西瓜二切 (1954)  29.5x39.0cm / ed.50
西瓜二切 (1954)  29.5x39.0cm / ed.50

画廊通信 Vol.165           魅せられし時

 

 

 浜口陽三には、ささやかな思い出がある。もう四半世紀ほど前の話になるが、小学館から「浜口陽三自選作品集」と云う豪華画集が刊行された。小学館は実に奇特な出版社で、「日本国語大辞典」などという全10数巻にも及ぶ途轍もない国語辞典を上梓してみたり、美術の分野でも「世界美術大全集」全40数巻「日本美術全集」

全20余巻・計70巻近くにも及ぶ、類例なき圧倒的な

大全集を刊行したりと、この電子書籍流行りの軽薄利便

を極める時代に、誰が買うのか分らないような重厚長大

な書籍を、狂ったかのように惜しげもなく出版してくれ

て、その現代には稀な気骨ある姿勢を未だに残している

所、誠に敬服と称讃に値する。「浜口陽三自選作品集」

も同様に大変意欲的な企画で、作家の自選による代表作

を全て実物大のサイズで掲載し、最高級印刷技術を駆使

して再現したものだと言う。A全台紙に35作品を貼付

し、それぞれ額装が出来るよう綴じない作りにして、高

級帙函入り限定750部・15万円、内容の素晴らしさ

に豪華カタログの効果も相まって、一目見てたちまち熱

病に罹った。3日間考えて買う事にした。書籍で15万

は痛かったが、こんな企画はたぶんもう無いだろうから

万障差し措いても買うべきである、どうせ本物は買えな

いのだから(今よりもずっと高かった)、たとえ印刷物

ではあっても代表作がほとんど入って15万は安い、し

かも「実物大」だ、絶対に買わなければならない、こん

な事で躊躇していたら、美術にたずさわる人間として恥

ずかしい、そう無理に理由づけて注文したのであった。

画廊の仕事に就いて、まだ日が浅かった頃の話である。

 

