サン・ニコラ・ド・ルドン (2019)    油彩 / 6P
サン・ニコラ・ド・ルドン (2019)    油彩 / 6P

画廊通信 Vol.197         置き去られた記憶

 

 

 先だって或る美術誌上に、藤崎さんの紹介記事が見開きで掲載された。その中で、画家はこのように述べている。以下は月刊「アートコレクターズ」10月号から。

 

 その瞬間の美が去った後、人はそれを忘れ去るもので

 す。枯れた花を、いつまでも花瓶に挿しておく人はい

 ないでしょう。しかしこの「忘れる」という事が、再

 びの美に出会う一つの方法なのです。なくしたものを

 思い出すために、或いは、新しく出会うために忘れる

 のです。私は、その瞬間を「残す」ために描くのでは

 ありません。「忘れ去る」ために仕事をするのです。

 

 一読では分かったような、分からないような、そう安

直には腑に落とせない、如何にも藤崎さんらしい逆説で

ある。藤崎さんの物言いは、時に謎めいたエピグラムの

ような、一種詩的な香気をまとう。砕けて言えば「カッ

コイイ」のである。むろんそれは作家特有の「粋」から

来るもので、決して格好を付けたが故の言葉ではない。

おそらく、自身の思うところの飾らない真実を、当人は

率直に述べているだけなのだ。よって「私は『残す』た

めに描くのではない、『忘れる』ために描くのだ」と藤

崎さんが語る時、そこには画家が思うところの或る確か

な真実が、正に何の粉飾も無く明かされている筈だ。ち

なみに上記の言説は、よく知られたマチスの言葉を彷彿

とさせる。「忘れる」という事、それはマチスにとって

も、ある意味創作の根幹を成す所為だったようだ。ここ

にも何度か取り上げた一節だが、再度引用してみたい。

 

 真の画家にとって、一本のバラを描く事に勝る困難は

 ない。何故ならそれを描く前に、画家は今までに描い

 たバラの一切を、忘れ去らなければならないからだ。

 

 一見両者の言葉は、同じような意味に思える。しかし

よく読み返してみると、そこに微妙な差異が見えて来な

いだろうか。いや、それは「微妙」と言うよりは、寧ろ

「決定的」な差異なのだ。マチスは換言すれば、こう言

いたいのだろう──画家は今までに描いた一切を忘れる

事によって、その都度新たな眼差しを開かなければなら

ない。それが出来てこそ、真の画家であると。つまり、

マチスは対象と向き合うに際しての態度=姿勢を語って

いるのである。対して、藤崎さんの場合はどうだろう。

文脈を整理すると、前記の言葉はこのようになるだろう

か──美を「残す」とは、枯れた花をいつまでも花瓶に

挿しておくようなものだ。私は「残す」ために描くので

はない、「忘れる」ために描くのだ。それがまた、新た

な美との出会いを、もたらしてくれる事になるのだから

──再度繰り返すと、ここで藤崎さんは「忘れるために

描く」と言い切っている。即ち「忘れる」という言葉が

明確に目的化されているのである。こう考えると、上述

の「決定的な差異」という表現も、ご理解頂けるかと思

う。マチスにとって「忘れる」という所為が、画家の対

象に向かうべき態度=姿勢だったのに対し、藤崎さんに

とって「忘れる」とは、絵を描く目的そのものなのだ。

「忘れるために描く」とは、正にその謂だろう。明らか

にこれは、マチスの言説とは似て非なるものだ。さて、

この謎のような言葉は、一体何を意味するのだろうか。

 

