ヴェネツィア・陽の落ちる運河     油彩 /8F
ヴェネツィア・陽の落ちる運河     油彩 /8F

画廊通信 Vol.132     再び、水の街路に光落ちて

 

 

 案内状にも簡単に記載させて頂いたが、2008年の

「ヴェネチア紀行」、翌年の「ヴェネツィア── 水の街

路をゆく」に続いて、今回は3度目のヴェネツィア・シ

リーズとなる。前回から5年、その間斎藤さんはアンダ

ルシアからトスカーナを巡り、昨年はマジョルカへと足

を延ばされた。イベリア高原からイタリア半島を経て地

中海の島へ、その旅路から生まれた作品の数々は、いず

れも人間の営みが幾星霜にもわたって刻み込まれたよう

な、石造りの古い街々をテーマとしたものだった。そこ

には歳月に風化した石壁がたたずみ、連なる建物の狭間

を石畳の街路が縫って、見上げれば郷愁に染まるかのよ

うな天空が広がり、足下にはいつも悠久の風情を湛えて

横たわる、広漠たるユーラシアの大地があった。そして

本年、斎藤さんは再びあの水の都へと帰って来た。大地

を走る石の街路の替りに、柔らかな水の街路が揺らめく

古都。アドリア海の女王と謳われ、数知れぬ画家を今な

お惹き付けて已まぬ水上の迷宮。この古来「ヴェネツィ

ア」と呼ばれる、名にし負う極めて特殊な街について、

前回この欄にグーグル・マップを通して書かせて頂いた

のだが、今回久々に画家が同地を描き下ろすに当り、今

一度その折の拙文を、ここに掲載させて頂きたく思う。

以下、画廊通信Vol.71「水の街路に光落ちる頃」より。

 

