夏の終りに        混合技法 / 4F
夏の終りに        混合技法 / 4F

画廊通信 Vol.207            野路のセンス

 

 

 ヘール・ボップ彗星──1995年に発見され、徐々に太陽系へと接近し、2年後の春には近日点を通過、0等級を超える極めて明るい光を放ち、18ヶ月もの長期に亘って肉眼で見る事が出来た。観測史上最大級の彗星と謳われたが、戻って来るのは約2500年後との事、残念ながら再会は無理なようだ。この天文史を飾る彗星が、最も大きく輝いていた1997年の春、横浜の緑深き谷戸の一角から、毎日のように夜空を見上げる一人の画家が居た。当時40代半ば、きっと子供のようなときめきで見ていたのだろう、その時の純真な感動は、後年描かれた一枚の絵に、みずみずしく刻み込まれている。「私も和さんと一緒に見てました。驚いた事に、何日もおんなじ場所で明るく輝いたまんま、さっぱり動かない

の。よほど遠くの、大きな彗星だったんでしょうね」、

先日お伺いした折に、奥様も目をキラキラさせて、その

ように話してくれた。この時の光景が、つまりは今回の

案内状の作品となった訳だが、実はこの絵はかねてから

或る画廊が所有していて、そのため私も、長らくその存

在を知らなかったものである。それが何故、この度出品

と相成ったのかは、続けて奥様に語って頂こうと思う。

「この絵には、そんな和さんとの思い出があったから、

まだ売れてなかった事を知って、わざわざ買い戻したの

よ。でも山口さんに見せると、持ってかれちゃうでしょ

う、それで秘密にしてたわけ。いい絵でしょう? 見せ

なきゃ良かったわ。売りたくないんだけど、どうしよう

かなあ…」、という訳で、奥様の逡巡も痛いほど分かっ

たのだが、職業柄見てしまった以上は持ち帰るのが使命

でもあるので、何とか頼み込んでお預かりして来たとい

う次第だ。「彗星の日」P6号、いい絵だなあと思う。

奥様の潔いご決断に、心から感謝しなければならない。

 

