いのち咲く (2000)  34版45度摺 / ed.250
いのち咲く (2000) 34版45度摺 / ed.250

画廊通信Vol.138             遥かなる

 

 

 牧野さんの個展は、今年で12回目になる。顧みれば

2003年の初回展から一回り、また同じ干支が廻って

来た訳で、実に早いものだなあと云う感慨に、思わず溜

め息が出てしまう。実を言うと、初めてお会いしたのは

もっと前の事で、初回展から更にさかのぼる事6年、合

算すれば18年も以前の事、当時私は市内の或るギャラ

リーに勤務していた。個展の開催を依頼に、富士山麓の

アトリエに伺わせて頂いたのが、思えば初めての出会い

である。時にして1997年、その頃牧野さんは既に、

押しも押されもせぬ比類なき木版画家として、美術誌の

特集に組まれるような作家であった。今ちなみに計算し

てみると、当時牧野さんは57歳の働き盛り、蛇足なが

ら私も随分と若く、30代の後半位だったろうか。その

時の経緯を、かつてこの画廊通信に書いた事があって、

今回久々にそれを読み返してみたら、ああ、そうだった

なあと、強い懐かしさを覚えると共に、改めてあの頃の

初心が、身の内によみがえるような気がした。少し長く

なるが、その時の拙文を今一度ここに抜粋してみたい。


 首都高から東名高速に入り、厚木を過ぎて山間部に掛

かった辺りから、折からの雨脚が次第にその勢いを増し

て、あれよあれよと云う間に滝のような豪雨となった。

加えて周囲が濃い霧の海となってしまい、豪雨と濃霧が

重なった日にはほんの数メートル先も見えず、ハンドル

を握る私は生きた心地がしない。身を乗り出して眼を見

開き、前方の朦朧と霞む薄明を凝視する事数十分、御殿

場を過ぎて命からがら裾野インターを降りた頃、さしも

の豪雨もやっとその雨脚を弱め、文字通り富士の裾野を

北上して演習場の重い地響きが聞える時分には、先刻の

仕打ちが嘘のような曇天となった。卯月春日、当時勤務

していた画廊のオーナーと共に、展示会を依頼した版画

家のアトリエに、初めて伺わせて頂いた時の事である。

 版画家の制作する版種は木版、それもただの木版では

ない。江戸後期に始まって、歌麿・写楽・北斎・広重と

云ったそうそうたる大家を輩出し、更には遥かヨーロッ

パ美術にも多大な影響を及ぼして絵画史を塗り替える一

因ともなった、究極の版画として名高いあの浮世絵伝統

木版、その技術を20年もの長きに亘って修得した、泣

く子も黙る稀代の木版画家である。のみならず、むしろ

その先が本領なのだが、大変な歴史を持つとは云え、今

や時代の波間に衰退する一方であったその伝統技法を逆

手に取り、却って現代の新しい表現方法としてよみがえ

らせ、遂には伝統を超えて独自の作風を確立するに到っ

た、かつてない独創的な作家なのである。さて、その作

品は如何なる所で生み出されるのかと、ただならぬ興味

を乗せて車はうねうねと山道を走り、富士サファリパー

クを過ぎた辺りの林間を奥へ分け入ると、やがて瀟洒な

別荘地が見えて来たようである。目指す番地をほどなく

