セゴビア遠望 (部分)      油彩 / 20F
セゴビア遠望 (部分)      油彩 / 20F

画廊通信 Vol.145            新しい季節へ



 近年は9月に入ってもまだまだ夏の真っ盛りで、9月から11月を「秋」とする四季の区分を、いっそ変えた方が良いのでは思ってしまう位だが、さていつまでこの暑さ続くのやらと食傷ぎみの頃、玄関を出て外を歩き始めた刹那に、昨日までの炎熱がまるで嘘だったかのようなひんやりと乾いた風が、爽やかに頬を撫でて吹き過ぎる朝が来る、この瞬間が好きだ。ああ、秋が来たんだなと思う。ところが今年は8月半ばに早くも大型の台風が到来して、それに伴い真夏にしてはぐずついて寒々しい雨天が続き、気が付いたらいつの間に秋に入ってしまっ

ていた、というようなどうにも変則の成り行きで、秋の

到来を膚で感じるあの瞬間を、ついぞ味わえないままに

来てしまった。それが先日の朝、画廊の開店まで少し時

間があったので、近所の喫茶店でしばし読書をしたその

帰り道、ふと気付くと耳元がゴォーッと鳴っている。先

刻までの雨がいっとき上がって、湿気を十全に含んだ重

たく冷えた風が、ゴーゴーという気流の響きを立てなが

ら、豪爽に吹き渡っていたのだ。瞬間「秋だ!」と思っ

た。例年とは違う到来ではあったが、正に今、目の前に

秋が来ていた。こんな時はいつも、何か新しい息吹を感

じる。葛藤と煩悶の炎熱を越えて、一つの季節が終り、

新しい未知の季節へと足を踏み入れた、そんな一種清朗

の感慨が一気に心を満たす。思えばそれは、いつも齊藤

さんの個展が間近に迫る頃だ。だから私にとって「斎藤

良夫展」は、いつも新しい時代への幕開けなのである。


 斎藤良夫展は、今期で19回を数える。忘れもしない

2002年11月、初回展「欧州放浪」で画廊は幕を開

け、以降4年ほどは年2回のハイペースで個展を重ね、

その間斎藤さんには常に高レベルを保ちながら、優れた

作品を提供し続けて頂いた。さすがにそれ以降は、年1

回のペースでお願いしているのだけれど、ご自身は他に

も展示会を抱えておられた訳だから、当初は何と非道の

ご負担をかけてしまった事かと、今更ながら平身低頭の

思いである。改めてその軌跡を振り返ってみると、私の

画廊は正に斎藤さんから出発して、斎藤さんと共に歩ま

せて頂いたと言っても、過言ではない。その間、他にも

数々の優れた作家を扱わせて頂く幸運にも恵まれたが、

私にとって「斎藤良夫」という存在は、常に帰り往く温

かな故郷であった。いつも展示会のひと月ほど前になる

と、東金にある画家のアトリエまで、案内状に掲載する

作品を戴きに上がるのだが、齊藤さんは大概ボサボサの

髪に少々やつれ気味の顔で「いや~、なかなか描けなく

てねェ」と、呟きながら迎えてくれる。案内状用の新作

は既に完成して壁に掛かっているのだが、それ以外は未

だ試行錯誤の真っ只中らしく「いつも同じ絵で満足して

れば、悩む事もないんですけどね。でも私の場合は、ど

うしても何か新しい事を求めてしまうから……」と、自

分でも変えようのない芸術家の性(さが)に、半ばウン

ザリという面持ちである。それから数週間を経ていよい

よ開幕も間近になった頃、再びアトリエまで伺わせて頂

く事になるのだが「今朝は3時起きで描いてました。ま

あ、何とか間に合いましたけどね」と、齊藤さん心なし

か曇りの晴れた爽やかな笑顔、アトリエに入るとそこに

は更なる境地を見せる新作群が、見事な完成度で悠揚と

並べられているのであった。そんな時、私はいつも「プ

ロの業(わざ)」というものにただただ感嘆しつつ、あ

あ、また齊藤さんの季節が来たんだなと思うのである。


 顧みれば、画廊を開く以前から私は齊藤さんの作品を

扱わせて頂いており、そもそもが「山口画廊」という名

前を使い始めた時分は、齊藤さんの作品だけを売ってい

たのである。むろん「画廊」とは名ばかりで、営業で諸