 佐々木さんの個展は2016年の春以来となるので、

約4年ぶりの開催である。よって最近のお客様にとって

は、初めての作家になるだろうから、まずは簡単なプロ

フィールを。佐々木和──1951年、横浜市生まれ。

四季折々の身近な自然をテーマに、清新な詩情溢れる世

界を描く。独自の混合技法から生み出される作品は、微

妙な色彩が幾重にも綾なす画面の中に、いつも柔らかな

情趣を湛えていた。他にも「密陀絵」と呼ばれる古代技

法を復活させ、漆と箔による斬新な表現を創出する等、

幅広い領域に亘る自由な活動を展開したが、2009年

58歳にして逝去、その余りにも早い死が惜しまれる。

 更なる詳細はご来店時の資料に譲るとして、ここでは

少々の補足をしておきたい。佐々木さんの制作の多くは

「谷戸」と呼ばれる地域を舞台としている。谷戸とは、

里山の森に囲まれた谷あいの地を言う。人と自然が共存

し、豊かな生態系を保つ地であったが、現在は乱開発の

ためにその多くが失われつつある。そんな時勢の中で、

佐々木さんのこよなく愛した谷戸は、横浜という都市の

中に、奇跡的に残された境域であった。奥様の話による

と、横浜の市街地からこの地=緑区の一角に移り住んだ

のは、画家が43歳の頃だったらしい。ちなみにそれ以

前の作品も何度か拝見した事があるのだが、いずれも意

図的に構成された静物画であった。どこかモランディを

思わせるような考え抜かれた構図で、フォルムと色面を

かなり抽象的に配置した、言わば絵画の方法を突き詰め

たような作風である。それらの旧作を見ていると、佐々

木さんの制作は、かなり知的な領野に原点の有った事が

分かるのだが、それが谷戸に移り住んだ頃から、洗練さ

れたモダンな側面は残しつつも、作風はより自由に開か

れた、伸び伸びとしたものへと一変する。その所以をお

聞きする前に、画家は逝かれてしまったので、以下は勝

手な想像に過ぎないのだが、おそらく佐々木さんは新た

な生活の中で、方法論の桎梏から自らを解放したのだと

思う。きっと生まれて初めての緑豊かな環境に住んで、

内に籠った方法論の探求は、如何にも小さな事に思えた

のかも知れない。そして自然の呼びかける声に導かれる

ままに、画家は狭い自我の枠を清々と脱したのだろう。

こうして私達の知る佐々木さんの世界が誕生する。他界

されるまでの15年、谷戸の地は画家の王国であった。

 

 今までに何度も書いて来た事ではあるが、佐々木和と

いう画家を語るにおいて最も重要と思われる、その独自

の「まなざし」について、今一度触れておくべきかと思

う。たぶん佐々木さんにとって、過剰な文明の溢れ返る

都市の巷から、20年も30年も時代を遡ったような、

谷戸という環境の真っ只中に生活の場を移した時、そこ

で見るもの聞くものは全てが新しい驚きであり、悉くが

極めて新鮮な体験だったに違いない。その目を瞠るよう

な感動については、私なんぞがくどくどと説明するより

も、こんな一節が見事に代弁してくれている。以下はレ

イチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」から。

 

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美

 しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なこと

 に、わたしたちの多くは大人になるまえに、澄みきっ

 た洞察力や、美しいもの・畏敬すべきものへの直感力

 をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る、善

 良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界

 中の子どもたちに、生涯消えることのない「センス・

 オブ・ワンダー」を、授けてほしいと頼むでしょう。

 

 この小さな美しい書物は、姪の息子に当たる一人の少

年に捧げられたもので、あの「沈黙の春」で冷徹に社会

を告発した生物学者の、次代への願いが綴られている。

表題の「センス・オブ・ワンダー」という言葉は、作者

によって「神秘さや不思議さに目をみはる感性」と定義

されているが、これは「『知る』ことは『感じる』こと

の半分も重要ではない」と語る作者の信条を、正に象徴

する言葉だったと思われる。佐々木さんのまなざしを一

言で語るとしたら、この「センス・オブ・ワンダー」ほ

ど適切な言葉はないだろう。谷戸の自然に注いだ画家の

視線は、上述の作者が妖精からの授かりを願って止まな

かった、あの澄み渡るまなざしに等しかったのである。

 この比類なき画家の「センス」は、当然の事ながら、

立派な樹木や豪華な花々を、全く必要としなかった。む

しろ、その辺で見かけるありふれた雑草こそが、心寄せ

るモチーフであった。いや、佐々木さんは幾度も繰り返

し描いた雑草達を、絵の「題材」とは微塵も考えていな

かったろう。それは画家にとって、まずはかけがえのな

い尊き生命であり、溢れるような共感を覚える同胞であ

り、限りない敬意を捧げるべき谷戸の象徴であった。お

そらく画家は、描かずにはいられなかったのだ、独り大

地に毅然と根を張って、健気に生きる名もなき草達を。

 佐々木さんは、見るからに壮大な絶景を、豪奢に描き

上げるような作家ではなかった。人が見晴るかす大自然

に嘆声を上げる時、独りそのまなざしは、徹して足下に

あった。ましてやそれが、取るに足らないものであれば

あるほど、いよいよその視線は慈しみに溢れた。何でも

いい、画家の描いたささやかなもの達を、一目見て頂け

れば分かる。そこには、どんなきらびやかな花も及ばな

いような尊厳が、凛として湛えられているだろうから。

 

