山中にて    パステル / 43.5x43.5cm
山中にて    パステル / 43.5x43.5cm

画廊通信 Vol.189             彼岸の目

 

 

 概して優れた作家には、その技法や表現を云々する前に、まずは物の見方が違うという共通点がある。例えば目前に一輪のバラがあって、それを描こうとした場合、通常はそれを「バラ」という名称の花であると認識し、「バラを描いている」という明瞭な自覚の下に、筆を走らせる事になるだろう。よってその人の心中では、意識の度合いはそれぞれ異なるにせよ、常に「バラ」という単語が、描画という行為に附随し続ける。すると人間は言葉で思考する動物だから、その単語が脳裏に居座り続

ける事によって、否応のない或るイメージが喚起されて

しまう。往々に言葉というものは、多種多様な心象を統

合し抽象化する属性を持つので、観念の自由な増殖を生

むよりは、それを固定化する方向へと働く。故に、単な

る花の名前に過ぎない筈の「薔薇」という言葉は、いつ

しか華麗で豪奢な或るイメージを呼び起すものとなり、

意識的にしろ無意識的にしろ、それは描画に拭い難い影

響を及ぼす。という訳で今現在もバラの絵は、大方は相

も変らぬ絢爛豪華なステロタイプを、これでもかと顕示

し続けている。尤も、一般の需要は正にそのステロタイ

プにこそ有るから、それで何の問題も無いのだけれど。

 

「真の画家にとって、一本のバラを描く事に勝る困難は

ない。何故ならそれを描く前に、画家は今までに描いた

バラの一切を、悉く忘れ去らなければならないからだ」

 

 これはよく知られたマティスの言葉だが、ここでマテ

ィスの言わんとしている事は、脳裏からバラにまつわる

全ての記憶を放逐した末に、初めて真実のバラが描ける

という事だから、当然そこには視覚的な記憶だけではな

く、言葉による記憶も含まれるに違いない。つまりは言

葉の桎梏を脱し、執拗に附着する言語イメージを捨て去

れ、との謂もそこには有るとして、それが簡便安易には

とても為せる業ではないから、「一本のバラを描く事に

勝る困難はない」という台詞に到るのだろう。一輪のバ

ラを前にして、バラの記憶の一切を忘却せよ、という事

は、即ち生れて初めてバラを見たように描け、という事

に等しいから、それを唯一可能にするのは、赤ん坊の白

紙の目だけという事になる。最初は誰もが持ち合せてい

たその目を、再び自らの内に蘇らせるという事、確かに

それは至難の業だろうけれど、考えてみれば、言語化の

過程で捨象された多種多様なイメージを取り戻すには、

その方法しか無いのかも知れない。思うに優れた作家と

は、そのような目を終生持ち続ける人だ。おそらくそれ

は当人にとって、あまりにも自明な日常であり、殊更に

標榜するような事でも無いのだろうが、その目を通した

制作が、実際に作品として顕在化した時、見る者はその

明らかな眼差しの違いに、目を瞠る事になるだろう。き

っとそこには、生れて初めて見たバラの姿が、漲るよう

な驚きと感嘆を伴って、描き出されているだろうから。

 

「例えば一ヶ月、トマトだけを食べて生きて行く事は出

来ない。しかし、トマトだけを描いて生きて行く事なら

出来る。明日のトマトは、今日のトマトではないから」

 

