街灯              油彩 / 4F
街灯             油彩 / 4F

画廊通信 Vol.144       雨のように、涙のように



「ブレードランナー」という1982年公開のアメリカ映画がある。時は近未来、宇宙開拓の最前線における労働用に開発された、人造人間を巡る物語である。彼等は「レプリカント」と呼ばれ、人間と見分けのつかない容姿と、人間を超える知能と身体能力を持ちながら、奴隷の如く過酷な労働に従事させられていた。ある日、数人

のレプリカントが反乱を起こし、人間を殺害して地球へ

と逃亡し、都市の巷間に潜伏する。彼等を探し出して始

末するのが、専任捜査官「ブレードランナー」という訳

だが、ハリソン・フォード演ずる主人公は次々と凶暴な

レプリカントを射殺して、遂に凶悪なリーダーを残すだ

けの状況へと追い込む。映画の末尾を飾るルトガー・ハ

ウアー演ずるレプリカントとの対決シーンは、いちいち

私如きがここで断るまでもなく、映画史上に残る名シー

ンだろう。強靭な能力を誇るレプリカントに散々に翻弄

されたあげく、敗北したブレードランナーが命を失わん

とする刹那、何人もの仲間を殺されたリーダーはその張

本人に復讐を加えると思いきや、意外にも彼を救済する

という行動に出るのだが、それは自身の生命が後わずか

で尽きる時が来た事を、自ら知る故であった。思いがけ

ない事態に言葉を失うハリソン・フォードの眼前で、暗

鬱に降りしきる雨の中、荒廃したビルの屋上に静かに腰

を下ろし、闘いで血にまみれたルトガー・ハウアーが、

愛おしげに鳩を胸に抱いて、ヴァンゲリスの崇高な音楽

をバックに、何とも言えない哀しげな微笑みを浮べて語

る最後の台詞が良い。この後、無敵のレプリカントは首

をガックリと垂れて命尽き、真っ白な鳩はその手を離れ

て、暗雲の切れ間へと羽ばたくのだけれど。以下にその

台詞を、私なりの勝手な訳で再現させて頂ければ……。


「お前達人間には信じられないものを、俺は見て来た。

オリオン座の肩の近くで、炎に包まれていた戦闘艦を。

暗黒に沈むタンホイザー・ゲートに輝いたオーロラを。

しかしそんな記憶もすべて、時が来れば跡形もなく消え

失せる。雨のように、涙のように……。その時が来た」


 この美しい詩のような独白は、リドリー・スコット監

督の用意した比較的長い原案を短縮し、レプリカント役

のルトガー・ハウアーが、ほとんど即興で語ったものだ

と言うから驚く。ちなみに「雨のように、涙のように」

という印象的な台詞の原文は「like  tears  in  rain」、

近年発表されたファイナル・カット版では、これを「雨

の中の涙のように」と訳していたが、むろん意味の上で

はこちらの方が正しい。これが以前の字幕では「涙のよ

うに、雨のように」と訳されていて、誤訳と言ってしま

えば身も蓋もないが、私自身はどちらかと言うと、こち

らの方が好きだ。素人の浅慮で言わせてもらえば、翻訳

は意味が合っていれば良いというものでもないだろう、

とりわけ詩を訳すに際しては。言葉には「意味」の他に

もう一つ、「語感」という側面も有る。雨の中で涙すれ

ば、それは雨に流れてしまうのだから、全てがはかなく

消えてしまう事の比喩としてその現象を説明するには、

確かに「雨の中の涙のように」と訳すべきだろうが、そ

のイメージを語感から喚起さえ出来れば、あえて説明は

要らないのかも知れない。欲を言えば「雨のように、涙

のように」と前後を逆転した方が、本来の意味をより鮮

明にイメージ出来たのではないかと思う、管見ながら。


 さてのっけから長々と、どうしてこんな話をしている

のかと言えば、先日栗原さんからお預かりして来た作品

の中に「街灯」と題された4号の風景画があって、それ

を見ていたら、いつの間にその台詞が浮んで来たからで

ある。前方から後方へと街路が伸びて、その両側には古