探し当てると、初めてお会いする当代気鋭の版画家は、

満面の温かい笑顔で私達を迎えてくれた。牧野宗則──

高度な伝統木版と自由な創作木版を初めて融合させた、

日本でも唯一の特異な木版画家。全国各地に多くの熱心

なファンを持ち、この低迷するご時世にも拘わらず個展

の度に驚異的な実績を上げる、真の実力派作家である。


「遠いところ、大変だったでしょう」とお通し頂いたア

トリエは、伝統木版のイメージとは程遠い、超モダンな

現代建築である。柔らかい肌触りの土壁と、漆喰で囲ま

れた広々とした空間、採光のため随所に空けられた窓、

仕事場にも通して頂いたが、整然として清潔な、明るく

気持ちの良い空間であった。壁には様々な版木が幾重に

も立て掛けられていて、丹念に彫刻された版面に青やピ

ンクの色鮮やかな絵具が施され、版木だけでもそのまま

美しい芸術品である(ご存じのように、後年牧野さんは

その版木を用いて『ブロックスアート』と称する新しい

表現を生み出すが、この頃は摺り終えた版木は、原則と

して作家自身が焼却していたと言う)。別室に移ると、

そこには出品作品がズラリと並べられていた。それにし

てもこの時初めて目にした作品群は、何という美しさを

放っていた事だろう。思わず息を呑むような鮮麗な色彩

と、豊潤な光彩がみずみずしく輝き溢れて、描かれた大

自然への敬愛が祈りが、画面一杯に讃歌を奏でている。

それは今まで目にした如何なる木版とも、全く異なるも

のであった。それもそのはず、牧野さんの作品は通常の

木版制作の常識を遥かに超えて、その多くが20度から

時には40数度にも及ぶ、神業とも云える驚異の重ね摺

りから生み出されたものなのである。しかも牧野さんは

その困難な制作の全てを、従来の伝統的な分業によらず

たった一人でこなすため、一点の制作が3~4ヶ月と長

期に亘ってしまい、大作ともなれば半年近い期間を要す

ると言う。よって、作品点数は勢い寡作にならざるを得

ないが、極度の集中力を伴う過酷な作業の末に完成する

その作品は、優麗にして神秘な高い品性を湛えている。

 実は、この時はお嬢さんも一緒に在席されていて、彼

女も当時にわかに注目を集めつつあった新進の木版画家

だった事を知り、親娘とは露ほども知らなかった故、心

底驚いた記憶がある(言うまでもなく、当店で何度も個

展をさせて頂いた風鈴丸さんの事。思えばこの頃、風鈴

丸さんはまだ20代の妙齢ながら、その幻想性に満ち溢

れた詩的表現は、全く独自の世界を形成していた。まる

で月下に咲き香る、哀しくも妖しい花のように)。その

美しいお嬢さんに淹れて頂いた、香り高いお茶を戴きな

がら展示会の打ち合せをして、最後に記念写真を一枚と

云うオーナーの希望である。牧野さんを真ん中に3人が

並んで、お嬢さんがシャッターを押すその瞬間に、牧野

さんはヒョイと足を折って背を縮められた。牧野さんは

私などより余程長身なのだが、そんな訳で今手元にある

写真を見ると、上半身だけ写ってにこやかに笑う牧野さ

んは、その思いやりの分だけ低くなって、隣の私の方が

却って背が高い。稀代の名匠は、そういう人であった。


 

