ザヴィエ・プリヴァ通り      Photo by Google Maps
ザヴィエ・プリヴァ通り      Photo by Google Maps

画廊通信 Vol.184         朝のカフェを探して

 

 

 朝から冷たい雨が降りしきっている。9月下旬にしては珍しいほどの、薄ら寒い一日である。こんな気候にもかかわらず4~5人のお客様が見えられたが、さすがに午後も遅くなってからは、ぱったりと客足が途絶えた。こんな時は絶好の執筆日和という訳で、そろそろ画廊通信に取りかからねばと気が重くなっていた頃合いでもあるし、襟を正してパソコンに向ってみたまではいいが、綺麗さっぱりなんにも思い浮かばない。そこでコーヒーを淹れてみたり、資料になりそうな本を引っ張り出してみたり、その辺をウロウロしてみたりと、それなりの努

力はしてみたのだが、相変らず書くべきこと何一つ浮ば

ない。あげくには眠くなって来る始末で、はてどうした

ものかと困っていたら、進退きわまっていたせいか、不

意に極めて短絡のアイディアが浮んだ。今回の案内状に

は「朝のカフェ(サン・ミシェル界隈)」と題された斎

藤さんの新作を掲載したのだが、実はこのタイトルは、

貼付されていた「カフェ(朝)サンミシェル裏通り」と

いう作家のメモを、私なりにまとめたものなのである。

つまりここに「サン・ミシェルの裏通り」というキーワ

ードが有る。とすれば、サン・ミシェル界隈の裏通りを

実際に探索したら、モデルとなった場所を見つける事が

出来るのではないか、そう考えた訳だ。むろん現地に足

は運べない、しかし今は「グーグル・マップ」という便

利なツールが有るのだから、あまりバーチャルは好きで

はないのだが、この際堅い事は言わずにその助けを借り

て、ストリートビューでパリの街を探索してみようと、

そういう事になった。ならばいざ、パリの街へ──とい

う訳で、店主再びパソコンの画面に向き合うのである。

 

 パリ発祥の地とされるシテ島から左岸を望み、サン・

ミシェル橋を渡ると大通りが真っ直ぐに伸びて、行政区

で言えば左側が5区・右側が6区、直進すれば14区の

モンパルナスに到る。この5区と6区の間を貫いて、モ

ンパルナスへと伸びる通りがサン・ミシェル大通りで、

「サンミシェル裏通り」と言うからには、この道に併走

するか、或いはそこから曲折した何処かの路地に違いな

い。地図上では、大通りを往くとほどなくサン・ジェル

マン大通りと交差して、それを東に入ればカルティエ・

ラタン、西に進めばサン・ジェルマン・デ・プレという

地勢、交差点を越えて更にモンパルナス方面に南下する

と、ソルボンヌの各校舎やリュクサンブール公園といっ

た大規模な施設が多くなるから、そちらまで足を伸ばす

と、斎藤さんの立ち寄りそうな庶民的な裏路地は、あま

り無さそうな感じである。とすれば、サン・ミシェル橋

を渡ってサン・ジェルマン大通りと交差する辺りまで、

その周辺に目指すカフェは在るに違いない、かなりいい

加減にして大雑把ではあるが、そう目星を付けた。早速

橋を渡った正面のサン・ミシェル広場に、ストリートビ

ューの人型を降ろし、いよいよ探索の開始である……と

ここまで書いて思ったのだが、場所なんて本人に聞けば

分るじゃないかと、誰もがそう考えるに違いない。ご尤

も。しかし画家の場合、正確な場所なんていちいち覚え

ちゃいないのだ、何しろ頭は絵の事で一杯なのだから。

 