処を訪問する際に、何か名称がないと困るので、便宜上

そう名乗っていただけなのだが。その頃の資料を引っ張

り出してみたら、忘れていたこんな案内状を見つけた。

「当店は、店舗スペースを持たない、外商専門の画廊で

す。従って作品をご覧頂く際は、お客様のもとへご都合

の良い日時に、こちらからお伺いする方式を取っており

ます。お問い合せ等ありましたら、お気軽にご連絡くだ

さい」、何ともいけ図々しい挨拶文だが、ちなみにこれ

を配布した先からの問い合せは、記憶の限りでは一件も

無い。今にして思えば、どうにも無謀な仕事をしていた

ものだが、しかし明日に如何なる保証も無かったもので

(今だって当時と大差ないけれど)、私は日々大真面目

だった。そんな信用も何も無かった私に、気持ち良く作

品を提供してくれた齊藤さんのおかげで、自身は千葉で

もトップクラスの零細画商だったにも拘わらず、その車

には千葉でもトップクラスの絵が、常時潤沢にスタンバ

イしていたのである。この一点、絵だけは誰にも負けな

いという誇りだけが、私を支え続けた。ただ残念な事に

その素晴らしい作品を見てもらう機会が、哀しくなるほ

どに限られていた。会ってすぐに絵を見てもらう事は、

会ってすぐに愛を告白される事と同じぐらい有り得ない

ので、まずは作品紹介の印刷物を手渡しながら、作家の

宣伝に努める事になるのだが、以下は当時作成したリー

フレットの中で、ある作品写真に添えた紹介文である。

「今月の一枚 ── セゴビア遠望 / 油彩20号 ── ス

ペインとポルトガルは、ユーラシア大陸の西端イベリア

半島に位置する国である。斎藤良夫は幾度となくこれら

の異郷を巡り、詩情溢れる数々の秀作を描いて来た。フ

ランス国境のピレネー山脈からイベリア高原を経て、シ

エラモレナ山脈へと到る国土には、長い歴史を刻んだ古

都が美しく点在し、それぞれの個性を保ちながら独特の

景観を誇っている。スペイン中部の都市セゴビアもその

一つ。澄んだ大気の中に古い街並が整然と広がり、彼方

にグアダラマ山系を望むこの作品は、静かな画風の中に

遥かな旅愁を湛えて、雄大な趣を見せる。ここイベリア

の地は、斎藤良夫の魂の故郷である」、こうして書き写

していると、当時の情景が私の中によみがえる。この文

は先が見えず暗澹と沈む秋の午後、辿り着いたマクドナ

ルドの窓脇のテーブルで、若い母親と小うるさい子供等

の喧噪をバックに、ヨーロッパ地図をにらみながら書い

たのである。なかなか売れない現状で、つい絶望感が頭

をもたげる中、齊藤さんの作品は知られざる悠久の地へ

と、私をいざなってくれた。今でも私はあの時の、這い

つくばる日々から天空を仰ぐがごとき、遥かなる憧憬を

思い出す。行った事もないくせに、地図から拾った地名

を知ったように並べ立てながら、私は何か大きな郷愁と

共に、柔らかく解き放たれる心を感じていた。齊藤さん

の絵を扱いながら、その絵に最も励まされ、癒され、そ

して光を見出していたのは、他ならぬ私自身だったと思

う。それから一年後、私は現在の画廊をオープンした。


 山口画廊に「画廊」が出来ました! ──  こんな文意

不詳の挨拶状を皆様にお送りしたのは、ちょうど13年

前の事である。この開設は深い熟慮の末に決定したもの

ではなく、限られた時間で熟考の猶予も無いままに事を

運んだものだから、オープニングを依頼したのも全くの

直前、それでも齊藤さんは「おめでとう、頑張って下さ

い。協力しますからね」と、快く展示会を引き受けてく

れた。それから幾歳月、齊藤さんには無理なお願いばか

りして来たが、その代り営業で回っていた頃とは比較に

ならない程の、より多くのお客様に作品を見て頂けるよ

うになり、斎藤良夫という画家を世に広めるに当って、

わずかながらもお役に立てたとしたら幸いである。毎回

毎回新たなテーマのもとに、齊藤さんは意欲的な新作を

