11月の広場         油彩 / 3S
11月の広場         油彩 / 3S

画廊通信 Vol.133        いつかの広場の風に



 平澤さんの個展は、今回で11度目になる。顧みれば2004年に始めて個展を依頼してから、ちょうど10年の歳月が流れた事になる。その間、平澤さんの表現は常に休みなく変遷を続けた。たぶん平澤さんの表現には「変化」というファクターが、当り前のように組み込まれているのだ。ちなみに初個展の頃は「青の時代」の只中で、出品作のほとんどがえも言われぬ青緑系の色彩に染まり、画廊全体が薄暮のあの青い大気に満たされたようであった。それから徐々に茶系の色彩も加わり、いつしか多様で複雑な色相へと変移して、それにつれて作風

もシンプルなものから、様々なフォルムが混沌と画面を

占めるものへと変貌し、時には限りなく抽象に近接する

事もあったりしたが、このところはまたスッキリと画面

が整理されつつある。しかし平澤さんには、外層がどう

変化しようとも、全く変らない内層がある。それ故に、

作風が如何なる変遷を遂げようとも「平澤重信」という

アイデンティティーは、全く揺るぐ事が無いのだろう。

 平澤さんとの出会いは、ある美術誌に掲載されていた

作品写真だった。その時の印象はそのまま私の平澤観と

なり、その観点から作品を拝する限りでは、この10年

何一つ変る事のない、言い方を換えれば涸れる事のない

瑞々しい鮮度を、平澤さんの世界は保ち続けている。あ

の時受けた「感じ」とでも言うべきもの、それは私の中

でいつも鮮明に顕在化し、今もその世界を思い描く時、

色褪せる事なくある雰囲気を喚起するのだが、さてそれ

を何と言ったら良いのだろう。どことなくもの哀しいよ

うな、うら淋しいような、しかしどこかしら軽やかで柔

らかな、懐かしく澄んだ風の吹くような、そこでは全て

が解き放たれて、どこへでも自由に行けるのだけれど、

もう少しの間立ち止まったまま、その微細な大気に心遊

ばせていたくなるような、そんなどうにも言葉ではつか

み難い、不思議なアトモスフィア。何か漠然としたある

気配、そこはかとない風情、とらえどころのない陰影、

それとなく滲む情緒、そんな言葉にはならない雰囲気・

空気感を「アトモスフィア」という言葉で呼ばせてもら

うのなら、平澤さんの中でこの10年一つも変らないも

のは、正にその言葉に集約されるのではないだろうか。

 平澤さんの作品に囲まれて、その世界に心を遊ばせて

いると、私はいつも何故かしら、遠い子供の時分を思い

出す。「童心に返る」とは良く使われる台詞だが、決し

てそんな美しいものではない、今や浮世の俗塵にまみれ

て、返るほどの童心も持ち合せてはいない。ただ、あの

空気感だけ、何か不思議な兆しを孕みながら、何処まで

も静かに澄み渡っていた異空、その時の言葉にはならな

い透明な想い、そんな忘れかけてはいるけれど、しかし

未だ私の中に消え残るあのアトモスフィアを、その世界

は再び、鮮明に呼び起こしてくれるのである。


 私は幼少の頃、よく父に色々な物をねだった。大概は

絵本だったが、たまにそれは玩具だったりもした。何し

ろ50年近くも前の話だから、大変にレトロな時代だっ

たかと思うが、そこに彗星の如く登場した画期的なヒー

ローがあって、当時の子供達は瞬時にして、一人残らず

その虜となった。ご存じ、ウルトラマンである。当然私

もその魅力に取り付かれ、友達との付き合い上必要に迫

られた事もあり、ある日満を持して我が父に、人形の購

入を頼み込んだ。あの頃一世を風靡した、ソフトビニー

ル製の人形である。「よし、分かった。明日会社の帰り

に買って来てやる」という力強い言葉を信用して、翌日

父が帰って来る夕方の時間を、私は今か今かと待ち構え

た。やがて遠くから50ccバイクのエンジン音が聞え

て来て(当時私の最も好きな音だった)待ち切れずに外

