カモメが飛んだ日  ヴェニス10月    3F
カモメが飛んだ日 ヴェニス10月    3F

画廊通信 Vol.160               望郷

 

 

 舟山さんの案内状に風景画を掲載するのは、今回が初めてである。振り返ってみたら、昨年までの10回の個展中、一回だけ花の作品を使った他は、全て人物であった。風景にも良い作品が多々あったにもかかわらず、そんな成り行きになってしまった要因は、案内状に掲載する作品には、やはりインパクトの強い作品を、どうしても選んでしまう故だろう。むろん、風景画のインパクトが弱い──というのではない、人物画の方がその性質上

「より」強い、というだけの話だ。そして言うまでもな

く、絵画の良否はインパクトだけで決まる訳ではない。

それにしても、10回も個展をお願いしておきながら一

度も掲載が無いというのは、我ながら舟山さんの風景画

に対して、大変な不義理であったと反省している。

 今回は、作家から送られて来た新作十数点の中から、

ヴェネチアの雪景色を使わせてもらう事にした。現在の

時点では印刷が上がって来てないので、案内状がどのよ

うに仕上がっているかは不明だが、撮影にかなり難儀し

た事から推量すれば、たぶん雪空の微妙な色彩は再現さ

れてないだろう。きっと薄くグレーがかった色に印刷さ

れて来るだろうと思うので、今の内に撮影の不首尾を補

正しておくと、実際は淡いアイボリーである。だから雪

景色ではあるけれど、決して寒々しくはない。その微妙

な色彩の冬空に、今しも無数の雪が降りしきって、ヴェ

ネチアの街並を覆っている。実はこの作品は、ヴェネチ

アを描いた連作中の一作である。ザッとそのタイトルを

挙げてみると、案内状の「雪降る ヴェニス1月」に始

まり、「薫風 ヴェニス4月」「遠雷 ヴェニス6月」

「光への扉 ヴェニス8月」「カモメが飛んだ日 ヴェ

ニス10月」と続く。ちなみにこのヴェネチア・シリー

ズの展示に関して、作家自身のこんなお手紙が添えられ

ていた。──ヴェニス5点、同じ額縁にしていただき、

間隔は短めにして並べていただきたいと思います。が、

それぞれ別な額縁が良いと判断されたなら、それはそれ

でもちろんOKです。額縁に入れた実際を見てないので

漠然とした希望です。映える額縁が一番ですのでお任せ

します。スパッと気になさらず判断を──、これだけで

作家の謙虚なお人柄が偲ばれるが、さて、そのご要望が

どのように実現されているかは、実際に画廊の展示を見

に来て頂く他ない。はたして、作家の意向に添えるのか

どうか、あまり自信はないのだけれど。

 