 初めてお会いした頃のメモに、中西さんのこんな言葉

が書き留めてあった。これはそのまま、マティスの言葉

の実践である。中西さんにとって、今日見たトマトと明

日見るトマトは、たとえそれが同じトマトであっても、

やはり違う物なのだと思う。これは禅問答ではない、何

故なら画家の明日見るトマトは、開かれたばかりの目で

見るトマトなのだから。ご存知のように中西さんは、身

辺のあらゆるものをモティーフにする画家である。常々

目にしているような野菜やら果物やら、道端に人知れず

咲いている野の花やら、或いはその辺りの草叢や雑木、

果ては通常なら描こうとも思わないだろう取るに足らな

い物品まで、そのモティーフは驚くほど多岐に亘る。実

際これまでの個展の中で、何度驚かされ瞠目させられた

事か。一束の素麺、一本の鰹節、一本の独活、一本の長

葱、一椀の粥、一個の毛糸玉、一巻の蚊取り線香、まだ

まだ有るけれど、これらの一つでもいい、この凡そモテ

ィーフにはならないモティーフに、真摯に向き合って描

こうとした画家が、果してどれほど居るだろうか。しか

しながら、その描かれた姿容を目にした時、見る人はこ

の世に「取るに足らない」物など無い事を、むしろ私達

が「取るに足らない」見方をしていたに過ぎない事を、

澄み渡る気韻の中に悟るのである。斯様にそこには、独

創的な「物の見方」があった。その実、その見方とは何

も特別なものではなく、かつては誰もが持ち合せていた

筈の、初々しい白紙の眼差しであった。その開かれたば

かりの眼差しで眺めれば、あまねく世界は驚くような存

在の美に満ちているのだと思う。そこでは一束の素麺が

清々とした気品を放ち、一本の独活が朴訥とした尊厳を

湛え、一巻の蚊取り線香が幽玄の情趣を燻らしている。

そして明日の眼差しが、明日初めて開く眼差しである限

り、それらは決して今日の延長ではなく、また新たな気

品を、尊厳を、眼前に見せてくれるのだろう、明日のト

マトが今日と同じではなく、新しい輝きを放つように。

 

「光というものは、開かれたばかりの眼差し、或いは正

に閉ざされようとする眼差しにしか、その完全な真実を

明らかにはしないものである」ギュスターヴ・ティボン

 