へ飛び出してみたら、荷台にしっかと真新しい箱が結び

付けられている。早速それを家に運び入れ、にこやかに

微笑む父の前で、矢も盾もたまらず包装紙を剥ぎ取った

瞬間、私は思わず眼を疑った。確かに、ウルトラマンで

はあった。しかしよりによって、手袋状の指人形だった

のである。近年はマペットと言うのだろうか、下から胴

体の中に手を入れて、頭や手を動かせるようになってい

るあれで、それは誠に情けないゴム製の人形だった。そ

れでも上半身はまあ良い、許せないのは下半身である。

手を入れるために、足であるべき部分が、ラッパ状のス

カートになっているではないか。「何でウルトラマンが

スカート穿いてんだよお!」こう叫んだ後はもう抑制が

利かなくなり、ヘナヘナしたゴム人形を思いっ切り放り

投げると、私はあまりの怒りに暴れながら泣き喚いた。

きっと父は、そんな私を不憫に思ってくれたのだろう、

「分かった。ちゃんと足の有るやつがいいんだな。明日

また買って来てやるから」と固く約束してくれたのだっ

たが、さて翌日も夕方となり、約束通り買って来てくれ

た人形は、まさしく待望のソフトビニール製で、確かに

足も有るには有ったのである。ただ、何をどう間違えた

のか未だに理解し難いのだが、何故かそれは「大魔神」

であった。まあ、大魔神も嫌いでは無かったので、それ

で良しという事にはしたのだったが、絵本の場合もそれ

と同様の事は多々あって、特に「ウィリアム・テル」を

買って来てくれと、念には念を入れて頼んだ筈が「ロビ

ンフッド」だった時は、指人形事件以上に爆発的な勢い

で泣き喚いた。でも、仕方なく読んでみたらとても面白

かったので、以降は愛読書の一つになったのだけれど。

 そんな幼少期に、幾十冊も買ってもらった本の中で、

ボロボロになるまで持ち歩いた、一冊の絵本があった。

当時、書店の幼児向けコーナーには必ず置いてあった、

安価な薄っぺらい絵本シリーズ中の一冊で、小さなカマ

キリが長い旅に出て、色々な体験をするような物語だっ

たかと思う。最早、記憶の彼方に霞んではいるが、特に

その中の1ページに何故かしら強く心惹かれ、一頃は繰

り返し繰り返し、飽かずにそれを眺め暮らした。美しい

虹色の巻貝をとても大事そうに抱えて、一匹のカマキリ

が何処かへ旅立とうとしている図である。確か、巻貝は

カマキリが何処かで拾った宝物で、その大切な道連れと

共にたった独り、彼は故郷を旅立つのだ。彼方を不安そ

うに見ている彼の前には、草原が果てもなく広がってい

て、その中を一本の小径が曲がりくねりながら、何処ま

でも続いている。吹き渡る風、遥かに霞む山々、それだ

けの絵だったように思うが、幼い私はいったいあの絵の

何に、あそこまで心惹かれたのだろう。今こうして顧み

れば、それはあの絵に感じられた「大気」だったのだろ

うか。もの哀しくも軽やかな、淋しいけれど柔らかな、

いつまでもそこに浸っていたくなるような、あの奇跡の

ように透明な空気感。私はその1ページの中で、虹色の

巻貝を抱えたカマキリと並んで、不思議な懐かしさの満

ち満ちた大気に、きっと夢のように包まれていたのだ。


 それから数年後、私の抱える書は、名も知れぬカマキ

リの絵本から、ケストナーの「飛ぶ教室」へと変ってい

た。裕福な友達の本棚にあった、世界文学全集から拝借

して来たもので、かねてから想いを寄せる女子に、我が

書籍の如く又貸しをしようという魂胆である。内容の良

い事はもちろん、何よりもタイトルがロマンチックだ、

憧れの女子に手渡すには打ってつけではないか。小学5

年生11歳、異性には奥手でも恋愛には早熟であった私

は、その頃同じクラスのある女子に、密かな想いを寄せ

ていた。言うまでもないけれど、小学校の高学年辺りは

男女の差異が最も著しい時期で、まだまだ子供っぽさを

残す男子に比べて、女子は早くも大人びた雰囲気を身に

まとう。河野さん、スラリと背が高く、妖精の如く清麗