 舟山さんの古い画集を繙くと、人物はもちろんとして

風景に到るまで、そのモチーフは徹底して「サーカス」

である。サーカスの風景とは言え、きらびやかな舞台の

光景が描かれる事は、まずないと言っていい。人物画に

関しては、今まで様々にその不思議な魅力を書き連ねて

来たので、今回はあえて省略させて頂くが、風景画につ

いて申し上げれば、そのほとんどはサーカス小屋を描い

たものである。それは、星月夜の荒野にぽつねんと灯火

を浮べていたり、扉の隙間から三角形の天幕を覗かせて

いたりするが、その内部は決して描かれない。その画集

の頃から20年近くを経た今、風景のモチーフはかなり

ヴァラエティーを増したように見える。むろんサーカス

小屋は現在でも、未だ重要なモチーフであり続けている

が、それに加えて修道院・教会・古城といった建物の風

景や、地名で言えばヴェネチア・プラハ・ウィーン・ソ

フィア・エディンバラといった古都を、モチーフに取り

上げる事も多くなった。ただ、風景を見るその「視線」

は、一切変ってないように思える。煌々と星のまたたく

広大な夜の底で、そこだけまるで小さなオアシスのよう

に、ささやかな光を灯していたあのサーカス小屋、それ

を遠くから望む孤独な澄んだ視線、何か遥かな憧憬を湛

えるような、何処か哀しい郷愁にかき曇るような、その

旅人と言おうか、放浪者と言おうか、自らを何故かしら

漂泊へとかき立てずにはいられない者の視線、それだけ

は描くモチーフがどう変化しようと、変る事の出来ない

ものではないだろうか。この数年は、特にヴェネチアを

描かれる事が多いけれど、そのほとんどは遥かな海上か

ら、遠くヴェネチアの街影を望む視線であり、今回の案

内状のような比較的近景から描いた風景は、むしろ珍し

い方に属する。しかし、それが遠景であれ近景であれい

ずれにせよ、街の内部には決して入り込まない視線の在

り方は、サーカス小屋を描く際と全く同じである。サー

カス小屋で繰り広げられるだろう、千変万化の華やかな

魅惑の別世界、そしてヴェネチアの街角に繰り広げられ

るだろう、幾多の哀歓が綾なす人間模様、それは徹して

見る者のイマジネーションに委ねられ、画家はそれを暗

示するにとどめる。それが今まで私の見て来た、舟山さ

んの描く風景画の特質なのだが、さて、風景の内側へと

入り込まないその所以は、何処にあるのだろうか。

 

 3年ほど前の話になるが、可愛らしい少女を描いた作

品を、あるお客様に買って頂いた事があった。「発表会

の日~舞い降りた天使~」と題された、縦型4号の作品

である。何かの舞台なのだろうか、暗く落とされた背景

の前に、天使の羽を背に付けた少女が独り、何処か不安

げな面持ちで佇んでいて、その表情がとても愛らしい。

よく見ると、ちょうど胸の辺りに何かがコラージュされ

ていて、少女はそれをとても大切そうに抱きかかえてい

る。ただ、よくよく目を凝らしても、何を抱いているの

かが分らない。何かの形ではあるのだろうけれど、そも

そもが具体的な形を取ってないようにも見える。お客様

も「この少女は、何を抱えてるんでしょうね」と、ため

つすがめつ眺めておられるので、その夜早速電話を入れ

て事の真相を訊ねてみたところ、舟山さんは間髪を入れ

ずこう答えられた──「想いです。色々な想いを抱えて

いるんです」。後日その答えを持ち主にお伝えしたら、

「そうですか。きっとそうだろうと思ってました」と微

笑まれていたが、加えておっしゃるには「可愛いと思っ

てたら、結構強い絵なんですよ。だから、まだ掛ける場

所が決まらなくて……」とのお話、それからしばらくし

て、より広い素敵な新居へと越されたから、今頃少女は

その何処かに、安住の壁を見出しているだろうか。

 さてその翌年、つまり一昨年の話になるが、この時も

ヴェネチアのシリーズが4点ほど出品されて、その内の

2点は、夜の海上からヴェネチアの街影を望む図であっ

た。印象的だったのは、海の上に何か光のような形態が

浮び、舞い踊るかにも見える表現である。ヴェネチアの

街が水面に落す光彩にも見えるし、あるいは海をゆく舟

の落す火影にも見える、しかし、明確には描かれていな

いため、それが具体的に何であるのかは判然としない。

この時は「夜の海のロンド」と題された作品の方を、あ

るお客様に買って頂いたのだが、当然の事ながらそのお

客様も、こんな問いを口にされた──「この光のような

ものは、何なのでしょう」、そこで私は間髪を入れず、

作家の例の名答を披露した訳である。「想いです。色々

な想いが、海の上を舞っているのだと思います」。

 

