夜を捧げるアポロニア  Bronze / h.471
夜を捧げるアポロニア  Bronze / h.471

画廊通信 Vol.167            ニケの末裔

 

 

 ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」は、ご覧になられた方も多いのではないかと思う。例によって私は実見してないのだが、「ダリュの階段踊り場」に設置されていると言うその像は、本体だけでも3メートル近く、船の台座等を含めると優に5メートルを超えると言うから、実際目にしたらかなりの迫力だろう。エーゲ海の小島で発見されたのが1863年、その時は胴体部分だけだったと言うが、以降付近から百数十にも及ぶ断片が発掘され、その復元像が20年ほど後にルーブルに展示されて、現在に到るというのが経緯らしい。紀元前200年頃の作とされ、ほぼ同じ時代の制作とされる「ミロのヴィーナス」と共に、いわゆるヘレニズム文化を代表する傑作と言われている。以下は私見だが、同時代における同じ様式の大理石像でありながらも、両者の印象は大

きく異なる。ヴィーナスが、いかにもギリシャ彫刻然と

した古風な風格を湛えているのに対し、ニケの方はまる

で現代彫刻のような斬新な気概を放つ。この違いは何処

から来るものかを考えた時、やはりその因は欠損度合の

差違に帰結するだろう。先だってヴィーナスを「古風」

と書いてしまい、何だか美の女神に怒られそうなので、

少々の補いをさせて頂ければ、それでも数多あるギリシ

ャ彫刻中の白眉として、最も色褪せない「美」を幾百年

にも亘って持続し得たその所以は、やはり両腕の欠損に

あると思われる。もし運良く完全な形で発掘されていた

としたら、数あるギリシャ彫刻の一つとしての扱いしか

受けず、これほどの賞讃を受け続ける事は、たぶんなか

ったのではないだろうか。同様の観点で見ると、ニケの

欠損はヴィーナスを更に上回る。両腕が無いばかりか、

広げた羽も片翼が欠けて、何と言っても極め付けは、頭

が丸々抜け落ちているという、普通に考えれば惨憺たる

有様である。これが良い。正にそのおかげでニケ像は、

現代彫刻と見紛うような斬新性を、我が物とし得たので

ある。無論それは作者が故意に為したものではない、長

い時が然らしめた偶然の姿容が、結果的に不完全な造形

をごく自然な物に見せている、その無作為性がまた、大

きな魅力に繋がってもいるのだろう。という訳で、美の

女神ヴィーナスも勝利の女神ニケも、その芸術性におい

てそれほどの差違はないにも拘らず、こと現代性におい

て、ニケが明らかにヴィーナスを凌駕するその所以は、

端的に欠損度合の凌駕に帰結するのではないだろうか。

 

