駆ける (2019)    鉛筆 / 13.8x13.8cm
駆ける (2019)    鉛筆 / 13.8x13.8cm

画廊通信 Vol.194            窓の向こうに

 

 

 2011年──と言えば8年ほど前の話になるが、7月も終ろうとしている夏の盛り、昼を回った頃に一人の青年が見えられた。この時は、3回目となる河内良介展を開催中で、午後は作家も来廊される日に当っていた。「2年ほど前、仙台三越で初めて作品展を見て、一目で好きになった。本当は買い求めたかったが、残念ながらお金の都合が付かず、止むなくあきらめた。その時の絵が忘れられず、また機会があったら見たいと思っていたが、以降ぷっつりと地元には来ないし、待てども探せど

も個展の情報も見つからない。そんな時、たまたまイン

ターネットを見ていたら、ちょうど千葉で個展を開催し

ている事を知った。そんな訳で、今日は車を飛ばして来

たんです」、聞けば仙台を朝早く出て5~6時間かかっ

たとの由、東北自動車道は今のところ無料なので、とて

も助かったと笑っている。思わず「震災は大丈夫だった

んですか?」とお聞きすると、運良くそれほどの被害は

無かった、とのお話だった。言うまでもなく、震災とは

あの「3.11」の事で、まだ4ヶ月少々を経過したばか

りの頃である。思えば当時、まだまだその生々しい爪痕

が各地に残されたまま、未だ復興という段階にさえ到っ

ていない状況だったろう。その最中、唯でさえ遠い東北

の地から、しかも被災の地の只中から、災禍を物ともせ

ずに駆け付けてくれたその情熱に、正直申し上げて驚い

たと同時に、心底頭の下がる思いであった。仮にCさん

と呼ばせて頂くが、この日Cさんは一通り展示を見て回

られた後、やおらこちらに向き直ったと思いきや「これ

とこれを下さい」、目の覚めるような即決をされた。程

なく河内さんも来廊となって「えっ? わざわざ仙台か

ら……。その上2点も買って頂いて……」と感銘ひとし

おの態、しばし歓談の弾んだのちに「会えて良かったで

す」と、再び車上の人となって帰られたのである。ちな

みに翌年もCさんには、遠距離を押してご来店頂いた。

この時は前日の夜遅くに仙台を出て、高速バスで夜間を

ひたすらに南下、朝早くに着いてしまったので、少々時

間を潰してから来たとのお話、石巻辺りの港町はまだま

だですが、仙台はかなり復興しましたよと、にこやかに

話されていた。この日もCさんには、やはり目の覚める

ような即決で新作をお買上げ頂き、以降の個展でも更な

る貢献を戴いたのだったが、ここ5年ほどは仕事が忙し

いのだろう、久しくお会い出来ないでいる。河内さんの

個展が来ると、いつもCさんのあの情熱を思い出す。そ

して、Cさんのような人が居る限り、この画廊という仕

事にも意義が有るのだと思える。お変りないだろうか。

 

