栗原一郎「かお」2010   油彩 / 4F
栗原一郎「かお」2010   油彩 / 4F

画廊通信 Vol.188           画廊という仕事

 

 

 昨年末「舟山一男展」の最中に、ある恰幅のいい紳士

が見えられた。何処かで見た顔だなと思いつつ記憶を手

繰る内に、不意に思い当る事があったので「小川英晴さ

んですか?」とお聞きしたら「そうです」とのお答え、

詩人にして幅広い評論活動でも知られる文筆家である。

近年は「ギャラリー」という美術誌で、様々な芸術家と

の対談を連載されていて、ちなみに一昨年は藤崎孝敏さ

んとの興味深い対談も掲載され、その際の写真で尊顔は

拝していたのだった。「舟山一男さんは前から好きな作

家だし、何より『詩人の生涯』というタイトルが良かった。それでちょっと寄ってみたくなってね」、そんなお

話である。豪放磊落のお人柄に乗せられてか、こちらも

知ったような事を調子よく話していたら、「どうせなら

今、取材しちゃいましょう。ちょっと待って下さい、こ

れから録音しますから」と、突如小型の録音機を出して

目前に置かれた。あまりに突然だったゆえ、こちらとし

ては何の準備もない訳で、まして録音となれば余計に緊

張するだろうし、どうせろくな話は出来ないだろう、困

ったなとまごついている内に、小川さん早くも録音スイ

ッチを押された模様、「今回、初めて山口画廊に伺いま

して…」と、本番が始まってしまった。しばしの対話の

後、ちょうど見えられたお客様に「写真を撮ってもらえ

ますか?」とカメラを渡され、何枚か撮ってもらって終

了となったのだが、「後でゲラを送りますから、目を通

して下さい」とのお話、つまりは今回の対談を、本気で

誌面にするつもりらしい。「都内の諸先輩画廊を差し置

いて、私のような地方の画廊でいいんですか?」とお聞

きしたところ、「いいんです。このコーナーは私が任さ

れてるんだから」との力強いお言葉、そんな経緯があっ

て今年の「ギャラリー」1月号には、小川さんと私の対

談が、10ページに亘って掲載されている。後日、出版

社から届いた誌面を見て愕然とした。写真写りが悪い。

もちろん、実物が良くないのは分っている。ただ、当日

撮影の折に「こういった場合、柔らかい表情の方がいい

んですか?」とお聞きしたら「そうですね。自然な笑顔

でいいじゃないですか」というアドバイスだったので、

自分なりの笑みを浮べてみた訳だ。それがいざ仕上がっ

て来たら、小川さんは威厳のある真顔で前方を見据え、

隣で私だけがヘラヘラと笑っているではないか。その見

る程に浅薄な面容に、我ながら深い幻滅を覚えつつ、以

降撮影に当っては下手な笑顔は作らない事を、堅く自ら

に誓ったのであった。さておき、小川さんはその誌上で

「山口雄一郎(山口画廊)画家との出逢い──詩人の生

涯、画家の生涯」というタイトルの下に、私と画廊をこ

のように記してくれた。以下、身に余る紹介文である。

 

 詩人の生涯、画家の生涯。自らの人生を貫いた人ほど

孤高の生き方を強いられる。それもまた、選ばれた者の

人生なのだ。食うために描くのではなく、魂の飢えを満

たすために描く。詩人も画家も本物であればあるほど、

社会との距離は遠くなり、遂には自らの魂の部屋に閉じ

こもるしかない。山口画廊の主人、山口雄一郎は西千葉

にあって、そういう画家をのみ友としてきた。売れる絵

を売るのではなく、本物の絵を顧客に手渡す。そういう

橋渡し役をしてきたのだ。それゆえ画家への信頼と共感

は深い。こういうギャラリストがいるという事、今回の

対談を通して改めて知った。その熱き想いとはいかに。

 