 上記のように、現象として語る場合は「欠損」だが、

これを表現上の手法として語る際は「欠除」、あるいは

「削除」と言った方が妥当だろうか、その大きな狙いは

「暗示」である。暗示は、作品を受け取る側の視覚によ

らず、内面の想像力へとダイレクトに働きかける。つま

り「描かない事」「造らない事」によって、その欠落し

た部分を見る側に想像させるのである。この時、描かれ

た部分や造られた部分=言わば「明示された」部分は、

決して作品の主役ではなく、極端に言ってしまえば、欠

落した部分を「暗示する」ための脇役でしかない。つま

り表現すべき主役は目の前には居ない、ならば何処に居

るのか、見る人の心の中、想像力を通した心奥に居るの

である。その時人間の持つ無限の想像力は、作家が直接

的に描き出し、造り出した物よりも、おそらくは遥かに

優れた造形を、自らの心中に創り出すだろう。その意味

でこの「暗示」という手法は、古今東西の数ある芸術表

現の中で、最も高度な方法論と言えるのではないだろう

か。そして優れた芸術作品には、多かれ少なかれ、この

暗示表現が巧みに用いられている、逆に言うのなら、だ

からこそ優れた芸術作品に成り得たのだろう。こうして

書いていると、何やら小難しい事を言っているように見

えるが、実はこれは極めて単純な理屈で、それが証拠に

前述したニケやヴィーナスの、完全復元予想図をご覧に

なってみると良い。ネット上で簡単に見つかるので、す

ぐにその画像を目に出来るが、それを見れば一目瞭然、

欠損状態ではあれほど魅力的だった像が、本来有るべき

腕や顔の生えた瞬間から、何とも凡庸な石像に変質して

しまうのである。特にニケ像は魅力の欠落が甚だしく、

一種謎めいたあの魅惑が跡形もなく消え失せ、実に詰ま

らない只の明るい女神像に変り果て、結果物理的な欠落

の補填が、逆に魅力の欠落を招いてしまうという、誠に

皮肉な顛末に到るのである。これは「暗示」が「明示」

にいかに勝るかを、端的に示した現象と言えるだろう。

 

 三木さんの個展は、今回で3度目となる。元々三木さ

んは画家であり、10年を超えるフィレンツェ滞在を境

に、彫刻表現を中心とした活動に到ったと言う。当店で

は未だ彫刻作品に出品を絞られているが、都内の個展に

おいては平面作品も展示される事が多い。それを見ると

立体と平面という形態の違いはあっても、手法は共通し

て「暗示」である。平面の場合も、そのモチーフはやは

り人物がメインだが、一見何が描かれているのか分らな

い程にその多くが削り取られ、ほんのわずかな点と線だ

けで人体や顔が暗示される。元来当店で扱わせてもらっ

ている画家は、極力余計な線や色を削り落した、シンプ

ルな作画を信条とする作家が多いが、その中にあっても

三木さんほどその対象を、極限まで削り取る作家は居な

い。中には、しばらく見ていないと絵が見えて来ないよ

うな作品もあって、見る方も少々の努力が必要とされる

のだが、一旦心中に画像が結ばれると、そこからは得も

言われぬ裸像が浮び上がったりするのである。ブロンズ

彫刻も同様で、平面に対して為された徹底した削除が、

今度は立体に対して為される事になる。両腕は元より、

人体における諸処の削除などはまだいい方で、時にはそ

れが顔面や頭部にも及び、せっかくの美しい顔が大胆に

削ぎ落されていたり、頭の半分がごっそりと欠落してい

たりする。このやり方は、よく新聞等の宣伝に載るよう

な、可愛い少女やお洒落なご婦人をモチーフとした、古

典的なブロンズ像を好むような方には、決して理解され

ない仕業だろう。しかも平面の際と同様、一見それが何

なのか判然とせずに、不可解な塊にしか見えない事もあ

って、しばし戸惑ってしまうような作品もあるのだが、

諦めず根気よく付き合っていると、不意に凛々しい女神

が浮び上がって来たりする、その瞬間がいつしか快感と

なったら占めたもので、その人は既に三木さんの術中に

嵌められているのである。この徹底した暗示表現は、付

き合うほど癖になる。思えば、作家の仕掛けた巧妙な罠

に陥るなんて、何という得難い魅惑の体験である事か。

 