い建物とおぼしき形象が、奔放な筆致の重なりから浮び

上がる。手前に白い光を宿す街灯が1本、その道沿いの

先にもう1本、こちらの街灯は上部が荒々しくかき消さ

れ、その上に光の白点が置かれている。その更に奥まっ

た街路の彼方には、両側の建物の狭間から、高いビルの

輪郭が覗く。太く細く濃く薄く、豪快にそして繊細に、

縦横に乱舞する黒い描線、所々に茶が効果的に施され、

他に使われている色彩と言えば、わずかに置かれた右端

の緑とオレンジのみ、後はあの憂愁にかき曇るような、

栗原さん特有のグレーである。「俺は何を描くにも、男

と女だと思って描いている」と、以前に栗原さんは語ら

れていたから、描かれた2本の街灯は、見方によっては

そのようにも見える。1本がかき消されているのを見る

と、どうやら悲恋なのだろうか。しばらくボンヤリと見

入っていたらその街景が、車のフロントガラス越しに見

える風景に思えて来た。外は雨が降っている。ワイパー

がサッと窓を一拭きすると、雨の水滴が一面に引き延ば

されて、にわかに水跡の向うでゆがむ。窓外に広がる街

並は、憂愁に染まりゆく薄暮の中、すべてが煙るような

雨に滲んでいる……いや、そうだろうか……それはもし

や雨ではない、溢れる涙に滲んでいるのかも知れない。

通り過ぎた人の営みを色濃く孕みつつ、否応もなく過ぎ

去る時の流れのままに、今日も栗原さんの街は言い尽く

せない哀感の温もりをまといながら、星のない夜へと静

かに暮れゆくのだろう。雨のように、涙のように……。


 栗原さんは、福生で生れ、福生で育ち、現在も福生に

アトリエを構える画家である。福生という特殊な街につ

いては、以前にも何度かこの場に書かせて頂いたので繰

り返さないが、在日米軍の司令基地として知られる「横

田基地」が、市の3分の1にも及ぶ面積を、現在も占有

する街である。敗戦を機に米軍の進駐する街となり、特

に朝鮮動乱の当時は多くの米兵が溢れて、瞬く間に特殊

酒場の密集する原色の街が出現し、一時は騒然とした活

況を呈したと言う。栗原一郎という作家の持つ、どこと

なく無国籍的な香り、とりわけ風景や建物を描いた作品

に色濃く漂う、どことも知れない異国的な情趣、絵のか

もし出すそんな独特の匂いに話が及んだ時、画家は即座

にこう言われた。「街だ。福生という街が、そうだった

んだ。どこの国なのか分からないような、正に国籍のな

い街だったよ」、あでやかなネオンが競うように明滅し

て、無数の男と女が明日なき一夜を戯れ、刹那の享楽に

酔いしれた日々。もしも今古い幻灯機があって、その頃

のフィルムを映し出したとしたら、そんな激動する時代

の風を一杯に呼吸しながら、感性のおもむくままに青春

を駆け抜けた、一人の少年の姿が浮び上がるだろう。高

校から大学にかけての時分、栗原さんは基地の中のアル

バイトで学費を稼いだと言うから、フェンスの向うの異

国と、そこから派生した無国籍の街で、少年から青年へ

と成長する最も多感な時期に、若き画家はあらゆる人間

の哀歓をまざまざと目にし、体感したに違いない。経験

のない私が知ったような事は言えないけれど、きっと明

日戦地で命を落すかも知れない「男」にとって、酒場に

たむろする女は「聖女」であったろう。そんな男たちを

相手に、哀しい女たちは生きる糧を求めた。そこには、

美も醜も一緒くたになった裸の人生と、身一つで生きゆ

かんとする人間の、飾らない生活の匂いがあったろう。

「福生」という土地、明日なき「男と女」の居た時代、

おそらくはそこが幾度も立ち帰るべき原点となって、栗

原一郎という類いまれな画家の、拭いようのない体臭を

作り出している。だから栗原さんは、福生を離れない。

というよりも、栗原さんにとっては福生という街に、描

くべき全てが有るのだ。海外には一度も行った事がない

