」とご本人に聞いたとしたら、

懸けてもいい、「画家」や「芸術家」という答えは絶対

に返って来ない。牧野さんは、即座に誇りを持って答え

るだろう、「木版画家です」と。

 

 話を戻そうと思う。先述した川瀬巴水は、あくまでも

「絵師」であり「画家」であった。その下絵としての水

彩画を版画化する過程で、それは表現上の進化・発展を

遂げた訳だが、巴水本人は決して「版画家」ではなかっ

た。だから巴水の版画作品は、確かに版画の妙味を多分

に含み、版表現の魅力を抜きには語れないものであるに

せよ、やはり本質的には「画家の絵」なのだと言える。

換言すれば巴水という作家は、「絵師」という役目を忠

実に果し続けたが故に、「画家」という領域を出る事の

無かった作家と言えるのではないか。

 一方牧野宗則という作家は、少年期に志した時分から

「版画家」であった。画家としての天分が優れている事

は当然としても、まずは伝統木版の職人業に強烈な衝撃

を受けて、飽く事なく浮世絵の世界に憧れ続け、遂には

学生の身で伝統木版師の家まで押しかけ、未だ徒弟制の

残る世界に自ら飛び込んで、普通なら異性や遊びにうつ

つを抜かすだろう青春の全てを、地味な技術の習得に来

る日も来る日も明け暮れて捧げ、何とそれを20年!も

続けた末に彫り・摺りを共に極め、あげくに職人になる

でもない、教室を開くでもない、この厳しい世に真っ向

から「版画家」として挑む道を選択し、どんなに困窮し

ても版画家以外の職業には就く事なく、その代り作品を

売って生活するという苦難の道程を徹して逃げず、縁故

や人脈や学閥に頼る事も一切なく、正に自力で版画家と

しての業績を積み上げ、独り未踏の版表現を切り拓いて

来た、紛う方なき「版画の鬼」なのである。だから牧野

さんの生み出す作品には、肉筆では決して描き出す事の

出来ない、版画家だからこそ成し得る独自の版表現が、

画面の隅々にまで満ち満ちている。前々頁に掲げた2点

の桜島は、その差異を否応無く明瞭に語るだろう。

 

 やまとは 国のまほろば

 たたなづく青垣 山ごもれる

 やまとし うるわし

 

 牧野さんの山水表現を観ていると、いつか私はこのヤ

マトタケルノミコトが詠んだとされる、古い望郷の詩を

想い浮べる。「まほろば」という柔らかな響きを持った

言葉は「素晴らしき場所」という程の意味らしいが、

「内なる永遠の故郷」といった解釈でも良いのだろうか。

 牧野さんの描き出す風景は、決して見たままの写実で

はない。たった一枚のスケッチに、数ヶ月に亘る時間を

かけて取り組み、気の遠くなるような彫りと摺りの工程

を経る内に、いつしか風景はただの写生を超えて、作家

の魂魄をはらみ始める。やがてそれは完成の時を迎え、

作家が風景と図らずも出会う事によって、その奥に確か

に見たのだろう、ある崇高な「光」を放つものとなる。

それは、牧野さん自身の感動そのものであり、風景との

交感から現出した、自然の「心」でもあるだろう。牧野

さんの絵の前に立つ人は、知らず知らずその「心」に触

れる事になる。だから、気が付けばいつしか平生の瑣事

を離れて、のびやかな歓びの内にたゆたう自分を見出す。

その地に豊饒に満ちている奥深い輝きこそ、正にまほろ

ばの「光」なのだと思う。

 片や風景を描く、片や風景の奥の輝きを描く、先述の

2作品の差異は、そんな根本的なアプローチの違いでも

あったのだろう。

 

 父の作品を見て「私の生き方は間違っていなかった」

と、号泣された方がいらっしゃいました ── かつて、

やはり木版画家として活躍する娘さんの風鈴丸さんに、

こんなお話を聞いた事がある。私には、その人の気持ち

が痛い程に分る。この原稿を書いている年末の今現在、

世間の風は刺すように冷たい。思うように売れず、財政

は更に逼迫し、誕生日が来てまた一つ歳を取り、その割

には何事も成し得ぬまま、先々は唯暗澹と翳るばかり。

 そんな時こうして牧野さんの絵を見ていると、あの燦

爛たる光彩の中から、「それで良し」という確かな声が

聞えて来る。それは作者の声であると同時に、天然より

響き出す声でもあるのだろうか。この世を歩み往く中で、

まだ信ずるに足るものがある、そんな力強い温かな肯定

を、牧野さんの木版画はしんしんと放って止まない。

 

                     (13.12.20)