 思えば、現代はビジュアルの時代である。全てが過剰

なまでに視覚化され、世界は有りと有らゆる画像で溢れ

返っている。特に今世紀に入って、電脳ネットワーク上

に新たに発祥したSNSを舞台に、ITの止まる所を知

らない進化と相俟って、想像を絶する膨大な画像データ

が、地球上に氾濫する時代となった。多くの人々が事あ

る毎に、然したる意味もなくスマートフォンをかざし、

目前の有りと有る光景を写し取ってゆく。この社会的な

「症候群」と言っても過言ではない、ある種異常な様相

を見せる事態は、そのほとんどがいつしか病的な段階に

まで進行してしまった、過剰な記録欲求から来るものだ

ろう。記録欲求とは、つまりは「残したい」という意思

に他ならない。美しい光景を残す、幸せな時間を残す、

様々な出会いを残す、可愛い私を残す、皆「残す」事に

我を忘れ血道を上げている。それによって、本当に「残

る」ものは何かを改めて考えてみれば、おそらくそこに

は、過去の虚しい残像しか見出せないのかも知れない。

きっと「残す」事のみが目的化された時、人はその瞬間

の何も見てはいないし、何も聞いてはいないのだ。なら

ば寧ろ、その瞬間にただ目を凝らし、無心に耳を澄ます

事の方が、真に「残す」事になるのではないだろうか。

 閑話休題、浅薄な文明時評はこの位にして、話を本題

に戻そう。御多分に洩れず、絵を描くという行為もまた

この「残す」という心理と密接に聯関して来た。そもそ

も写真が登場する以前は、絵画が事件や時事の記録媒体

だった訳だから、それは当然といえば当然の経緯と言え

るが、写真以降「記録」という役目から解放された筈の

今でも、それが「公的」なものから「私的」なものへと

対象が移行しただけで、相変わらず「残す」事は絵画表

現において、重要な所為で有り続けている。つまり社会

的な記録の時代は終焉し、替って個人的な記録の時代が

到来した訳だが、それが「記録」である事には何の変り

もない。自己の感動を残す、自己の感慨を残す、自己の

思惟を残す、通常はそれを「表現」と思い做し、それを

考えるまでもない自明の公理として、画家は日々カンヴ

ァスに向かう。しかしそれが「記録」である限り、画家

は自らの見聞を出る事はなく、よって見る者の普遍へと

到る超越性を持たない。それ故、脆弱な記録は時の経過

に容赦なく風化され、作者が画面に残した筈の感慨は、

やがてなし崩し的にその輝きを失うだろう。たぶん「記

録」と「記憶」は違う。「記録」は物理的に何らかの媒

体を通して残されるが、悲しいかな時の風雪に抗う強度

を持たない。対して「記憶」は、たとえ何らかの形象と

して残されなかったとしても、忘却の遥かな底で蘇生の

可能性を孕み続ける。そして或る日、図らずも意識の把

手に掬い上げられ、自己の枠を超えた輝きを放ち始める

のだ。真に「残される」ものとは、忘却してもなお強靭

に潜在し続ける、記憶の彼方に在るものかも知れない。

 

 先日、銀座の藤屋画廊で一足先に開催となった「藤崎

孝敏展」を見て来た。当店など比較にならないモダンな

スペースに、待望の新作がずらりと居並ぶ光景は、数多

の作家には及ぶべくもない威容を放っていたが、中でも

中央の壁面を飾る「ジプシー」と題された大作は、定評

ある人物表現の真骨頂とも言えるものだった。長く果て

なき放浪の労苦が、消そうにも消せない程に染み付いた

女性像。麗しき日々を疾うに過ぎて、憂いの残滓など悉

く棄て去り、生活の垢に逞しくまみれた顔容で、無造作

に卓上に腕を置き、手には一輪の萎れた花を提げ、こち

らを睥睨するかのように見据えている。強く鋭い眼差し

ではありながら、飾らない素朴な人間味も感じさせる、

不思議な魅力を湛えた人物像だ。これはたぶん、若き日

にジプシーと交流した遥かな記憶が、制作の途上でゆく

りなくも浮び上ったものだろう。ファンの間では良く知

られた話だが、藤崎さんは単身渡欧して程なく、旅回り

のジプシー一座と知り合い、長期に亘って寝食を共にし

た経験を持つ。せっかくなので、ご本人の談話を少々。

 