──という栗原さんの話を聞いて、最初は正直驚いたも

のだが(栗原さんほどの画家で、渡航経験のない人など

まず居ないだろうから)、どこへ行かずともそこには異

国があり、人間が居る、栗原さんにはそれで充分だった

のだと思う。よって前述した街並も、地元のどこかの街

角か、そうではないにしても、せいぜい都内のどこかと

いう程度、あるいは最早どこという特定もなく、それは

画家の記憶の中に遠く霞む、内なる福生の残像なのかも

知れない。栗原さんは誇りを持って語るだろう、俺は福

生の画家だと。そして、ここに全てを見て来たのだと。


 7月の中旬にお伺いする予定が、再入院等があって栗

原さんの体調が思わしくなかったため、福生のアトリエ

を訪ねる事が出来たのは、8月も半ばに差しかかった頃

だった。肺を手術してね、今回はちょっと長引いたよ、

かすれた声でそう話す栗原さんは、さすがにやつれて一

回り小さくなられたような印象だったが、ギョロッとし

た鋭い眼光だけは、いつもと変らない。絵だけは描いと

いたからさ、そこに色々と有るだろうよ、勝手に見てく

れ、そうおっしゃるのでお言葉に甘え、ずらりと並んだ

珠玉のカンヴァスをあれこれと引っ繰り返している私の

横で、肺を手術した筈の画家は煙草をくゆらせている。

「大丈夫ですか?」「ま、いいさ……」、悩みに悩んで

作品を選別しながら、確認までに裏面を見てみると、ま

だ題名の付いてない作品が何点か有ったので「タイトル

を入れてもらってもいいですか?」「おう、そこに置い

といてくれ」、そう言い終わるや否や、そばにあったペ

ンを取って、サラサラと何やら書き込んでおられる。私

はまた選別作業に戻り、やっとの事で最後の作品を選び

終えた頃には、栗原さんはとうにタイトルを書き終えら

れ、奥さんに手伝ってもらいながら、作品にワニスをか

けていた。仕上がった作品を車に積み込んでいる内に、

作業を終えた栗原さんは、いつの間に奥へと去られたよ

うである。たぶん、まだまだ本調子ではなかった所を、

私のために無理をされて、アトリエまで出て来てくれて

いたのだろう。ワゴンの後部スペースに、お預かりした

カンヴァスを並べながらふと裏返してみると、先刻お願

いしたタイトルが、細い字で朴訥と書き入れてあった。

「僧院」「シネマ館」「バラ」「テアトル福生」……、

私にはその一字一字が、哀しいほどに愛おしく思えた。


 私は栗原さんの絵が好きだ。そのかげりを帯びた画面

から否応もなく滲み出す、栗原一郎というかけがえのな

い人間が好きだ。その拭おうにも拭えない憂愁が、消そ

うにも消せない孤愁が、だからこそ温かく放たれるのだ

ろう、生きとし生けるものへの眼差しが、そして、そん

な眼で日々を見つめゆく人の、質朴な生きる手触りが。

9年ほど前に大病をされた頃から、栗原さんの絵はいよ

いよ自由になった。最初私は、その激しく乱れたタッチ

を見て、画家の病状はよほどお悪いのだろうと思った。

確かにその時は心のままに、画家は自らの想いを叩き付

けたのかも知れない。しかし闘病後の栗原さんは、却っ

てそのタッチを用いて、新たな画境を開かれてゆく。時

に大胆に奔放に、時に繊細に軽妙に、闊達無尽、融通無

礙、正に自在の筆致としか言いようのない描線が、画面

を縦横に駆け巡り、乱れ舞う。これほどの生きた「線」

を描き得る画家が、現在どれほど居るだろうか。今、栗

原さんの描き出す作品の数々は、すべて絶唱だと思う。

私達は正に今、その紛う方なき現場に立ち会っている。

いずれ必ず私達には、あの栗原一郎の絶唱を同時代に生

きた人間として、羨望される日が来るだろう。だから今

私は、あの切々と放たれる画家の魂の前で、しっかりと

眼を見開いておきたい。雨のように、涙のように、いつ

かすべてが消え去って、戻る事のない追憶となる前に。


                    (15.09.04)