裸女 (2018)         油彩 / 8P
裸女 (2018)         油彩 / 8P

画廊通信 Vol.183          赤い花 白い花

 

 

 近年最も嬉しかったのは、ラブレターをもらった事である。今までそういった事は、こちらから一方的に意思表示するものとばかり思い込んで来たので、その類いをもらったという覚えがない。第一、そういった事からは久しく遠ざかったままだ。それが今頃になって花のようなお手紙を戴いた、今生二度とこんな事も無いだろう。

 昨秋、ご購入頂いた絵のお届けで、あるお客様宅を訪ねた折の話である。作家は栗原一郎、鮮やかなピンクに染まる街並と重なって、憂いを帯びた裸婦が横たわるという、斬新な息吹に満ちた油彩であった。早速2階の広い壁面に作品を取り付け、作業を終らせて下のリビングに降りると「これを渡して欲しいと、娘に頼まれたのでどうぞ。朝からずっと書いてたんですよ」と、一通の手

紙を渡された。このお客様には、可愛い娘さんが二人居

るのである。戴いたお手紙は、お姉さんの方が書いてく

れたもので、ここでは仮にメイちゃんと呼ばせて頂く。

見ると封筒の表には実に伸びやかなタッチで、男の子と

女の子らしきものが描かれている。まん丸顔のてっぺん

から、頭髪とおぼしき線を5~6本勢い良く生やし、楽

しそうにウィンクしている男の子が、ちょっと若過ぎる

けれどこの私らしく、その隣でまん丸顔の片脇に、長い

髪をこれも勢い良くザアッと垂らし、大口開けて微笑ん

でいる女の子が、メイちゃん自身なのだそうな。裏に貼

られたヒヨコのシールを剥がして封を開けると、中から

折り畳んだ緑の色紙が出て来て、その真ん中にひとこと

「すき」と書いてある。常々私には、同年輩の女性には

あまり好かれないのだが、子供と猫には好かれるという

変な傾向があって、小さな子供や汚い野良猫に懐かれた

経験は幾度かあったのだが、ここまでの明瞭な告白は初

めてである。無論言うまでもなく、5歳辺りの「すき」

はその意味が違うのだろうが、それはさて置き、その色

紙を更に開けると、中から何かをかたどったと思われる

折紙が出て来た。「それ、カエルなんです。お尻の方を

押してみて下さい」とお母さんがおっしゃるので押して

みると、なるほどピョンピョンと跳ねる。幼稚園で習っ

て来たものらしい。それともう一つ、大胆に文字の踊る

小さな手紙が入っていて、判読の限りではこう書いてあ

った。「やまぐちろうぺ やまぐさちいつもありがとう

めいより」、私なりに訳すと「山口画廊へ。山口いつも

ありがとう メイより」という文面でほぼ間違いないと

思う。以上の経緯を、当のメイちゃんは傍で黙って見て

いたが、お母さんがお茶を淹れに立つと、隣の椅子にチ

ョコンとかけて「ねえ、これ見て」と愛読書らしき雑誌

を開いた。確か「幼児の罹りやすい皮膚病の色々」とい

ったようなページで、湿疹やら疥癬やらのリアルな患部

写真が、一面これでもかと載っている。「私、これにな

っちゃったの」と、水いぼか何かの写真を指差したあと

「見てみる?」と言うので、断ろうかと思ったのだが、

たちまち袖をまくり上げると「ほら」と言った。それか

ら「乳幼児の便の色々」というようなページを開いて、

見事に並んだその類の写真群から即座に一つを選び出し

「今朝の妹のはこれで、お腹の調子がさあ」と説明しか

けたところに、お母さんがお茶を淹れて来てくれて助か

ったのだったが、それ以来とんと音沙汰のないところを

見ると、おじさんに手紙をあげた事などとっくに忘れて

いるのだろう。正直に申し上げて、相手がもし50歳の

麗しいご婦人であれば、私もそう確固たる理性がある方

では無いのだし、道を踏み外さないという自信は相当に

心もとない。しかし、今回は0が一個足りなかった、残

念である。ちなみにこのお手紙は、妻にはまだ見せてい

ない。当然だろう、何しろ「ラブレター」なのだから。

 