 実は、Cさんが再来された第4回展の折に、もう一つ

印象的な出来事が有ったので、せっかくだからそのお話

も記しておきたい。会期初日に見えられた或る若いご夫

妻の話で、この時は小さな娘さんと息子さんも一緒で、

家族4人のご来店であった。以前にオークションで、河

内さんの小品を買った事があって、それからのファンで

ある、去年ここで個展をやっている事を知ったが、その

時は残念ながらもう会期が終っていた、よってもう見逃

したくないので先に聞いておきたい、今年はいつやるん

ですか? ──そんな問合わせを事前に戴いており、予

め日程をお知らせしてあったので、この時はいち早く、

初日にご来店となった訳である。じっくりとご覧になら

れた上で「先日話した通り小さい作品はもう有るので、

どうせなら今回は、大きい作品が欲しい」とのご意向、

当然反対する理由など何一つ無いので、それはご尤も、

素晴らしい考えです、と満幅の共感を申し上げたのだっ

たが、結局この日、提示価格にして100万の大作を、

本当にご成約頂く運びとなった。今度はTさんと呼ばせ

て頂くとして、聞けば建築設計の仕事をされているとの

事、我々の仕事に比べれば、これだけの労力を費やして

この金額は安いと思う、そんな誠に有難いご感想を残し

て、Tさんのご一家はお帰りになられたのだが、翌々日

またご家族で見えられた。「主人が、仕事中も絵が気に

なっちゃって仕方がないらしくて……」とは奥様の弁、

直ぐにも作品をお渡し出来ればいいのだが、何しろ個展

ラインアップ中最大のメイン作品なので、期間中は画廊

に飾っておかなければならない。よってこの日もTさん

には、お買上げの作品をしっかりと目に焼き付けて、お

帰り頂く他なかった。それから数日後、作家来廊日には

むろんTさんもお見えになり、河内さんと歓談の一時を

楽しまれたのだが、その折のTさんの言葉が良かった。

「僕は車も好きで、実は新車の購入を考えてたんです。

値段は300万ちょっと、それを今回は200万円台に

ランクを落として、その差額で買う事にしました。そう

すれば100万円の絵も買えますからね」、その通り、

簡単な計算だ。しかし、それを実行に移す人は少ない。

以前、優に800万は超えるだろう高級車で来店され、

8万円の絵の前で「お金が有ればなあ……」と嘆いてい

た、思考系に重篤な破綻のうかがえる御仁も居たが、そ

れは極端な例としても、事実そんな価値感の方が未だ圧

倒的に多いと思われる。そんな世相の中、Tさんの賢明

にして潔い決断は、誠に見事だった。実はTさんとも、

かれこれ5~6年はお会い出来ないでいる。きっとお仕

事の方が、いよいよ多忙を極めているのだろうけれど。

 