 薄々お気付きの方も多いと思うのだが、要するにこれ

は自慢なのである。中高年の自慢ほど惨めなものはない

が、今まであまり褒められた経験が無いもので、この際

は皆様の寛大なる憐情に甘えつつ、愚かな慢心をご容赦

願いたい。上記で筆者は「そういう画家をのみ友として

きた」と書いてくれたが、私などは画家を「友」と呼ぶ

には余りにおこがましく、友人の関係になどはとても到

れないまま、此処まで来てしまったようなもので、なら

ばどんな思いで付き合って来たのかと言えば、ただただ

彼らを尊敬し、その芸術を愛して来ただけである。世間

には絵の先生や会派のお偉方、それに連なる成員等々、

絵を描く人間はごまんと居るし、自称画家を含めたら枚

挙にいとまがない。ただ、その中で真に「画家」と呼び

得る者は、無惨なほどに少ない。真の画家とは即ち「芸

術家」であり、概ね芸術家は群れ集う事を嫌う。何故な

ら、創作の土壌はひたすらに己と向き合う孤独にしかな

い事を、彼らは深く知るからである。所詮絵画であれ彫

刻であれ、或いは音楽であれ文学であれ、自らの孤独を

愛せないような者に、一体何が生み出せると言うのだろ

う。側で誰がどう寄り集まろうと、常に独り黙々と自己

を見つめ、生涯を懸けて何かを求めゆく人、芸術家とは

そんな稀に見る異能の人であり、故に先述の文中にもあ

ったように、彼らは「選ばれた者」達なのである。畢竟

私にとって画家とは、創造の世界における闘士であり、

英雄であり、言うなれば「アイドル」であった。とすれ

ば、ひたすらに敬愛し、共感し、その想いを分かち合っ

て往く以外、何が出来ただろうか。かつてホームページ

を立ち上げた際に、アーノルド・グリムシャーの言葉を

載せた事があり、それは今も変らず表紙を飾っている。

グリムシャーは、ニューヨークでも群を抜く画廊として

著名な「ペイス・ギャラリー」の創設者であり、という

事は、おそらく群を抜く商売人に違いないから、本心で

言っているのかどうかは知らないが、その言葉自体は画

廊の画家に寄せる想いを、見事に代弁してくれている。

 

「世界中の何にもまして、私はアーティストになりたい

と思う。私が画商をしているのは、これ以上アーティス

トに近い地点に立つ事は不可能だからだ。アーティスト

こそ、私が尊敬してやまない人々だ。文化の歴史におい

て、アーティストの業績ほどに大切なものは他にない」

 