 旅芸人とは言ってもほとんどが家族で、芸とも言えな

 いような芸で日銭を稼いでいた。一座には一匹の猿が

 居てね、出し物が終ると観客の間を回って、投げ銭を

 集めるのが彼の役目だったんだ。僕は居候のようなも

 ので、これといった仕事も無かったんだけど、少しは

 手伝わないと悪いと思ってね、代りに集金係をやった

 事があった。そうしたら猿が偉く怒っちゃってさ、自

 分の仕事を取られたと思ったらしくてね。それからは

 すっかり嫌われちゃって、絵を描いているとカンヴァ

 スをわざと投げ飛ばしたり、時にはビリビリに引き裂

 いたり、あれには参ったよなあ、ひどいヤツだった。

 そんな訳で旅の間中、ずっと猿とは仲が悪かったよ。

 

 世のご子息やご令嬢が、裕福且つ円満の国で、洒落た

美術大学に通って青春を謳歌していた頃、我が藤崎青年

は旅回りの一座で、恨みがましい集金猿と敵対し、一人

辛酸を嘗めていたのだ。思うに、貧しいジプシーと過ご

したそんな放浪の歳月が、正に藤崎さんの「美大」だっ

た、これは冗談でも何でもない。明日なき天涯で、異郷

の細民と共に、あの見る者を真正面から射抜くが如き、

迫真の画風は育まれたのだ。どだい何の切羽もないよう

な微温の学舎で、何を学べると言うのだろう。こと美術

制作という現場において、社会的な学歴などは全くの瑣

事に過ぎず、そこに如何なる価値も権威も無い、これは

作家との付き合いの中で、身を以て知った事実である。

 さて置き、前述したジプシーの女性像は、その力強い

荒削りのタッチと相俟って、遠い記憶から浮上したのだ

ろう濃厚な情念を、直裁に余す所なく体現している。こ

の強力な放射を身に受けた時、たとえ藤崎さんの個人史

を知らなかったにせよ、更には「藤崎孝敏」という作家

さえ知らなかったとしても、人はそこに切実に現存する

或る真誠の魂を見るだろう。そしてここには、紛う方な

く或る確かな人間が「居る」と感じるだろう。たぶんそ

の人間とは、描かれたジプシーである事は当然ながら、

同時にそれを描いた画家自身でもあるのだ。ここには、

顕在する一人のジプシーの背後に、潜在する一人の画家

が消し難く刻印されている、まるでその横溢する精神を

取り出して、絵の中にそのまま置き去ったかのように。

 この日、私は一枚の絵の前で、藤崎さんの語ったあの

「忘れる」という言葉が、いつか腑に落ちたように思え

た。おそらく画家の言う「忘れる」とは、絵の中に全て

を置き去る事、即ち「置き忘れる」事に他ならない。知

り合った当初、僕は同時制作が出来ない、という藤崎さ

んの話を聞いて、少なからず驚いた事があった。私の知

る限り、プロとして活動する画家は、複数の作品を併行

して制作する事が、通常の手法だったからだ。今ならそ

の所以が分かる、そこに置き去るべき精神は、たった一

つしかないのだから。ならば常に一枚の画布としか対せ

ない事は、作家にとっては当然の理であったろう。斯様

にして一枚の絵の中に、記憶は丸ごと置き去られる。だ

からこそ人は、描き出された作品の時空に、或る切実な

魂をまざまざと見るのだろう。所詮残された「記録」は

色褪せる、花瓶の中で枯れゆく花のように。片や蘇った

「記憶」は、画中にその輝きを生き生きと保ち続ける。

それはいつまでも枯れる事のない、強靭な荒野の花だ。

 

 今回の案内状には、荒々しい海景を選んだ。見る程に

ここには、荒ぶる筆跡から湧起する激情が、溢れんばか

りに漲っている。ああ、ここに藤崎さんは、掛け替えの

ない記憶を置き去ったのだなと思う。そして置き去られ

た不倒の魂は、いつまでもここに生き続けるのだ。不穏

な空の下、今日もブルターニュの海は荒れている。風は

波を呼び、波は磯へと打ち寄せ、折しも眼下には波濤が

砕け散った。荒波を岩塊に叩き付け、激しくうねっては

逆巻き、今や飛沫を上げて鳴動し、暗雲に轟いている。

 

                     (19.10.25)