 たとえそのような想いが、何らかの形象として画面に

描かれてない場合でも、と言うよりは、描かれない場合

の方が通常なのだけれど、それでもやはり舟山さんの風

景は、ある「想い」を描いているのだと思う。言い方を

換えれば、舟山さんは風景そのものを描きたいのではな

い、風景を通した「想い」を描きたいのではないだろう

か。誰の想い? 描かれた街の、幾多の人々の綾なす無

数の想いかも知れない、あるいは、その街を見る画家自

身の得に言われぬ想いかも知れない。いずれしにろ絵を

見る私達は、その想いに自らの想いを重ねて、いつしか

その絵を描いた画家の視線と一つになる、その時私達は

自らの中に、一人の孤独な旅人を見出すだろう。

 そのように考えれば、風景の内部へは決して入り込ま

ない舟山さんの視線が、自ずと腑に落ちては来ないだろ

うか。おそらく舟山さんは、街の中へと分け入ってその

細部を描き出すという方法を、必要としないのである。

想いを想いのままに留めておきたければ、細かな描写は

かえってその想いを狭めてしまう。想いを寄せる街──

それは「故郷」と言っていいのかも知れないが──は、

遠くからまるで憧憬のように望むほど、人はいよいよそ

の想いを遥かへと馳せるだろう、古人の言うがごとく、

「ふるさとは/遠きにありて思ふもの」ならば。舟山さ

んの風景を見ていると、そんな旅ゆく者のみなぎるよう

な万感が、画面から音もなく立ち上がって来る。結局舟

山さんは風景を描く時も、そこに「人間」を描いている

のだと思う、畢竟「想い」とは、人の生み出すものであ

るのなら。やはり舟山一男という芸術家は、そこに何を

描こうと、徹して「人間」を描き出す画家なのである。

 舟山さんの風景を見ていたら、ふとある小説の一場面

を思い出した。国も時代も全く異なるのだが、その想い

は共通するものがあるように思える。中国が乱世で幾つ

もの小国に分れていた頃、孔子のある弟子が長い歳月を

経て、思い出の地へと帰郷する場面である。孔子も幾人

もの弟子も既に亡く、独り生き残った彼だけが、今しも

懐かしい故郷を目前に望む。以下は、井上靖晩年の長編

「孔子」からの抜粋である。紙面が残り少ないため、随

意の省略はご容赦頂く他ないが、この度はこの心温まる

断章を以て、今年最後の画廊通信に代えたいと思う。

 

 私たちは北から、目指す大平原の集落に入って行きま

した。四十何年か前の時と同じように、地上は暗く、空

はほの明るく、大平原のまっただ中に置かれている集落

には、今や点々と、燈火(ひ)が灯りつつありました。

辻々で火の焚かれる時刻なのです。

──ああ、負函に、負函の集落に燈火が入ってゆく!

 私は思わず、四辺を見廻しました。しかし、当然なこ

とながら、そこには子(孔子)も、子路(弟子・以下同

じ)も、子貢も、顔回も居よう筈はありません。

 私はいま自分が見ている負函の町に燈火が入るところ

を、あの子を中心とした一団の誰にもまた、見せたかっ

たのであります。だからその一行の誰もが、今はもうこ

の世に居ないということが、この時ほど淋しく思われた

事もありません。この負函という不思議な町は、子を真

ん中にした一団の、心の故里というか、郷里というか、

特別な心の拠り所のある集落であったかと思います。今

当時を振り返ってみて、そのような思い切なるものがあ

ります。今、その集落には燈火が入りつつありました。

 暮方、故里の村に点りつつある燈火を眺めることは、

人間の数少ない倖せの一つであるに違いありません。い

ささかの努力も要らない。こちらは何もしないでも、燈

火は勝手に向うで点ってくれる。私はただ黙って、わが

故里に燈火の入るのを見ていれば、それだけでいいので

あります。人間この世に生れて来たからには、故里に燈

火の入るのを見て、ああ、いま、わが故里には燈火が入

りつつある、という静かな、何ものにも替え難い、大き

な安らぎを伴ったこの思いだけは、終生、自分のものと

しておきたいものです。そうではありませんか。いかに

世が乱れに乱れようと、この静かな思いだけは。

 私は隊列から外れたところに立って、そんな故里の光

景を倦(あ)かず見守っておりました。そして、ああ、

わが負函の町に燈火が入りつつある、そのようなしんと

した思いに、揺られ続けていたのでした。

 

                     (16.11.20)