「横浜は随分と長く住んで、描きたいものは描きました

から、また新たな発見のあるような、何か驚きのあるよ

うな、自分でも面白いと思えるものに出会いたい。それ

でニューヨークに引っ越したいと思って、この前女房に

相談してみたんですが、何と反対されちゃったんです。

とてもショックでした。セントラルパークの自然を描い

てみたかったのになあ」、初めての個展でご来廊頂いた

折、佐々木さんは実に残念そうに、そんな話をされてい

た。海外への移住という大事を、隣町に引っ越すような

感じで話されるので、さぞや英語の方は堪能なのだろう

と思っていたら「いやあ、全然ダメです。行けば行った

で何とかなるでしょう」、どうやら私なぞとは思考のス

ケールが違うようで「そりゃあ奥様でなくとも、誰でも

反対するのでは…」などと思っている内は、まだまだ凡

人なのだろう。幸い奥様が反対してくれたおかげで、以

降も展示会が可能となった訳だが、遠くアメリカにでも

行かれてしまった日には、その後の開催はどうなってい

た事やら。「どう変わりたいから行く、というんじゃな

くて、どう変わるのかを自分でも見たいから、行ってみ

たいんです」、そんな言葉を聞きながら、佐々木さんの

絵に特有の、あの未知へのときめきに満ちた、少年のよ

うな瑞々しいまなざしを、ふと垣間見たような気がした

のではあったが。ともあれ、たとえセントラルパークを

歩いたとしても、画家は道端の取るに足らない雑草に、

必ずやその目を向けただろう、これだけは確かな事だ。

 佐々木さんが亡くなられてから、私はよく路傍に目を

向けるようになった。通い路の道すがら、金策に困って

下を向いて歩く事はよくあったが、近年はそれにも慣れ

てしまった故(慣れとは恐ろしいものだ)その意味では

なく、つい足下の雑草に目が行くから、自然下を向いて

歩く事になるのである。かつて「ヘラオオバコ」という

草を描いた作品があって、その可憐な佇まいに共感して

くれたお客様に、ご購入頂いた事があった。春から夏に

かけて特徴ある花穂を伸ばし、その周囲に小さな花弁を

まとわすのだが、もちろん私は「ヘラオオバコ」という

名称も知らなければ、それまで目にした事もなかった。

それが何年かを経たある時、信号待ちの車中から何気な

く道端に目を向けたら、縁石の隙間の僅かな地面から、

勢いよく葉叢を出した勇壮の草が有って、ピンと伸ばし

た長い茎の先に、あの特徴ある花穂を誇らしげに咲かせ

ていた。「あ、佐々木さんの花だ!」と、思わず叫んで

しまったのだが、この2~3年はよくその花を見かける

のである。以前から有ったのに気が付かなかったのか、

或いは近年急速に勢力を広げたのか、それは知らない。

いずれにせよ、ヘラオオバコに限らず、路傍に根を張る

名もなき草達は、いつも多彩な姿容を見せて尽きない。

そして彼らに出会う度に、私はあの谷戸の画家を思い出

す。今も佐々木さんの魂は、至る所に生きているのだ。

 

 1997年春の夕暮れ、画家はいつものように愛犬を

連れて、谷戸に続く野路を歩いたのだろう。バサバサの

毛並みで見栄えがしないため、よく老犬と間違えられる

のだが、実は意外と若いのだ。谷戸の林を抜けて野原に

出ると、急に視界が開けた。首輪を解き放つと、犬は真

っしぐらの疾風となって彼方へと駆けてゆく。いつか薄

暮の空は明るさを落とし、宵の澄んだ藍へとその色を変

えた。見上げると遙かな天空に、彗星がひときわ大きく

輝いている。ヘール・ボップ彗星、帰ったらまた妻を呼

んで、この奇跡のような光を共に見ようと思う。今しも

星影は目前の野原に落ちて、無数の草花を浮かび上がら

せた。ふいに柔らかな風が吹いて、野原を波立たせて渡

る。耳を澄ませば、野を覆う草達も、周囲の雑木林も、

彗星の下で歌っていた。お伽話のようなひと時。やがて

犬が、元気に駆け戻って来る。さあ、家に帰ろう!──

絵から溢れ出たお話。今はあの犬も居ないけれど、でも

物語は終わらないだろう、ここに星が輝き続ける限り。

 

                     (20.08.19)