 牧野さんのファンにはとうに既知の事柄を、長々と抜

粋させて頂いたが、しかし既知とはいつの間に感性を曇

らせ、未知への新鮮な驚きを鈍らせてしまうものだ。自

らを顧みても「驚異的な多色摺り」「分業を廃した単独

作業」等々と幾度となく話している内に、それがいつし

か当り前の事になってしまい、本来それがどういう事で

あったのかを忘れがちになる。今12回目の個展を迎え

るに当って、再度真っさらの虚心でその意義を噛みしめ

てみれば、例えば牧野さんの特徴である「多色摺り」と

は、正に文字通り「驚異的」なものなのだ。一口に30

度・40度と言うけれど、ならば今それだけの重ね摺り

を自家薬籠中の物として、しかもそれを作品の上で十二

分に活かし切る事の出来る作家が、果して他に居るだろ

うか。摺度数のみならず、縦横に駆使される様々なボカ

シの表情、あるいは多様に煌めく雲母(きら)摺の妙、

これらの技術は既に江戸浮世絵木版を遥かに凌駕して、

故に通常の伝統職人にはもう為し得ない、全く別次元の

領域へと到っている。更に言うならば「単独作業」、こ

れはもちろん絵師・彫師・摺師の三役を全て一人で担う

事を指すが、かつて伝統職人が自分の作品を制作する事

は稀にあったとしても、それは決して職人の余技を出る

ものではなかったし、ましてそれを「絵画芸術」として

見た場合(言うまでもなく『版画』も『絵画』の一分野

であるから)、現代絵画として通用するレベルには到底

及ばない。斯様に伝統木版界の現況を少々振り返ってみ

ても、三役を単独でこなしつつ牧野さんのレベルに匹敵

出来得る作家は、古今東西を通して唯の一人も居ない。

かつてある評論家をして「牧野の前に牧野なし、牧野の

後に牧野なし」と言わしめた所以が、正にそこにある。

今回の案内状にも「未踏の版表現に挑み続ける」云々と

記したが、これは別に大仰でも何でもなく、今現に制作

されている木版画の表現は、かつて何人(なにびと)も

成し得なかったものなのだから、最早とうに先達の居な

くなって久しい正に前人未踏の道を、牧野さんは今まで

も唯一人歩み続けて来られたのだし、これからもその歩

みは坦々と変らないだろう。ならば、次なる作品はどん

な新境地を見せてくれるのかと、度毎に胸を躍らせて待

つ私達は、まさしく新たな版画史の生れ出ずる現場を、

目撃して共に歩み往く、同時代の証人となるのである。

 


 4年前、私は「新・富嶽二十四景」と銘打ち、作家が

自らの重要なライフワークとして、長年に亘って描き続

けて来られた富嶽景のみをセレクトし、一堂に展観する

試みをさせて頂いた。史実には北斎の「冨嶽三十六景」

刊行が1831年とあるから、たまさか2011年と云

う年は、ちょうどその180年後に当っていた。さて北

斎翁、往年の木版画をとうに超えてしまった革新の浮世

絵を、どんな感慨で見ておられたろう。俺の時代は作品

を創るにも何かと制約が多く、本当に自由な表現が出来

なかった、もし俺が180年後を生きて、好きなように

作品を創れたとしたら、やはり彼と同じ事をやっただろ

う、そう言って、心底悔しがったのではないだろうか。

 今回の企画は、その富士シリーズ第2弾となる。あれ

から4年、かつて北斎・広重が最も心魂を傾けたテーマ

である「富嶽景」を通して、まるで彼等の後継と云う重

い責務を自らに課すかのように、牧野さんはいよいよ富

士シリーズ一本に絞り込んだ制作を続けて来た。今回の

案内状に掲載させて頂いた「天地有情」は、正にそんな

牧野木版が行き着いた、究極の版表現と言えるだろう。

作家によると、この作品には北アフリカ原産のミントを

用いたとの事、一見して際立つ鮮烈な青緑色は、正にそ

のミントの光彩らしい。以前に遠くモロッコで仕入れて

おいたものの、強力な浸透力を持つ染料なのでおいそれ

とは使えず、充分な研究・試行を経た後に、満を持して

用いたとのお話である。ちなみに、摺度数は遂に50度

を超えた。前代未聞、ただただ絶句するのみだが、それ

にしてもこんな版表現が、かつてあっただろうか。思え

ば江戸中期・明和年間の案出とされる多色摺浮世絵木版

=錦絵は、約250年の時を隔てて奇しくも牧野宗則と

云う芸術家を得、当時の誰もが凡そ考えもしなかっただ

ろう境地へと達したのである。あたかもそれを讃嘆する

かのように、冠雪を抱く富士の頭上に、今大いなる何か

が降り立とうとしている、蒼々たる光輝を放ちながら。


 これも以前に書いた事だが、私は牧野宗則展の時期に

なると、いつも一枚の写真を裏の事務室に貼り出す。泰

明画廊発行(1995年)の画集に掲載されていた、牧

野さんのポートレイトである。私はこの写真が好きだ。

ご本人はさぞ気持ち悪かろうと思うが、好きなんだから

仕方がない。20年前と云う事は、この時の牧野さんは

55歳、ちょうど今の私と同じ歳だ。牧野さんは柔らか

く微笑んでいる。しかし僅かに眉間に皺を寄せ、その眼

は厳しく澄み渡っている。この顔を見る度に、私は牧野

さんの来し方を思う。これはたった一人、誰も通らない

未知への道程を、黙々とひたすらに歩み来た人の顔だ。

その謹厳が、慈愛が、信念が、見るほどに滲み出して私

の心を打つ。しっかり生きよと言っている。同齢の作家

に叱咤され、私は「ハイ」と答える。そして襟を正し、

背筋を伸ばして、表の展示スペースへと向うのである。


                    (15.03.21)