 河内さんの個展も、今年で11回を数える。これだけ

回を重ねれば、上述したエピソードの他にも、まだまだ

様々なお話をご紹介出来るのだが、何しろお客様の数だ

け固有の物語が有るものだから、その全てを記そうと思

えば一冊の本が出来てしまう。今回は私の詰まらない話

は程々にして、出来るだけ河内作品とお客様によって綴

られた、貴重なドキュメントに終始したかったのだが、

どうやら限られたお話しか出来そうにない。よってこの

際はもう一話だけ、皆様にお付合いを願えればと思う。

 一昨年の夏──という事は、これは比較的近年の話な

のだが、河内さんの個展が終了して数日を経た頃、或る

方から問合わせの電話が入った。ここではYさんと呼ば

せて頂くが、初めてお話をさせて頂く方で、聞けば栃木

の人だと言う。「先日オペラシティの展示で、初めて河

内さんの鉛筆画を見て衝撃を受けた。調べてみたら、そ

ちらで個展をやっていたので連絡してみた。作品はどう

したら見られますか?」、そんなお電話だった。「オペ

ラシティの展示」というのは、東京オペラシティ・アー

トギャラリーにおける常設展示の事で、同館は河内作品

をかなり以前から蒐集しており、点数にして100点を

超えるコレクションを誇る事から、収蔵作家の常設企画

に際しては、その中からセレクトした作品が館内に展示

される訳である。実はお電話を頂く半月程前に、私もそ

の展示を見て来たところだったので、まだ凡その展示風

景は覚えていたのだが、ほぼ同じサイズの連作が7点、

間隔を空けずに整然と並べられていた。その「サイズ」

というのが実に控え目なサイズで、わずか12センチ四

方、つまり面積にしてハガキ1枚程度の大きさである。

仮に7点全部を足してみたとしても、未だ通常の油彩1

点にも満たないような具合で、要はこの時に出品されて

いた数多い作品の中で、紛れもなく群を抜いて最小の展

示であった。当然Yさんも同じ展示を見た訳だが、Yさ

んはハッキリと「衝撃を受けた」と言った。他にも錚々

たる作家の大作が居並ぶ会場の中で、ともすれば見落し

かねないような小さな作品に、Yさんは文字通り、最も

大きな衝撃を受けたのである。さて上述した通り、問合

わせを受けた時点では既に個展も終り、作品も手元には

無かったので、とりあえずは作品の写真資料等を、この

時は送らせて頂く運びとなったのだが、翌々日には即刻

Yさんから連絡が入った。「作品の写真を見た。2点気

に入ったので戴きたい」、まだ実物も見ていないのに、

誠に肝の据わった決断である。思うにそれは作家を十全

に信じたが故の、至誠の行為であったろう。昨年の個展

時には栃木からご来店となり、この折もお買上げに与っ

たのだが、初めてお会いしたYさんは思っていた通り、

芸術への真摯な情熱に溢れた方だった。あらためて今、

オペラシティという大きな会場の一角に、最も寡黙に配

されていた小さな展示を、逃さずに感知したその炯眼を

思う。きっとその時の出会いとは、誠実な希求だけがい

つか触れ得るだろう、あの奇跡の瞬間だったのである。

 

 以上ほんの3例ではあるが、心に残るエピソードを記

したのだけれど、当然の事ながらこれまでのお話は、お

客様に関しての物語であった。よって以降は視点を換え

て、お客様をそれほどまでに惹き付けた、作品自体につ

いて考えてみたい。つまり、前述のCさんを遠く仙台か

ら呼び寄せ、Tさんを新車購入のランクダウンへと向わ

せ、Yさんを極小の展示で衝撃に到らしめた、その作品

が孕むだろう「何か」についてを。むろん一枚の絵を、

そして一人の作家を好きになる要因は、人それぞれに異

なるものが有るだろう。それを知ろうと思えば、結句一

人一人に訊ねる他ないが、しかし一方で、そこまでに人

を魅了する対象には、必ずや共通した要因も有る筈だ。

それは何か──と思い巡らす前に、まずは自身の体験を

思い返してみよう、所詮は高が知れた思考なのだから。

 15年程を遡った夏日、場所は日動画廊である。当時

は「八月会展」と銘打った企画展に赴いたのが、河内さ

んとの出会いだった。写実作家の選抜展ゆえ、あまり期

待もなく立ち寄ったのだが、各々が写実の粋を極める展

示の中で、明らかに異端と思える作品があった。他作家

は油彩や水彩を主としていたが、唯一人モノクロームの

鉛筆画である。思わず目を瞠るような細密描写でありな

がら、如何なる現実もそこには写されていない。目前に

描き出された風景は、豊饒なイメージに満ち溢れた架空

の別世界であった。そう、何よりもそこには「世界」が

在った、この感覚をどうお伝えしたら良いのだろう。蓋

し、世には「世界」を持つ作家と持たない作家が居る。

適切な例とは言えないが、デヴィッド・リンチ(映画監

督)の場合を考えると、このニュアンスをご理解頂ける

かも知れない。ここで詳細を語る余裕は無いが、彼の制

作した映画には、共通して特有の不穏な空気が漂う。暗

鬱に澱む不安、邪悪な狂気の予感、猟奇的な廃頽、作品

のプロットなどは二義的なもので、むしろこの「世界」

こそが主人公なのだと言わんばかりに。それは、作品毎

に自在な変貌を見せる他監督とは大きく異なる、おそら

くは当人の意識を超えて滲み出す世界なのだが、その在

り方と同じ立脚地から生起する異界を、河内良介という

稀有の作家もまた、持ち合せるのではないかと思う。た

だしその本質は、奇想天外な様相を見せながら、徹して

上質の遊び心に満ちた、軽やかな幻想劇なのだけれど。

 小さな額の中に広がる小宇宙は、さながら窓の向こう

に垣間見るもう一つの世界だった。それは目前に在るの

だが、決して触れる事は出来ない。しかし卓絶の細密描

写の故か、それは不思議なリアリティーを湛えて、見る

者を強くいざなう。きっとCさんもTさんもYさんも、

この「世界」に魅せられたのではないだろうか。前述の

共通要因とは、まさしくそこに有ったのだと思う。あの

日彼らの前には、紛れもなく「世界」が在った。そして

いつか、密やかな声がそこから響く時、窓の向こうへと

続く未知なる異郷は、幾度も帰りゆく故郷となって私達

を招いた、記憶の彼方を吹き抜ける遥かな風のように。

 

                     (19.07.24)