おもう           油彩 / 8F
おもう           油彩 / 8F

画廊通信Vol.157             棕櫚の頃

 

 

 画面一杯にたぎるが如き情念が渦巻き、建物も街並も等しくその中に巻き込まれて融解し、やがては彼方へと消えゆくかのようであった。「雨の降る」と題された風景50号、振り返れば対する壁面にも、同じタイトルの20号が掛けられている。こちらは樹木の絵、降りしきる雨の中に、孤独な樹が悄然とたたずむ、ただ黙々と濡れそぼって。その隣では、想いに沈む女が独り、もの憂い裸身をさらしている。描線はしなやかにうねりつつ身体を縁取り、やがてグレーの背景へと奔放に消えて、僅かにバランスを狂わせれば一気に崩壊するかのようだ。

卓上の静物、咲き誇る向日葵、ある時は大胆に画面を走

り、ある時は激しく乱れ舞う描線の狭間に、ハッとする

ほどに鮮やかな色点が灯って、見る者の眼を射抜く。ど

の絵にも哀しみが息づいていた。哀しみはやがて情念の

渦となり、会場一杯に脈々と生きる鼓動を奏でた。今春

日本橋高島屋で開催された「栗原一郎展」を見に行った

時の事である。その日の日記から──崩壊寸前の裸婦、

溶解寸前の街景、雨の樹、哀しみを放つ絵の数々。中で

も雨の中の建物を描いた風景は、荒ぶる情念の中に溶け

ゆくようで、これが絶筆になってしまうのかと思えるほ

ど、鬼気迫るものだった。あれほど体調が優れなかった

のに、いつこんなに凄い絵を描いたのだろう……。

 

 それから一ヶ月ほどを経て、福生の栗原宅を訪ねた。

驚いた事に栗原さんは、大きな庭石をスコップで掘り返

している最中だった。思わず、大丈夫なんですか?労働

なんかされて……と申し上げたら、この石を他所に移そ

うと思ってさ、と事も無げである。それからアトリエに

入ると、椅子に掛けて煙草に火を点けられ、私に珈琲を

運んで来てくれた奥様に、俺にもくれや、と言われた。

最初にお会いした頃に比べれば、随分と小柄になられた

感があるが、あの鋭い画家の眼は何一つ変っていない。

 いつ描いたかって?去年千葉でやった後に、また胃の

手術をしてね、その後に描いたんだ。そりゃあ体調は悪

いさ。でもこの10年、良かった事なんて一度も無いん

だから、今に始まった事じゃない。俺にとっては、描く

事が生きる事だから……。それに、どうせやるんなら下

手な個展はやりたくないだろ。ああ、あの樹の絵かい?

あれは確か、年末に描いたんだ。あの時は、あんな心境

だったのかな──画家は淡々と話されていた。その後、

どんな話の成り行きだったか「凄い執念ですね」という

ような事を申し上げたら、栗原さんはにわかに厳しい表

情になって、こう言われた。その言葉が忘れられない。

「もう、これで最後だと思って描いてるんだ。俗な言い

方をすれば『命を削って』描いてるんだよ。『執念』な

んて、そんな甘っちょろいもんじゃないんだ」、私はそ

の言葉を聞いて、栗原さんの事を分ったようなつもりに

なっていたけれど、分ってなどいなかったなと思った。

栗原さんにとって、「執念」などという使い古されて手

垢の付いたような言葉は、甘い感傷に過ぎなかったのだ

ろう。「執念」でさえ「甘い」と言える生き方をしてい

る人が、この世には居る。現に今、生きて闘っている。

私は、自分の言葉の使い方を恥じた。

 