 4~5日後に届いた画集は、期待通りの素晴らしいも

のだった。頑丈に作られた帙函を開けて、一点一点作品

を丁寧に繰りつつ、その美しさに惚れ惚れしながら見進

めて行ったら、名作「17のさくらんぼ」まで来た所で

愕然として目を疑った。なんと、黒い背景の上部に、引

っかいたようなキズが入っていたのである。他の部分な

らまだ許せるが、最も目立つ漆黒の背景に入っているも

のだから、どうにもごまかしようがない。翌日担当者に

早速電話を入れて事情を話し、加えて少々箔を付けた方

が良いかと思い、「私も画廊の仕事に就いているので、

浜口陽三の芸術は良く理解しているつもりだ。よって、

メゾチントの『命』とも言える漆黒の背景にキズが入っ

ていては、作品の価値が半減してしまう」云々と、まる

で本物の版画に対してのような苦情を申し立てた結果、

「分りました。こちらのミスですからお取り替えしまし

ょう」と云う事になり、最初のものを送り返して数日後

に、代りの新しい画集が送られて来た。よし、今度は大

丈夫だろうと帙函を開け、恐る恐る作品を繰りつつ見進

めて、例の「17のさくらんぼ」まで来た。目を凝らし

隅々まで点検してみたが、黒い背景はどこまでも黒く滑

らかに美しい。よし、大丈夫だ、と俄然嬉しくなってペ

ージを進めていたら、名作「19と1つのさくらんぼ」

まで来て、愕然として目を疑った。ややっ、またキズが

入ってるじゃないか!しかもまた黒い背景の上だ、僅か

なキズだがどうしたって見えてしまう、と云う訳で、翌

日またもや電話を入れる羽目になった。「あまり細かい

事は言いたくないけれど、やっぱり15万という金額は

大きいのだ。思い切ってそれだけの買物をしたのだから

やはりそれに値する商品でないといけない。何度も悪い

けど、瑕疵なき完全なものを」と、前回とは別の方向か

らめげずに抗議していたら、「分りました。今回もこち

らのミスですね。OK、丸ごと替えちゃいましょう」と

いう事になり、2番目のものを送り返して数日後、代り

に3度目の画集が送られて来た。今度こそ完璧だった。

35作品全てが完璧な状態で帙函に収められ、非の打ち

所のない気品を醸し出している。そんな経緯の果てに、

「浜口陽三自選作品集」は私の宝物となった訳である。

 早速中古の額を勤務先の画廊から譲ってもらい、マッ

トの窓を数種類の大きさにカットして、作品のサイズに

合せてマットを入れ替える事で、全ての作品を同じ額に

飾れるようにした。それから数年の間、我家の壁には浜

口陽三の名品が飾られ、しかも月毎に色々な作品が入れ

替って、余程の資産家でなければ味わえないような贅沢

を、日々経験させてもらう事となった。確かにそれは印

刷物に過ぎなかったけれど、それでも、浜口陽三を家に

飾るとはどういう事かを、私は理屈ではなく体験として

知る事が出来たように思う。それは日常の匂いが染み付

いた壁の上に、或る永遠の小宇宙への窓を、密やかに確

かに開け放つ事だ。我が家の詰まらない話になるが、あ

まりのくだらなさに画面を叩き壊したくなるようなバラ

エティー番組を映し出すテレビの上には(そんなものに

うつつを抜かしているのは、私の方ではないのだが)、

いつも浜口陽三の幽玄な小宇宙があった。それはどこま

でも静謐な気配を湛えて、尽きる事のないあのほのかな

精神の光輝を、いつまでもしんしんと放ち続けていた。

 

「メゾチントの技法を用いている最も優れた、そして二

十世紀中葉のほとんど唯一と言っていい作家は浜口陽三

で、このパリ在住の日本人作家は、カラーメゾチントの

新しい技法を開拓した」──これは浜口陽三を語る時に

必ずと言っていいほど引用される、エンサイクロペディ

ア・ブリタニカ「メゾチント」の項目に掲載されている

一文で、ここでも明言されているように、浜口陽三とい

えば、まずはカラーメゾチントの創始者という位置付け

で語られる。これはもう当然の事で、それまで誰一人考

えもしなかった技法を開発し、その成果としての作品の

美しさは、他の如何なる技法でも不可能な、正にカラー

メゾチントでなければ出来ない表現であったから、その

評価は生前から、国際的にも不動のものとなっていた。

それに関しては、前回の画廊通信に書かせて頂いたので

繰り返さないが、何しろ一度その美しさに魅入られたが

最後、もう金がどうのこうのというような問題ではなく

なってしまい、何としても手に入れなければという内な

る声のままに、気が付いたら何十点も蒐集してしまった

というような人は、もう随分と居るのではのではないだ

ろうか。ひと言で言うならば、それは究極の銅版画であ

る。以降その後を追って、カラーメゾチントを手がける

作家は急激に増えたが、大方はその精巧な「技術」を誇

る事に終始して(よってそのほとんどは、工芸品の域を

出ない)、十年一日の如く、代り映えのしない制作に安

住しているのが現状で、浜口陽三の芸術レベルにまで達

し得た作家は、残念ながら未だその出現を見ていない。

 さて、先述のような経緯から、自宅に印刷ながら実物

大の作品を飾る成り行きとなって、色々な作品を取っ替

え引っ替え入れ替えながら、毎日のように見続けて付き

合ってゆく内に、画集で見ていただけでは分らなかった

もう一つの魅力に、私は徐々に気が付き目覚めてゆく事

となった。それは、モノクローム表現の美しさである。

 