 つい長々と書いてしまったけれど、実を言うと今回の

主役はメイちゃんではない、お母さんの方なのである。

仮に彩音さんと呼ばせて頂くが、彩音さんとの出会いは

ちょうど12年前になる。前から画廊が在るのは知って

いたが、思い立って寄ってみたとの事、20代半ば程の

妙齢ながら、どこかキリッと背筋の伸びた、凛々しい印

象の女性だった。何度か通って頂く内に、話はお仕事の

方面にも及んで、まだ日は浅いながら医療ソーシャル・

ワーカーとして、大きな病院に勤務しているとの事で、

新しい部門のため人員も少なく、そのため常時5~60

人程のクライアントを抱え、入院や治療に関しての様々

な相談に、日々対処されているとのお話である。よって

帰宅は10時・11時が当り前、忙しい時は翌日になっ

てしまう事もある、そんな訳でそうちょくちょくは来れ

ないと思いますから、今日決めないといけませんよね、

私この絵を戴きます、という経緯になったのが、画廊を

訪れて一年に満たない頃だった。その時はモダンな抽象

画の小品だったが、それから一年半程を経た初秋のみぎ

りに、運命的な栗原作品との邂逅があった。この時の栗

原さんは、癌の大手術や再入院といった打ち続く試練を

超えられて、ようやくの小康状態を保たれていた頃で、

長く厳しい闘いを乗り越えて来られたが故の、横溢する

命の喜びを感じさせるような傾向も見えて、今までには

無かったような多色で彩られた、華やかな趣を湛える新

作も出品されていた。その中に「赤い花 白い花」と題

された鮮やかな花の絵があって、彩音さんはその前で矯

めつ眇めつ寄ったり引いたり、とても峻厳な眼差しで、

時間も忘れたように見入っている。絵が好きな人であれ

ば誰でもそんな経験はあるだろうが、一目見て「これは

特別な出会いだ」と瞬時に確信出来る、一期一会の稀有

な一作が有るものだ。それは絵に孕まれた画家の魂と、

それを見る受け手の精神が、一瞬にして何の夾雑もなく

響き合い共鳴する、紛れもない「奇跡」の時だ。その時

は考えるに非ず、自らの抗い難い衝動にただ身を任せ、

逡巡の一線を思い切って飛び越える、そうやってその美

しい奇跡を手中に収めた時、そこには微塵の後悔も無い

だろう。絵の前で寡黙に佇む彩音さんを見て、もしや今

そんな思いなのだろうかとも推察できたが、いかんせん

その作品は「8号」という大きさだった。という事は通

常に考えて、社会人とは言え20代のうら若き女性が、

そう簡単に出せる金額ではない。その内に「ウ~ン」と

呻いてらっしゃるので、率直に「もしかして、考えてる

んですか?」とお聞きしたところ、「考えてます、さっ

きから。真剣に考えてます」とのお答えである。「もし

諦めたら後悔するだろうなあ。本当に飽きないですね。

絶対に間違いのない絵ですね」「もちろんです、絶対に

間違いはありません。それは断言出来るんですが……」

「もし結婚して、こんなにイキイキとした絵を家の中に

飾れたら、いい人生が送れるように思うんです」、暫し

のそんなやり取りの末に、突如キッと顔を上げて「決め

ました。私、これ戴きます」、その静かな毅然とした声

が、今も耳に残って消えない。多少のサービスはさせて

頂いたにせよ、労苦の結晶である5~60万という大金

を、一枚の絵画に潔く捧げるその勇気と覚悟に、ただた

だ頭の下がる思いであった。いい絵ですね、とは誰もが

言う。そして様々な感想を言葉にする。しかし、それは

何の危険もない安全圏で、川向うの森を眺めているよう

なものだ。そんな人に限って森の中を説明したがるけれ

ど、対岸でその薀蓄を振りかざしているだけでは、本当

の森の姿など見える筈もない。真に森を見る者は、博学

の徒の傍らを抜けて、独り黙して橋を渡り、もしや危険

があるやも知れぬ森の中へと、自ら分け入るのである。

所詮「絵を買う」という事は、画家が命を削って描き上

げた一枚の絵を、こちらも身を削って評価する事に他な

らない。そんな一枚の絵を介した、送り手と受け手の原

則を、彩音さんは身を以て示されていた。人の感動する

姿は美しい。私はいつも、その姿に心打たれる。この日

のある若き感動の姿もまた、至福の画廊冥利に尽きた。

 