 ここまで書いて来て、後は何を書くべきか、と実は思

い惑っている。本当は栗原さんの絵に、解説や分析の類

いは何一つ要らないのだ。絵に説明は要らないとは、よ

く言われる台詞だが、実際はかえって説明を必要とする

ような絵が多い中で、説明の要らない絵とはどういう絵

であるのかを、栗原さんの絵は如実に体現している。有

無を言わせないという力、ゴチャゴチャと御託を抜かす

前に、ダイレクトに突き刺さって来る強さ、そんな圧倒

的な精神を放つ画面を前に、色々と知ったような事を賢

しらに並べ立てていると、何だか自分がいよいよ愚かに

思えて来るのだ。言葉を虚しくする──本物の絵とは、

そういう絵を言うのだろう。後年栗原さんの展覧会は、

著名な美術館等でも開催されるようになるだろうから、

今の内に心配しておくけれど、近年は鑑賞ガイドや解説

ツアーが流行りなので、きっとそんな企画が実施される

と思う。その時学芸員さんは、栗原さんの絵を前に何を

語るのだろう。「この絵は人間の悲哀を表しています」

とでも言うのだろうか。馬鹿言っちゃいけない、表せる

程度の悲哀なら中学生だって描ける。言いがたい哀しみ

というものは、描こうとして描けるものじゃない、描こ

うとしなくてもにじみ出てしまうものだ。我知らずにじ

み出てしまうものに、何の説明や分析が必要だろうか。

栗原さんの絵を見ていると、そんな絵の本来持つだろう

言葉にならない言葉、いわゆる「絵画の言葉」というも

のが、寡黙な画面の中から確かな声として聞えて来る。

 

 4年ほど前、以前から栗原さんを蒐集しているという

ファンの方から、昔の美術雑誌の記事を送って頂いた事

がある。幾つか送付して頂いた資料の中に、思いがけず

栗原さんご本人のエッセイがあって、それがとても印象

に残るものであった。だいたい、あれほど言葉を必要と

しない絵を描く人が、自らエッセイを書いているなんて

思いも寄らなかったのである。もちろんそれは、自作を

解説したようなものではなく、ある題材を描くに当って

の思いを綴ったものだったが、それが実に味があって驚

いた。往々にして画家の書く文章というものは、意味が

今一つ不明だったりで、どうも戴けないものが多いのだ

が、栗原さんの文章はまるで文筆家のような趣を持つ。

 当時の作品の図版も同封されていて、人物・静物・風

景と種々あったけれど、むろん今と筆遣いは異なるにし

ても、基調音とでも言えば良いのか、その根底を脈々と

流れるトーンは、現在とほとんど変らない。この頃から

栗原さんは栗原さんであり、今この時までひたすらに、

変らず揺るがないものを貫いて来られたのだなあと思う

と、何とも感慨深いものがあった。せっかくだからこの

機会に、そのエッセイをご紹介したいと思う。坦々と書

かれた短文だが、栗原さんの妙趣を知る人なら、この文

章の妙味もまた感じて頂けるのではないだろうか。美術

誌「アトリエ」に掲載されたもので、タイトルは「棕櫚

の華実を描く」、1973年とあるから、さかのぼる事

40数年前、栗原さん30代半ばの文章である。

 