な美しさで、クラス中の男子が彼女に魅了されていた。

 そんなある日、友達のS君が住む町工場の片隅に、放

置された謄写版印刷機を見つけた事から、私はそれで学

級新聞を印刷し、自主的に発行しようという企画を立て

た。メンバーは5人ほど、どう誘ったのかは忘れたが、

河野さんもその一員である。そう、お察しの通り、学級

新聞なんてどうでも良かったのだ、河野さんと一緒の時

間を過ごせる、その嬉しさに胸ときめかせて、その日も

私はS君の家へと向った、ケストナーを小脇に抱えて。

一番乗りで編集室に入ると、ほどなく河野さんが来た。

編集室とは云っても、ただの使われてない工場の応接室

だったが、幸い机も椅子もそのままになっている。二人

だけの時間、この絶好の機会を逃してはならないと思い

「これ読んだ?」、埃っぽいソファーに足を揃えて座っ

た河野さんに、私はいそいそと又貸し本を差し出した。

「世界文学全集ね。私、これ持ってるの」「あ、そうな

んだ」、にわかに精彩を失った「飛ぶ教室」を引っ込め

て、あまりの決まり悪さでニヤニヤしているところに、

家主のS君もやって来た。やがて有志が揃ってワイワイ

ガヤガヤ、遊びか作業か判然としないような時間が過ぎ

て、たちまちの内に夕暮れが近付き散会の時刻となる。

帰りの道すがら、またも河野さんと二人になれたので、

私は以前から聞きたかった事を、思い切って口にした。

「S君の事、好き?」、どうもS君と話す時は、顔がよ

りイキイキと輝くようで、自分と話す時の表情とは、随

分と違うように思えたから。短い沈黙の後「好きよ」と

いう言葉が返って来て、私はそれ以上を聞けなかった。

 河野さんと別れてから、公園に寄ってベンチにグッタ

リと腰を下ろし、誰も居なくなった広場を、私はボンヤ

リと眺めた。哀しかった……のだろう。でもそれより、

心はいつになく透明で、目前で風に舞う「想い」が見え

るように思えた。ふと見上げると、空一面が薄い雲にお

おわれ、夕暮れの筈が奇妙な緑色を帯びて、辺り一帯が

不思議な微光で包まれている。明るい訳でもなく、暗い

訳でもない、ただそこはかとなく微細な兆しに、大気は

音もなく満たされている。そして私は茫然と見ていた、

世界に「詩」の立ち上がる様を。目前の広場で無数の断

章が、緑に染まる透明な時空の中へ、まるで陽炎のよう

に溶けて往く……。一瞬私は幼い日にも、こんな空気に

懐かしく包まれた事が、確かにあったような気がした。

 蛇足ながら、それから8年ほどを経た頃、私はあの時

に聞けなかった事を、一人のうら若き女性にぶつけた。

「で、僕の事どう思う?」、この軽薄かつ切実な質問に

「どうとも思わない」という極めて酷薄な返答が下され

てから、まあ随分と長い歳月が流れたけれど、容姿の劣

化……失礼、変化は致し方ないとして、その癪に障る口

の叩き方は、より一層磨きが掛かっているようである。


 詰まらない思い出に、長々と紙面を割いてしまった。

無論これは私見に過ぎないが、あの幼少期に感じた絵本

の空気と、学齢期に見た不思議な大気と、そして平澤さ

んの世界が湛えるあの雰囲気と、その三つは私の中で共

通の頂点を成して、柔らかなトライアングルを形作る。

極論を言わせてもらえば、平澤さんの表現の根幹を成す

ものは、まさしくその言葉にならない空気感=アトモス

フィアなのだと思う。それは、大作を描く時により顕著

となる。100号を超える作品を見れば、直ぐにも分か

る事だが、押し並べてそこには「中心」が無い。様々な

キャラクターは登場すれど、物理的な中心は置かれて居

ないのだ。逆説を言えば、全てのモチーフは見えない中

心を暗示する。しかしながら、その中心には何も無い。

ただ言葉にはならない想いだけが、誰の心にもある懐か

しい広場の上を、軽やかな風となって吹き渡っている。


                    (14.10.25)