「そうかい、そんな人が居たのかい」、展示会を終えて

ご報告に上がった日、栗原さんは破顔一笑、喜んでくれ

た。実は彩音さんに、何故今までには無かった彩りの花

を描いたのか、それを聞いておいて欲しいと頼まれてい

たのだが、つい聞き忘れてしまったので、画家のこんな

言葉を報告させてもらう事にした、「あの時は手術の前

に、覚悟は決めてたんだ。諦念と言うのかな、絵もさん

ざん描いたし、何人かの女と恋も出来たし、その内の誰

かには好いてもらえたかも知れないし、思い残す事なん

て無いじゃないか。でもこうして、いい事かどうか分ら

ないけど、また絵を描く事になった訳さ。そうしたら、

やり残した事に気が付いた。老いらくの恋さ、これだけ

はやった事がねえ」。色々と歓談させて頂く中で、彩音

さんの言葉少なに絵に見入られていた姿、それはどんな

博識の評論家諸氏よりも真摯であった事、そんな話をお

伝えしたら、間髪を容れず栗原さんは、こう語られた。

「そうさ、絵は哲学じゃないんだ、お勉強じゃないんだ

よ。だから俺も芸術家先生なんかじゃない、『絵描き』

なんだ」、きっとそんな絵描きの絵が、分る人なんだね

という、画家からの最高の褒め言葉を土産に、その日は

帰路に付いたのである。後日彩音さんにその言葉を伝え

て、例の老いらくの恋についても話し、きっとあの今ま

でに無い色彩は、画家のそんな心境の現われではないか

と、私なりの推測を申し上げたところ、「そうですか、

それならあの明るく温かい色は、今の栗原さんの、命の

華やぎなんですね」と、大いに納得されたようだった。

 あの年から現在までに、彩音さんには更に3点の栗原

作品をご購入頂いた。一点は結婚されて市外に転居し、

長女のメイちゃんを授かった年に、一点は新居が出来て

市内に戻られた後、待望の妹さんが生まれた年に、もう

一点が先述した昨年の裸婦で、思い返せばご結婚7年目

の年に当っていた。こうして振り返らせて頂くと、絵と

共に生きるという事、彩音さんはそれを体現されて来た

のだなと思う。人はその時々の切実な想いを、一枚の絵

に託すのだろう。だからそこには、その絵と生きる事を

選んだ人の、正に今を生き抜く力が秘められている。そ

れは時に「安らぎ」であり、時に「励まし」であり、時

に「憧れ」であり「夢」でもあるだろう。いずれにせよ

その力は、今日を超えて明日を生み出す力だ。故に歳月

を如何に重ねようと、それが本物の絵である限り、そこ

には明日への希望が宿る。それはいつまでも消える事の

ない、自らを照しゆく光だ。きっと彩音さんの家には、

そんな希望の光彩が、今日も満ち溢れている事だろう。

 

 今春のある朝、線路伝いに歩いていたら、向う岸から

春風のように「山口さあ~ん」という声が流れて来た。

見ると、二人の娘さんを連れた彩音さんである。メイち

ゃんを、幼稚園に送る途中らしい。両手をメガホンにし

て「栗原さんに会って来ましたあ~」「良かったですね

え~」、それから程なく、彩音さん画廊に見えられた。

「初日だけいらっしゃると聞いたので、一昨日東邦アー

トさんまで行って来たんです」、下の娘さんをみてくれ

る人が居なかったので、炎天下娘さんを抱いて、汗だく

になって訪ねたとの事、その甲斐あって栗原さんとゆっ

くりお話出来た上に、写真まで撮って来たのだと言う。

スマートフォンの画像を見せてもらうと、満面花のよう

な笑顔の彩音さんを真ん中に、左側にはぐずり顔の小さ

な娘さん、右側にはいつもの渋い相貌で栗原さんが写っ

ている。心なしか栗原さん、照れくさそうにも見えた。

 

                     (18.08.29)