 そんな訳で、まずはサン・ミシェル広場から6区へと

分け入り、その界隈の路地へと歩を進めてみたが、どう

も通りが華やかで明る過ぎたり、反対に殺風景で味も素

っ気もなかったり、或いは雰囲気は良いのだが道が広過

ぎたりと、なかなかこれだという風景に当らない。まあ

直ぐに見つかる筈も無いのだからと、ダントン通りやら

エプロン通りやらドフィーヌ通りやら、見も知らぬ路地

を行ったり来たり、あちらこちらと歩き回ってはみたの

だが、どうも何かが違う。はて何が違うのだろうと暫し

考えてみたら、何の事はない、どこの通りも綺麗過ぎて

生活の匂いがしない事に気が付いた。つまり、斎藤さん

の街景が必ずや孕むあの人間の匂いが、どうにも希薄な

のである。結局この辺りはどちらかと言えば、ハイソサ

エティな高級住宅街なのだろう、なるほど絵になる景色

が無い道理だ、ならば長居は無用という訳で探索を打ち

切り、次はサン・ミシェル大通りの対岸、5区側を探し

てみる事にした。この界隈は昔から、パリ随一の学生街

として知られている。という事は、金欠の苦学生だって

少なくないだろうし、よって庶民的なカフェやアパート

も多く、結果的に路地もあの人間の匂いを帯びる筈だ。

よし、今度こそ、と決意新たに案内状の絵を眺めていた

ら、ふと先日お聞きした斎藤さんの言葉を思い出した。

「ほら、この右側の壁なんですが、中ほどが膨らんでる

でしょう? これはわざとそう描いた訳じゃなく、本当

にそうなんです。建物が古いせいかなあ、パリは傾いた

り歪んだりしてる壁が多いんですよ」、そう言えば確か

に画家の言葉通り、道を挟んで通りの右側に、ベージュ

の歪んだ壁が描かれている、これは強力なヒントになる

だろう。ならばいざ行かん、中ほどが膨らんだあの壁を

手掛かりに、名にし負うカルティエ・ラタンの中へと。

 

 私は雨の中を歩いて行った。通りを下ってアンリ四世

校と古い教会の前を過ぎ、風の吹き渡るパンテオン広場

を通り抜けてから、風雨を避けて右手に折れる。そこか

らようやくサン・ミシェル大通りの風の当らない側に出

たら、そこをなおも下って博物館の前を通り、サン・ジ

ェルマン大通りを渡って行くと、サン・ミシェル広場の

通い慣れた、気持ちのいいカフェにたどり着く。そこは

暖かくて清潔で心なごむ、快適なカフェだった。私は着

古したレインコートをコート掛けにかけて乾かし、くた

びれて色褪せたフェルト帽を長椅子の上の帽子掛けにか

けてから、カフェ・オレを頼んだ。ウェイターがそれを

運んでくると、上着のポケットからノートを取り出し、

鉛筆も用意して書き始めた。(中略)一人の若い女性が

店に入って来て、窓際の席に腰を下ろした。とてもきれ

いな娘で、もし雨に洗われた、なめらかな肌の肉体から

コインを鋳造できるものなら、まさしく鋳造したてのコ

インのような、若々しい顔だちをしていた。髪はカラス

の羽のように黒く、頰に斜めにかかるようにキリッとカ

ットされている。ひと目彼女を見て気持ちが乱れ、平静

ではいられなくなった。今書いている短編でもどの作品

でもいい、彼女を登場させたいと思った。彼女は、外の

街路と入口双方に目を配れるようなテーブルを選んで、

腰を下ろした。きっと誰かを待っているのだろう。私は

書き続けた。顔を上げるたびに、その娘に目を注いだ。

 僕は君に出会ったんだ、美しい娘よ。君が誰を待って

いようと、これっきりもう二度と会えなかろうと、今の

君は僕のものだ。君は僕のものだし、パリのすべてが僕

のものなんだ。(ヘミングウェイ「移動祝祭日」から)

 