 グーグル・マップが航空写真をネット上に導入した時

から、「俯瞰」という神の視点は、どこからでも自在に

享受できるものとなった。それを更なるテクノロジーの

輝かしい進化と捉えるのか、あるいは進化という美名を

騙った性懲りもない驕慢と捉えるのか、一朝一夕に結論

の出るテーマではないと思うが、一つだけ確かなことは

そんな倫理規範などあっけなく素通りして、人間は極め

て安易に目新しい技術を摂取する。倫理的命題を云々す

る前に、実はそんな人間の性 (さが) こそが問題ではない

かとも思うのだが、かく言う私も、こうしてグーグルの

サイトにのうのうとアクセスしている訳だから、とても

人類の行く末を案ずるに値する分際ではない。

 さて、ディスプレイに写し出されたイタリア半島の東

方・アドリア海を北上して、湾の最奥部を基点に高度を

徐々に下げて行くと、やがて海岸線の内側を浸食する細

長い潟が現れる。イタリア語で「ラグーナ」と称される

地勢で、陸地になりかかったまま中途で放棄された、巨

大な水たまりと云ったら妥当だろうか。その中に大小の

洲や島が無数に散らばり、更に高度を下げればほどなく

ラグーナのほぼ中央に、建物で隙間なくギッシリと埋め

尽くされた奇妙な小島が見えて来るだろう。最長部で5

キロ弱ぐらい、という事は面積にして東京の中央区に満

たない程だろうか、いわゆる「ヴェネツィア」である。

 こうして空から眺めてみると、かねてより「アドリア

海の真珠」と讃えられるいにしえの古都は、実は浅瀬の

中に露出した僅かな中洲に、石造りの建物を嫌というほ

ど過密に乱立させた、実に奇態な街であった事が分る。

こんな極端に足場の劣悪な場所に、一体どうやって無数

の重々しい建造物を載せる事が出来たのか、考えるほど

に不思議でならないのだが、何の事はない、丸太の杭を

これでもかと大量に打ち込んで、建物の土台としただけ

らしい。それがどうしてズブズブと沈下しないのか、い

よいよ興味の尽きない問題ではあるのだが、この場で探

究すべき事でもないのでそれはさておくとして、この際

は更に、ヴェネツィア本島が画面一杯になるまで視点を

降下してみよう。すると島の中央部を、逆S字型に蛇行

する大きな水路がすぐにも目に入る。ヴェネツィア水運

の中核を成し、島を東西に二分する大運河「カナル・グ

ランデ」である。そして私はディスプレイの中をなお落

下する、建物のひしめく街中を目指して真っ逆さまに、

翼を失ったイカロスの如く。やがて画面には、稠密する

石造りの街に無数の亀裂を造る、網の目の様な水路が写

し出されるだろう。街の内側を貫く大運河と、街の外側

に茫洋と広がる海洋を、縦横に張り巡らされた水路が結

ぶ街、それが水の迷宮・ヴェネツィアの姿である。視点

はまだまだ降下して、家々の屋根はもちろん、建物に囲

まれた四角いパティオが見えるほどにも接近し、水路に

泊まる小さな舟の姿までもが識別できるようになって、

あわや水面に激突かという寸前で、突如停止する。神の

目はそこで終わり、神でさえ見る事の出来ない世界が、

その下から始まるのである。

 