提供し続けてくれて今に到るが、その間様々なお客様に

足を運んで頂き、様々な感動の形を私は目にして来た。

「子供の学校と親の介護で、経済的にも楽じゃないし、

心の余裕もない。だからこそ今、絵が欲しい」、そう語

られて、一枚の絵を求めてくれたご婦人。好きな絵にな

かなか出会えないまま、私の画廊まで辿り着いて「今ま

でデパートで見た絵は、何だったんでしょう。やっと良

い絵に出会えました」と、本当に嬉しそうだった奥様。

「この際買ってしまうけれども、女房に知れたら大変。

しばらく預かっといて」と、危険を省みず買ってくれた

紳士。片や「亭主は別にどうでもいいの。私は私で好き

にやらせてもらうから」と、即断を頂いたご婦人も居た

りして、やはりいつの世も女性は強かった。なにしろ、

それぞれの絵にそれぞれの感動があり、一つとして同じ

事例はないのだから、ここではほんの一例にとどめるけ

れど、ただ一つ、これだけは全ての事例に共通する事、

それは皆それぞれに歩み往く人生の途上で、ある一枚の

絵をどうしても必要とされて、抗えぬ芸術の力に我知ら

ず導かれたのである。ふと出会った一枚の絵に何故か心

惹かれ、とことん惚れ込んでしまい、遂には寝食を共に

したくなり、大枚をはたいて自らのものとする、人が絵

を買うというこの行為、一会の感動に私財を投げ打つこ

の美しい所為に、私は感動する。聞いた風な蘊蓄(うん

ちく)を滔々と語り、百の美辞讃辞を並べる人よりも、

言葉少なに小さな一枚の絵に見入り、思い悩んで身銭を

切る人を、私は信じたい。所詮真実の美とは、美術館の

学芸員室にも無ければ、美術大学の研究室にも無い、評

論家の書斎にも無ければ、大先生のアトリエにも無い、

それは一枚の絵を買うためのやり繰りを、懸命に思案す

る人の心の内にこそ、確かな光を灯すものだろうから。


 今年の初夏、齊藤さんはプロヴァンスへと赴かれた。

画廊開設の前後、南欧を題材とした作品は度々目にした

けれど、それ以降、同地に取材された事は無かったよう

に記憶しているので、画家自身プロヴァンスを訪ねるの

は久々の事ではなかったかと思う。以前に渡航された折

は、マルセイユやエズといった海沿いの街を主に描いて

おられたが、今回は内陸へと入ったリュベロン地方の村

落を回られたとのお話。リュベロンとは、セザンヌの生

地として知られるエクサン・プロヴァンスから、アヴィ

ニョンへと到る一帯を指す名称で、資料によるとなだら

かな丘陵の諸処に「鷲の巣村」と呼ばれる集落が点在す

る地域との事、岩山の急斜面に石造りの民家がギッシリ

と密集するその姿が、切り立った崖に造られた鷲の巣を

思わせるところから、いつしかそのように呼称されるよ

うになったらしい。中でもゴルド、ルシヨン、ルールマ

ラン、ボニューといった街が知られているそうで、先月

に東金のアトリエを訪ねた折も、まだ制作途中の段階で

はあったが、ボニューの街並を描いたと言う作品が、カ

ンヴァスのまま何点か立て掛けられていた。いずれも坂

道の街であった。齊藤さん特有の長い歳月が刻まれた石

壁から、通り過ぎた人間の営みが、その懐かしい温もり

が、静かに滲み出すような街であった。空の部分はまだ

明るい青だったから、これから徐々にトーンを落して、

あの遥かな郷愁を湛えた空へと変貌を遂げるのかも知れ

ない。「いや~、今回は歩きましたよ。目指す建物はそ

この山の上に見えるんですけど、グルッと迂回しなけれ

ば行けなかったりで、オリーブと葡萄の畑の中を、独り

延々と歩きました」、そう笑って話す齊藤さんは、それ

にしては何だか楽しそうで、歩き詰めの取材もあまり苦

にされてない風なのは、やはり根っからの画家なのだろ

う。さて来週はアトリエで、どんな新作が私を迎えてく

れるだろうか。齊藤さんの季節が、もう目の前である。


                     (15.10.02)