「静物画を描くように」と依頼された時は、正直いって

ちょっと困った。私は、普段人物を描いている。そんな

合間にスミレだとか、小さな野の花を気分転換のような

つもりで描くだけだから、はたして人の参考になるよう

なことが、できるかという心配もあったりした。

 何を描こうかと考えていたが、棕櫚(しゅろ)の実が

いいと思いついた。アトリエ社の人に棕櫚の実を描こう

と思うというと、「棕櫚に実がなるの?」という。案外

知られていないのかもしれない。こんなことを書いてい

る私自身でさえ、つい2、3年前までは知らずにいて、

お華のお師匠さんに「あら、絵描きさんが知らないの」

といわれてしまった。しなびる前はネープルスイエロー

のような色だが、しなびてくるとブルーグレーのような

色をしてくる。ブドウのように房になって下っている様

は、何とも落ち着いた美しさがあっていい。

 私の仕事場には、ツルウメモドキの枯れた実が、使い

古した筆と一緒に壺にさしてあったりするが、枯れた花

や枯れた実は、花屋の店頭で咲き誇っている花とは違っ

た、これみよがしでない美しさがある。

 絵を描いていて疲れると、私は時々近くの川へ釣りに

行ったりするが、そんな時、枯草の中に山芋のツルや、

枯花を見つける。寒々とした周囲のせいか、別にこれと

いった色があるわけではないのに、何ともいえぬ色を感

じる。新しい生命をじっと抱いて寒い中を耐えているこ

とに、ロマンを感じるからなのだろうか。

 家へ帰る道すがら、農家の庭先きに下っているのを見

た時から心にかかっていたが、わけを話してもらってき

た。一見、すっかり枯れてしまっているように見えてい

て、枝は固く簡単には折れない。机の上に投げ出したよ

うに置いてみるだけで、本当に美しい。画用紙に鉛筆で

気楽にスケッチしてみる。置かれた場所や光の具合で、

ただそれだけのように見える枯れた実が、実に様々な姿

の美しさを見せてくれる。1枝だけを描いてみたり、小

さな実の細部を描いてみたりしたが、3本の枝をあり合

わせの壺にさして描くことにした。

 

 この文章から直ぐにも気付く事は、画家の素材への愛

情である。一切大仰な書き方はされてないが、それでも

棕櫚の実を始めとした枯枝や実を、画家が心から愛し慈

しんでいる様が、行間からそこはかとなくにじみ出す。

たぶん栗原さんは、棕櫚の実と云うモチーフを、ただの

絵の素材とは考えていない。そのような冷徹な視線が、

ここからは感じられないのである。それよりは、日常で

かいま見る枯れた花や実など、誰も顧みないような地味

な存在に、温かく寄り添いその在り方に共感している。

きっと栗原さんの絵は、ここから始まるのだと思う。描

くための素材というよりも、それを愛するから描く、こ

の頃から40年来、いや、おそらくは絵を描き始めた時

から、その眼差しは変らないのではないだろうか。

 思えば、栗原さんほど多くのモチーフを描く人は居な

い。人物や風景は元より、静物・動物・植物・乗物・建

物、果ては打ち捨てられたベンチやバス停の標識に到る

まで、身の周りのありとあらゆる物が描く対象となる。

何故描くのか。愛するから描くのだ。人生に傷付き打ち

ひしがれたような女性像に始まって、一歩一歩身の周り

の存在を愛し慈しみながら、栗原さんのモチーフは広が

り、画業も深まって行ったのだろう。だから栗原さんの

描く物には、いつも画家の温かな眼差しが感じられる。

地面に行列を作るアリにも、役に立たなくなった折れ釘

にも、等し並みにその眼差しは注がれる。そして、栗原

さんの絵から否応も無くにじみ出すあの哀しさもまた、

実はその眼差しから来ているのではないだろうか。

 人を愛し、物を愛し、何かを愛すれば愛するほど、そ

の別れには言いようのない哀しみが伴う。出会いには必

ず別れが来るのだから、避け難い別離をはらむ愛という

行為は、そもそもが哀しい。愛するものは必ず去り、離

れ、消えゆく、その根源的な「別れ」と「滅び」の哀し

さが、画家の筆先の絵具に溶け込み、それはいつか拭い

ようにも拭えない匂いとなって染み付く。だから栗原さ

んは、決して哀しみを描きたいのではない、愛するが故

に、絵は自ずから哀しみを帯びるのだ、私はそう思う。

 

 先日、案内状に掲載する作品を戴きに、福生のアトリ

エまでお伺いしたら、昨日ワニスをかけたばかりという

新作がズラリと並んでいた。当初は体調が悪いから旧作

も取り混ぜて、という予定だったのだが、やはり描いて

しまったとの事。さて、選ぶのが大変だぞと思いつつ選

び始めたら、全部持ってけば?とおっしゃる。よって全

部持って来た。と云う訳で、これ以上のお話は大いに私

情の入り込む恐れがあるから、この辺りで已めるのが賢

明かと思う。あとはその瑞々しい新作を、実際に見て頂

く他ない。何を語らずとも絵は語るだろう、この世に生

きるものへの愛を、愛するが故の哀しみを、そしてその

哀しみの美しさを、野の花のように黙して語るだろう。

 

                     (16.09.02)