 以上、長々と抜粋させて頂いたが、図らずもグーグル

から得た哲理が一つ。神の目には、自然を拓き街を造る

「人間」の営みは明瞭に写るけれど、「人」という個の

営みは写らない。それは街に降りて路地を歩き、様々に

交叉する塵界にまみれ、神のいる天空を振り仰ぐ者だけ

に、見る事の許された世界なのだろう。

 斎藤良夫のヴェネツィア──未だ私はその地を訪れた

事はないけれど、もしまかり間違っていつか訪ねる事が

あったとしたら、斎藤良夫という画家の「眼」を意識せ

ず、ただ虚心にその街を眺める事は、もはや出来ないだ

ろうと思う。そのぐらい私の脳裏に浮かぶ古都には、斎

藤さんの「眼差し」が色濃く焼き付いている。それは即

ち、画家の特異な感性のフィルターを通して初めて見る

事の出来得る、「斎藤良夫の」ベネツィアなのである。

言い方を換えるなら、それはアドリア海の最奥に存在す

る現実の街であると同時に、斎藤良夫という精神の中に

しか存在しない、内なる異郷とでも言うべきものか。

 今ここに一枚の絵がある(図1)。「ヴェネツィア・

陽の落ちる運河」F8号、今回のラインアップ中の一点

だが、実はこの作品は、前回のヴェネツィア・シリーズ

の折に一度出品されたものである。それから5年、丹念

に幾度も施されたリタッチの故か、カンヴァスはずっし

りと重い。おそらくは長い歳月をかけて、画家はこのカ

ンヴァスに向き合い続けたのだろう、幾重にも重ねられ

た筆の跡を見ていると、絵具の堆積はそのまま精神の堆

積であり、精神の堆積とは自己との飽くなき対話に費や

された、時間の堆積に他ならない事が分る。よく厚塗り

を手法とする作家を見受けるが、効果や演出としての作

為的な厚塗りは、皮肉にも絵具を重ねるほどに、却って

精神の浅薄を露呈するものである。対して斎藤さんは、

決して厚塗りを目的としてはいない。それは長年にわた

る自己との対話の軌跡が、結果的にいつしか絵具の堆積

となったものだ。言うなれば、全く個性を異にするにせ

よ、あのジョルジュ・ルオーが果てもなく自己と向き合

い続けた結果、稀に見る極度の厚塗りを呈してしまった

と云う事例と、事の本質は同じではないかと思うのだ。

故にこの深いマチエールは、そのまま画家の感性の根ざ

す深度の現れと言っても、決して過言ではないだろう。

 前置きが長くなってしまったが、そろそろ作品を見て

みたい。正式に勉強をした訳ではないので、あまりいい

加減な事は言えないのだが、よく美術雑誌等に掲載され

る「構図法」と言われるものに、私はかなりの疑問を抱

いている。世に研究家と呼ばれる先生方は、絵の上にや

たらと直線や斜線や曲線を書き入れて、やれ対角線だ、

内接円だ、黄金分割だとのたまうが、見ていると私には

どうもその論調の有りようが、心霊研究家と言われる先

生方と酷似するように思えてならない。彼等が一見何で

もない写真の中に、巧みに背後霊や地縛霊を発見してし

まうのと同様に、おそらく描いた当人はそんな計算など

していないにも拘わらず、構図研究家は実に巧妙に各種

の比率を発見してしまう。こんな事を言うと先生方を怒

らせてしまう事になるが、要は幾らでも当てはめられる

し、こじつけられるのである。まあ、それはそれとして

一つの才能とも言えるのだから、別に糾弾するつもりも

ないけれど、ただし、優れた画家が直観的なバランス感

覚を有し、それによって感覚的に構図を形成するのだと

したら、それは画家だからこそ為し得る「感性の計算」

と言っても、誤謬では無いのかも知れない。

 前項の図2(ここでは省略)は、無限に分割の可能な

金比の矩形、いわゆる黄金長方形の図版だが、これを

述の斎藤さんの作品に重ね合せてみると、風景の構図

と分割線とが、驚くような一致を見せる(図3──ここ

は省略)。F8号というカンヴァスの形状から、横方

はカットされ、縦方向はプラスされるのは止むを得な

としても、構図どころか視線の移動までもが、黄金分

から導かれる螺旋形状に、見事に一致する事が分るだ

う。即ちこの絵を見る者は、最も手前に位置する右端

杭にまずは眼を止め、後方の建物の壁を徐々に這い上

り、いつしか遥かな上方に覗く空へと視線を移し、そ

は左側の影になった壁を這い降りて下方の水面へと落

ち、陽光の照り映える水路をその先へと進んで、やがて

運河に架かる画面奥の橋へと収斂する。この構図研究家

なら狂喜するであろう完璧に数学的な構図を、斎藤さん

は間違いなく感性という武器だけを用いて創り上げたの

だ。所詮芸術においては、理性とは感性を説明する能力

に過ぎない。芸術家は感性を駆使して作品を成し、研究

家はそれを分析という名の下に理性を総動員してこじつ

ける、ただそれだけの事だ。芸術という土壌では、常に

感性は理性に先立つのである。その原理を斎藤さんの一

作は、見事に体現して止まない。

 

 今回のヴェネツィアに限らず、斎藤さんの描く風景の

大半は、古い街並や路地をテーマとしたものである。人

を寄せ付けない峻厳な大自然や、見晴るかす絶景を好ん

で描く作家も居るが、斎藤さんがそのような人の匂いの

しない風景を描く事は、ほとんど無いと言ってもいい。

そこには決まって人の営みがあり、たとえそれが人の居

ない風景であったとしても、そこに刻まれた人の温もり

と匂いを、見る人は必ずや感じ取る事になる。そう考え

てみると結局斎藤さんは、風景を描きながら人を描いて

いるのだと思う。例えばあの得も言われぬ「壁」の絵。

以前「この壁を描いたんですよ」と、現地の写真を見せ

て頂いた事があるが、何の事はない、それは崩れかけて

煉瓦が剥き出しになった、只の汚い壁に過ぎなかった。

その剥落した古い壁と、カンヴァスの上でじっくりと向

き合いながら、そこに斎藤さんは人の軌跡を、痕跡を描

き入れてゆく。幾百年も佇んで来たのだろう壁の前を、

様々に通り過ぎて行った幾千幾万の人々、その想いを、

匂いを、温もりを、画家は静かに慈しむように、長い時

間をかけて刻み込む。それはそのまま「斎藤良夫」とい

う画家の想いを、ひいてはその精神を、滲ませ染み渡ら

せる行為でもあるのだろう。やがて壁の前を往き過ぎた

異郷の人々の心は、それを描く画家の心と一つになる。

その意味で斎藤さんの風景とは、畢竟画家の自画像に他

ならないと言っても、極論とは言えないのではないか。

 

「一度でいいから、純粋な旅行をしてみたいですね」、

過日、画家はこのように語られた。驚いた事に海外への

渡航は全てが仕事、観光で行った事など皆無なのだと言

う。現地に着けば取材のために連日歩き通し、ある意味

過酷な労働の日々である。「特にヴェネツィアはいい。

迷路のように入り組んだ路地を、絵の事なんか忘れてぶ

らついてみたい」、遠くに想いを馳せるかのようにそん

なお話をされた後、「でも歩いてる途中で、きっと紙と

鉛筆買っちゃうだろうね」、画家はそう言って笑った。

斎藤良夫78歳、まだまだその旅路は終りそうにない。

 

 

                     (14.09.21)