 少々の脱線をお許し頂ければ、この「暗示」という手

法は他分野の表現において、特に文学においては縦横に

活用されて来たものである。文学自体もまた色々な分野

に類別されるけれど、「詩」という形式に文学が極まる

としたら、それこそ暗示表現なくして優れた詩は有り得

ない。たまたま今古典を読んでいるので、そこから例を

引いてみると、長い遠征の途上に倒れた倭建命(ヤマト

タケルノミコト)が、死を前にして故郷に想いを馳せ、

このように詠う。「やまとは国のまほろば/たたなづく

青垣/山ごもれる/やまとしうるはし」、やまとは山に

囲まれた故国、まるで青い垣根が重なり合うように、幾

重にも見晴るかす山々、あの麗しきやまとよ──これは

古事記に記された数ある詩歌の中でも、最も知られた詩

(うた)だろう。ついでだからもう一首、故郷を想う詩

を。遣唐使として長安に渡り官職を歴任しつつも、二度

と帰国を果たす事のなかった、阿倍仲麻呂の詩である。

「天の原/ふりさけみれば/春日なる/三笠の山に/い

でし月かも」、これもまたよく知られた、小倉百人一首

の代表歌だが、両者に共通して流れるものは、正に溢れ

んばかりの郷愁であり、張り裂けるような望郷の想いで

ある。それでありながら、両者共に「懐かしい」「帰り

たい」「哀しい」「恋しい」といった直接的な感情を表

す言葉は、文中に一言も使われていない。だからこそ、

直接表現の場合よりも、なお一層強い望郷の念が、読む

側にもダイレクトに伝わるのだろう。暗示の力である。

 これは何も古典に限った事ではなく、身近な歌にもそ

の例は数多く見出せる。「汽車を待つ君の横で/僕は時

計を気にしてる/季節外れの雪が降ってる/「東京で見

る雪はこれが最後ね」と/さみしそうに君がつぶやく/

なごり雪も降る時を知り/ふざけすぎた季節の後で/今

春が来て/君はきれいになった/去年よりずっと/きれ

いになった」、年齢ゆえ引例が古くなったが、笑いさざ

めく青春の終りを告げる別れが、ここではなんと切々と

歌われている事だろう、「愛してる」「別れたくない」

「行かないで」、そんな言葉は一言も書かれていないの

に。こんな歌詞を読むに付け、I  love  you  等々の直接

表現が散見される最近の歌には、やはり作詞レベルの低

下を感じてしまう。大切な肝心を言ってしまった時、詩

の醸し出す豊かな暗示もそこで止まる事を、若い詩人は

知らないのだ。正に村上春樹の言う如く「優れたパーカ

ッショニストは、一番大事な音を叩かない」のである。

 

 無駄話をしていたら思い出したのは、今回の三木さん

もまた優れた詩人であった事、これは何も比喩として言

っているのではなく「いずれ文章表現もやってみたい」

と言うようなお話も、されていた事があった程である。

以前にも書いた事があったが、お会いした当初、優れた

彫刻は周囲の空間を変えてしまうという話から、いつか

ジャコメッティの話になって、「雨の中を歩く男」とい

う作品を見た事がある、ほんの小さな人型があるだけの

作品だったが、そこには本当に雨が降っていたんです、

そんな話をイキイキとされていた事を思い出す。そこに

は雨が降っていた──こんな言い方が出来るのは、やは

り三木さんが詩人である故だろう。以下は3年前に開催

された「十一月画廊」における個展のパンフレットに、

作品写真と共に掲載されていた、三木さんの詩である。

 

 アッシジからラヴェルナへ

 発つにあたり

 S. は修道院の恋人 C. 宛てに

 小彫刻とドゥローイング

 日記も

 箱詰めにして送る

 白いヴェールをつけたクララ

 秘密の舞台に立つ

 

 てぃ・えす・みき

 

「詩」というよりは、短い走り書きのような、謎めいた

メモワールのような、やわらかに澄んだ言葉の連なり。

この短詩を見た時に、三木さんにとっては彫刻もまた、

詩に他ならないのだと思った。ブロンズの原型を塑像す

るに際して、あたかも言葉を彫琢するように、何らかの

喚起が可能な限界まで立体を削ぎ落す、その時、詩の言

葉が豊かな暗示を孕むように、彫刻という形象もまた、

尽きない暗示を宿すのだろう。そしてそこからは、あの

神話の英雄達や魅惑の聖女達が歌う、秘められた詩が響

き出すのである。もう直ぐこの小さな画廊の空間は、そ

んな言葉なき詩の数々に満たされるだろう、不思議な暗

示から茫漠と浮び上がる、あのニケの末裔達の物語に。

 

                     (17.06.09)