 今現在、手元にカタログレゾネが無いので、詳細を記

す事は出来ないのだが、浜口陽三はサンパウロ・ビエン

ナーレ、リュブリアナ・ビエンナーレ、クラコウ・ビエ

ンナーレ等々、数々の国際版画展に於いて輝かしい受賞

歴を重ねているが、その受賞作品は意外にモノクロ・メ

ゾチントが多い。その要因を詳しく調べている時間は無

いのだけれど、おそらくカラー・メゾチントの画期的な

技法を云々する前に、まずはそのかつて無かった斬新な

版画表現に、作品の醸し出す幽玄な芸術性そのものに、

当時の美術関係者は瞠目し、注目したのだろう。描くモ

チーフは野菜や果実といった物が多いので、そんなあり

ふれた物をわざわざ描く作家はそれまで居なかったにし

ても、何かのジャンルに当て嵌めるとすれば、いわゆる

「静物画」の範疇に入る訳だが、しかしその作品は「静

物画」というイメージとは、かけ離れて深遠なものだっ

た。たかだかキャベツの葉っぱ一枚を描いて、或いは毛

糸玉を1個か2個描いて、あれだけの幽遠な世界を表し

得た画家が、それまで一人でも居ただろうか。そこには

静物画というような狭い範疇を超えて、ある種宇宙的と

も言える極めて独創的な時空が、深い静謐を湛えて広が

っているのだった。そのかつて西洋絵画には無かった時

空こそが、当時のヨーロッパの美術界を、否応のない力

で揺り動かしたのだと思う。何しろその稀有の世界観は

敢えて色彩の力を借りなくとも、まずは黒と白の無限の

階調によって、十全に表現し尽くされていたのだから。

だから浜口芸術の根底には、その作品がカラーメゾチン

トの代名詞となって、国際的な評価を呼ぶ事となった後

も、最後までモノクロームの芯が貫かれていた。その意

味で浜口のカラー表現は、あくまでもモノクロームを基

盤として、成立するものだったとは言えないだろうか。

 

 浜口の後年の作品には、最初はモノクロームで発表さ

れて、後にカラー・ヴァージョンが加わったケースが、

随所に見られる。今回の案内状に掲載した「びんとレモ

ンと赤い壁」という作品も、最初は「びんとレモン」と

いうモノクローム作品として発表され、数年後に「暗い

背景のびんとレモン」「 びんとレモンと赤い壁 」とい

う、2種のカラー・ヴァージョンが発表されたものであ

る。今回は滅多にない事なのだが、何とその3種を一堂

に並べてお見せ出来るので、それだけでも一見の価値が

あるのではと思う。このケースのように、カラーであっ

てもモノクロームに基盤を置いているものが、浜口の場

合はよく見られるのである。のみならず、カラーメゾチ

ントの工程で使う黒・青・黄・赤の4版を、別々に刷っ

て色別に見られるようにした特別版も在るので、幸い重

ね刷りをする前の状態を見る事が出来るのだが、それを

何度か見た経験から申し上げると、浜口は純粋なカラー

作品を制作する時でも、まずは黒版一版だけで、ほとん

ど作品として通用するように制作しているのである。換

言すれば、まずはモノクロ作品として制作し、それに彩

色を加える手法を取っていたと言うべきか。その上、カ

ラー作品の発表と併行して、生涯を通じてモノクロ作品

も創り続けたので(ちなみに絶筆はモノクロである)、

浜口が如何にモノクローム表現を大切にしていたかが、

その歩みをたどるほどに明らかになって来るのだった。

今回の展示を機会に、カラーはもちろんとして是非モノ

クロームの美しさも、存分に味わって頂けたらと思う。

 

 前述の豪華画集は、数年の間我が家に在って豊かな時

間を提供してくれたのだが、例によって資金繰りに困窮

し、親切なお客様に無理を言って買ってもらう顛末とな

り、残念ながら現在手元には無い。いずれ1点でいい、

本物が欲しいのだが、今回の話の成り行き上、どうせな

ら渋いモノクローム作品が良い。壁に掛けるとは言って

も、狭い我が家ではテレビの上ぐらいしかスペースがな

く、そのテレビが現在も、出家したくなるほどくだらな

い低俗番組を、相変らず垂れ流している状況なので、悲

しいかな芸術とは程遠い環境なのだが、しかし俗界のわ

ずか上方の、壁に空いた小さな窓の奥には、浜口陽三の

あの静謐に澄み渡る小宇宙が、どこまでも深く広がって

いる。日常にそんな窓を開け放つ時、それは再びあの永

遠の響きを、尽きる事なくもたらしてくれるだろう。い

つの事になるのかは、皆目見当も付かないのだけれど。

 

                    (17.04.15)