 もう一つ、前頁の文中で筆者は「橋渡し役」という言

葉を使われていたが、もし画廊の役目があるとすれば、

正にその言葉に尽きると思う。どんなに優れた作家であ

れ「送り手」の一方的な送信だけでは意味を成さない、

それを十全に受信する「受け手」があって初めて、芸術

は成立するのである。私達は、その送り手と受け手の中

間に在ってささやかな橋を渡す、それだけの事を飽かず

続けて来たに過ぎない。ただ、この「中間」という地点

は、喩えは悪いのだけれど、昔の風呂屋の番台が男湯も

女湯も一目で見渡せたように、送り手側も受け手側もよ

く見える位置なのである。顧みれば、現在の画廊を出し

て17年目に入った訳だが、その歳月を常に両者の中間

に在って、共に付き合わせてもらい見て来たが故に言え

る事、それは送り手にも才能が有るように、受け手にも

また才能が有るという事実だ。これは考えてみれば当然

の事で、もし送り手の才能だけで全てが決まるのであれ

ば、良き芸術は誰が見ても悉く「良い」筈である。とこ

ろがどっこい現実はさに非ず、如何に素晴らしい名作が

目前に在っても、感じない人は何も感じないという現象

が起り、反対に理解する人なんて居ないだろうと思われ

る難解の一作が在っても、きっと「これは素晴らしい」

と受け止める人が出て来る。この現象を私心なく真っ当

に解釈すれば、やはり受け手の感性がそれぞれに異なる

からであり、よって感性にも、才能の有無があると結論

付ける他ない。更に言うなら、送り手側の芸術性が高く

なる程に、それを受ける側にもより高い才能が要求され

る、換言すれば、良き芸術ほど受け手を選ぶのである。

たぶんこの「画廊」という場は、そんな送り手と受け手

の才能が出会う場所なのだろう。両者の磨かれた感性が

いきいきと交感し、その豊かな才能が響き合い共鳴した

時、そこに「感動」というあの得も言われぬ現象が生れ

る、思えばそんな美しい光景を、今までに何度目にして

来た事か。両者の間に在って、最も数多い感動を体験し

て来たのは、他でもないこの私だったのかも知れない。

 所詮、画廊は小さな箱に過ぎない。世には広大なスペ

ースを誇るギャラリーもあろうが、概ねは当店に毛の生

えた程度だ。しかし、芸術の現場は「此処」に在る。作

家が見せる現在進行形のドラマは、正に此処で起きてい

る、この一点だけ、力なき画廊の矜持である。それは、

高額落札で話題になる有名オークション会場に有るので

もなく、脚色された物語を作りたがる美術番組に有るの

でもなく、それを鵜呑みにした衆人の押し寄せる美術館

に有るのでもなく、観念的論考を編み出す批評家の書斎

に有るのでもない。事件は画廊で起きている、この小さ

な空間こそが、紛う方なき美術の現場なのである。送り

手と受け手の織り成す最先端の場、その現場に身を置い

て、今もこうしてささやかな橋を渡し続けられる事、こ

の職業に就く者として、思うにこれ以上の冥利はない。

 

 絵が売れるという事は、文句なく嬉しいものだ。ただ

正直に申し上げると、嬉しいのと同時に、落胆と安心の

入り混じる奇妙な心境になった事も、また度々あった。

むろん「落胆」とは自分がその絵を欲しかったが故であ

り、「安心」とは他に売れたおかげで、余計な金を使わ

ずに済んだが故である。考えるまでもなく、自分の好き

な作家を扱うという事は、自分でも欲しくなるという事

態を併行して引き起す。これは誠に困った現象で、幸い

いつも金欠だったから良かったようなものの、もし多少

の余裕でもあったが最後、しこたま買い込んで商売にな

らなくなっていたと思う。しかしながら、展示会を終了

してもなお、好きな作品の何故か残っていた時などは、

これ幸いと後先考えずに買ってしまい、後日四苦八苦す

る羽目に陥った事も何度かあって、それがせいぜい「何

度か」だったつもりがいつの間に、小さなコレクション

展が出来る位になっていたという顛末だ。ちなみにその

大半は妻には知らせてないので、成り行き上画廊の倉庫

兼事務室に保管する事になり、おかげで唯でさえ狭っ苦

しい部屋が更に狭まり、結果的に私の居場所が無くなり

つつある。そこで売ろうと思った訳ではないのだが、今

回の企画が「通算200回目」という滅多にない機会で

もあるし、ならば日頃のご愛顧への報恩感謝の意味で、

好きで買った愛する作品達ではあるけれど、この際は思

い切って放出させて頂く事にした。もし皆様のご好意で

それらが売れたとしたら、後悔する事必至だろう。でも

そんな後悔もまた楽しからずや、次なる蒐集へのバネに

すれば良い。最後に、セザンヌを広めた画商として名高

いヴォラールの逸話を一つ。皆様とこんな会話の出来る

日が私の夢である、そんな日は来そうにもないけれど。

 

 画廊を訪れた客がヴォラールに訊いた、「その3点あ

るセザンヌのスケッチはお幾らです?」「お買いになる

のは何点ですか?」「1点だけです」、ヴォラール答え

て言うには「3万フランです。どれでもお選び下さい」

「で、もし2点もらうとしたら?」「ならば8万フラン

です」「よく分らないのですが……。とすると、3点全

部だったら?」「それなら15万フランですね」、呆気

にとられている客に「全く単純な事ですよ」と前置きし

て、ヴォラールはこう語ったと言う。「もし私のセザン

ヌを1点しかお売りしなければ、私には2点が残る。2

点お売りすれば、1点しか残らない。3点全部お売りす

れば、私にはもう何も残らない。おわかりでしょう?」

 

                     (19.01.27)