 斎藤さんのパリは、概ね3つの要素から出来ている。

建物と、街路と、その間に覗く空と。思えば絵画のみな

らず、それが音楽であろうが文学であろうが、優れた作

家というものは極めて限られた要素で、汲めども尽きぬ

世界を創り出す。換言すれば、受け手が豊かにして深い

ものを得るには、そこに多くの要素は要らない、却って

要素が限られて簡潔であるほどに、そこに収斂して包含

された暗示は、強い磁力を放って感応をいざなう、その

芸術における普遍の原理を、優れた作家ほど暗黙の内に

知悉しているのである。かれこれ60年を超える歳月を

絵画に捧げ、飽かずカンヴァスと向き合って来た斎藤さ

んの絵を見ていると、その厳しい錬磨が瞭然と刻印され

ている様が見える。描かれたどの風景も湛えるあの特有

の品位は、まさにその長い道程ゆえの風格なのだろう。

 さて、上述の3要素を簡明に述べておきたい。まずは

「建物」から。描く地域によっても異なるが、パリにお

ける斎藤さんの描く建物は、更に2つの要素に分解でき

る。窓を伴った「壁」と、カフェに代表される「店」で

ある。その味わい深い壁の表現に関しては、今までにも

この場を借りて、何度となく言及して来た。端的に私の

知る限りでは「壁」というファクターに、ここまでの精

神性を包含し得た画家は居ない。これは、殊に壁という

一要素に限って言うのなら、早逝の天才と謳われた佐伯

祐三も、或いはパリに生きパリに死んだ荻須高徳も、そ

の表現の深度は疾うに凌駕されていると言えば、事足り

るのではないか。次に「店」について。斎藤さんが店を

描く時、そこに店の外貌を通して濃厚に暗示されるもの

は、即ち「人」である。つまり画家は種々の店を描きな

がら、たとえそこに人は描かれてなくとも、結局は人の

気配と温もりを描いている。いや、人がそこに居ないか

らこそ、人は濃密にその影を画面に落すのだろう。以上

から推し量れば、壁にしても店にしても、斎藤さんの描

くあらゆる建物の表現は、畢竟「人」の表現に他ならな

いと言える。壁の前を往き過ぎた無数の人々の歳月が、

そして先のヘミングウェイの記述の如く、店を舞台に繰

り広げられた無数の物語が、見るほどに描かれた建物の

諸所から、尽きない味わいとなって滲み出すのである。

 2点目の要素である「街路」に関して。パリの街路に

限らず、それがアンダルシアの坂道であれ、ヴェネツィ

アの水路であれ、斎藤さんの描き出す多様な道は、そこ

はかとなくその「先」を暗示する。この坂を登れば何が

在るのだろう、その角を曲がればどんな出会いが有るの

だろう、見る人はそれぞれの想いを、長く延びる道の先

へと馳せる。その道は確かに画家が見て歩いた道ではあ

るのだけれど、絵を見る人はそこに自らの歩みを重ね、

これからも続く長い時の行方を思う。とすれば、画面を

貫き奥へと延びる道は、やはり濃厚に「人」の星霜を宿

して已まない。その先に何故かしら光を感じるのは、き

っと画家の持つ本質的な温かさゆえではないだろうか。

 最後に「空」について。それは多くは描かれず、建物

の狭間から僅かに覗く。しかしながらその垣間見る天空

は、押し並べて悠久の詩情に染まっている。それが天涯

の荒野であろうと、或いは都邑の雑踏であろうと、上方

に覗く空はいつも遥かな趣を湛える。だからこそ、その

下で営まれる無数の人生は、限りない愛しさを帯びるの

だろう。建物と街路と空と。こうして斎藤さんのパリは

完成する。それはどこまでも「人」の生きる街である。

 

 終りに。カルティエ・ラタン探訪も簡単には行かず、

やはり無謀な試みだったかと消沈しかけた頃、分岐する

路地でグルリと四方を見渡した折に、あの特徴的な壁が

一瞬視界に入った。近寄ってみると、確かに壁の中ほど

が膨らんでいる。場所はサン・ミシェル広場から大通り

を進み、2本目の路地を左折して、やがてやたらと派手

なクレープ屋とピザ屋が見えて来たら、その間を入って

直ぐの辺り、ザヴィエ・プリヴァ通りという細い路地で

ある。道の左側には絵と同様、カフェのテーブルが置か

れているのだが、どうもその景色が違う。アングルのせ

いかと思い直し、視点を左へずらして行ったら、ある位

置で絵の画角にピタリと重なった。そうか、ここだった

のか。無論ここに似た場所なんて、パリ中に星の数ほど

在るだろう、しかしここまで一致する風景は他に無い、

よって目指す場所はここであると断定した。右図がその

画像である。画家は今春のある朝、確かにこの路地に立

っていたのだ、そう思った時、独り鉛筆を走らせる斎藤

さんの姿が、街路にありありと見えたような気がした。

 

                    (18.09.30)