 以前にもここに引用した言葉だが、過去に刊行された

画集の序文に、中西さんが好きな一文として挙げられて

いたものである。ここには中西和という画家を貫いて来

た、揺るぎない立脚点が有ると思う。読んで字の如く、

この一文には二つの眼差しが示されている。「開かれた

ばかりの眼差し」と「閉ざされようとする眼差し」、つ

まりは生の始まりと終わりの眼差しであり、言うなれば

生と死の眼差しである。ここまでは全て「開かれたばか

りの眼差し」についての愚考であったから、もう一方の

「閉ざされようとする眼差し」についても、ここで触れ

ておきたいと思う。とは言え、「生の終わりの眼差し」

「死の眼差し」というものがどのような眼差しなのか、

実際にそのような経験の無い身としては、とても論じ得

る課題ではない。よって「生の終わり」や「死」といっ

た難義な概念は、いっそ此処ではさて措く事にして、私

達が日々を生きる「生」──より具体的に「生活」と言

ってもいいけれど──の中には、通常「無い」と思われ

る眼差しを考えたいと思う。「生」に無いのであれば、

その逆を推考し得るからである。その見地に立った時、

中西さんの絵から感じられる或る特有の眼差しを、仮に

「彼岸の目」と呼ぶ事は可能だろうか。ただし、ここで

言う「彼岸」とは、一般に言う「あの世」といった意味

ではない。私達の生きる日常を「此岸」とした場合の、

対義語としての概念である。加えて言うなら、この「彼

岸の目」こそが、中西さんを他作家と隔て、類例のない

世界を成立させている、最も大きな要因なのだと思う。

 事典を紐解くと「彼岸」はこう出ている──「迷いを

脱し、生死を超越した世界。解脱・涅槃の境涯」。何し

ろいつも迷妄の只中に在り、長年に亘って足掻き続けて

いるもので、最早それが常態に化している身としては、

この煩悩渦巻く六道の巷は、慣れ親しんだ泥沼のような

ものだ。よって「泥中の蓮華」の故事を思い起せば、さ

ながら「彼岸」とは、暗い泥沼から見上げる白蓮のよう

なものだろうから、それはとても凡人には手の届かない

高みに在って、遥かな蒼穹の中に咲き香っている。それ

が、私達の彼岸を望む視点なのだとすれば、中西さんは

この同じ蓮華を、たぶん私達とは反対の宙空から見下ろ

しているとは言えまいか。するとあの清らかな白蓮は、

やはり泥沼の中に見える。即ち、彼岸とはこの煩悩の巷

と住所を同じくするものであり、換言すれば、彼岸は此

岸の只中に在ると言えるのだろう。だから中西さんの眼

差しは、此岸=日常のあらゆる物に注がれる。それは決

して特別で崇高な形而上へと向うのではなく、生活の周

囲を形成する極めて日常的な、いわゆる「取るに足らな

い」物へと注がれるのである。例えば一束の素麺、一本

の鰹節、一本の独活、一本の長葱、一椀の粥、一個の毛

糸玉、一巻の蚊取り線香等々、それら改めて目を止めら

れる事さえないような、誠に凡々たる題材に画家の目が

注がれ、一枚の絵としてこの世に蘇った時、それらは何

と奥深い尊貴の情趣を、その身に湛えていた事だろう。

視点を変え、眼差しを違えるというその事だけで、目前

の変哲もない一本の大根でさえ、寂静の神秘な気韻を放

ち始めるのである。斯様にして彼岸とは、凡夫の辿り着

けない遼遠の浄土に在るのではない、その辺に打ち捨て

られた空き地の、貧しい草叢にこそ在るのだという哲理

を、私は中西さんの絵に教わった。前頁に「彼岸の目」

と呼ばせて頂いた所以である。そして、もしや「生の終

わりの眼差し」もまた、そんな寂滅の視点を持ち得るの

だとしたら、前述したティボンの言葉も、俄に腑に落ち

る文脈となる。即ち「閉ざされようとする眼差し」とは

「彼岸の目」に他ならず、ならば此処で言う「閉ざす」

とは詰まるところ、此岸の汚泥に曇った眼差しを「閉ざ

す」事に同義なのだと。これは牽強に過ぎるだろうか。

 

「卒業後はある事について考えてみたいと、資料集めに

努め、読み進めていました。一年くらい続いたでしょう

か。春の日でした。下宿の窓から、ボンヤリと陽の光を

眺めていた時でした。何を思ったのか、その資料を紐で

結わえて捨ててしまったのです。こんないい陽気に、部

屋の中にいるのが嫌になったのでしょうか。(中略)し

ばらくのち、あるきっかけが又、私を絵に向かわせまし

た。“好きなものを好きな風に”描いていくしかないと、

心せくこともなく、極めてゆっくりと歩き出しました」

 

 これも以前に掲載した一節で、画集あとがきからの抜

粋である。左に「視点を変え、眼差しを違えるというそ

の事だけで」と書いたが、実際に「その事だけ」を為す

には、実は大きな困難が伴うに違いない。画家にとって

「視点を変える」事は、「立脚点を変える」事に他なら

ないからだ。上記の一節は、或る若き真摯な画家に訪れ

た、そんな転機を語った証言として読める。言うなれば

「中西和」というオリジナリティーの開眼であり、仏教

的には「開悟」とも言える転換点であったろう。文中に

美大を卒業して一年を経た頃とあるから、まだまだ青年

期の盛りである。顧みれば初めてお会いした時が、画家

は50代半ばの頃だったから、開眼の日から30年近く

を数えた頃である。なるほどその当時には、悠然たる達

観の賢人だった道理だ。それから10数年、中西さんは

また、新たな転機を迎えられたようである。無論「彼岸

の目」はそのままに、しかし自家薬籠中の技法からこの

度は離れ、「パステル」という画材と「正方形」という

フォルムを駆使して、より斬新な領域へと足を踏み出さ

れた。この爽快な裏切りを、心から歓迎したい。私達の

陳腐な予測など、軽々と裏切ってこそ画家なのだから。

 さて、紙面も尽きるようだ。開花繚乱、画面一面に咲

き乱れる花園を、今回は是非ご高覧頂きたい。香り立つ

大気の中で百花の小径を歩む人は、ゆくりなくも気付く

だろう、いつか彼岸の花園に足を踏み入れていた事に。 

 

                     (19.02.23)