シグエンサへの道      Google Maps
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画廊通信 Vol.208          シグエンサへの道

 

 

 斎藤さんがトレドを再訪されたのは、昨年10月の事である。前回の取材から、20年近くは経つだろうとのお話だったので、随分と久方ぶりの往訪であられた。とは言え、歴史深い欧州の古都においては、時間も極めて緩慢に流れるとの由、10年・20年は一日の如しと聞

く。斎藤さんも当然そのつもりで、変わらぬ旧知を訪ね

るような心持ちで往かれたのだろうが、無念にも現実は

さに非ず、長い時を経て再開した懐かしの地は、予想外

の著しい変貌を遂げていたと言う。以下はご本人の弁。

 

「いやあ、ビックリしました。あの寂れて物静かだった

街が、賑やかなショッピング街になってるんですよ。華

やかなショーウィンドウ、今風の洒落たカフェやレスト

ラン、そんな店舗が通りにズラッと並んで、もう完全に

観光地化されてましたね。もちろん、そんな所は絵にな

らないですから、古い街並を探して随分と歩き回りまし

た。裏通りの更に裏通りへ、街外れをもっと外れた先へ

と足を伸ばして、昔ながらの『トレド』を見つけて歩い

たんです。周辺の小さな集落も、幾つか回りました。さ

すがに、其処までは観光客も来ないらしく、古い街並も

変わらずに残ってましたけどね。でもいずれはそんな所

にも、時代の波が押し寄せるのかもしれませんが……」

 

 トレド──マドリードから南に約70km、イベリア

高原のほぼ中央に位置し、タホ川の蛇行を天然の要塞と

する古都である。ルネサンスの巨匠エル・グレコが活躍

した街としても知られ、当時から続く旧市街は世界遺産

にも登録されている。古く中世においては、400年に

亘ってキリスト教・ユダヤ教・イスラム教が混在し、そ

れ故に、異文化が豊かに交錯した独特の街並が形成され

た。以上は資料からの受け売りだが、申し上げるまでも

なく、私自身は一度も行った事がない。にも拘わらず、

この名にし負う都は私にとって、欧州のどの地にも増し

て馴染み深い街である。いや、むしろこう申し上げた方

が妥当だろうか、斎藤良夫という画家と、トレドという

街は、私の中では分かち難く結びついている、よって斎

藤良夫と聞いて瞬時に立ち上がるイメージは、あのトレ

ドの街景に他ならないのだと。詳しくはトレドのみに非

ず、シグエンサ・フェンデトードスといった周縁の誰知

らぬ村落をも含めて、私にとっての斎藤さんの原点は、

それらスペイン中央部に位置する、茫々たる荒野の香り

を孕んだ集落に在る。そしておそらくはこの地こそが、

画家自身にとっても、帰るべき魂の故郷なのだと思う。

 

 四半世紀ほど前の話になる。当時勤務していた画廊で

「斎藤良夫展」の企画が持ち上がり、私が担当する運び

となった。むろんそれ以前にも、アトリエに作品を取り

に行ったり、或いは返却に伺ったりと、使い走りのよう

な事は始終やっていたのだが、個展の企画を任されたの

は初めてである。この時は、どうせなら宣伝も大々的に

打とうという事になり、新聞にB4版のチラシを折り込

んで、市内に10数万部を配布する計画を立てた。つい

ては掲載用の新作を……という訳で、早速東金のアトリ

エに伺わせて頂き、無事作品を戴く事が出来たのだが、

この時の新作がトレドの街景であった。それまでにも、

南フランスやイタリアの風景は目にしていたが、トレド

を描いた作品は初めてである。横位置の画面一杯に、歳

月の深々と刻印されたような石壁が描かれ、手前の路地

も上方に覗く空も、全てが得も言われぬ夕陽に染まって

いる。郷愁と言おうか、孤愁と言おうか、何か雄大な詩

情をはらみつつ、それは豊饒なる沈黙の中から、ある強

靭な光輝を放って尽きなかった。この日は画廊に作品を

持ち帰って、即刻撮影に取り掛かったのだが、ファイン

ダーの中に悠然と浮かぶ風景を見ながら、私はただただ

感動していた。常日頃「感動」というような手垢の付い

た言葉は、極力使わないようにしているのだが、その折

りの心境をあらためて顧みた時に、やはりそう申し上げ

る以外にない。この時の写真は半月程のちに、予定通り

新聞の折込広告にデカデカと掲載され、それを見て初日

に駆け付けてくれたご夫妻が、真っ先にその作品を買い

上げてくれた。更に数日を経て、ご主人が会社の部下を

引き連れて再度来店され、何と会社でも作品をご購入頂

くという、予想外のおまけまで付いたのだったが、私の

中ではこの時の体験が「斎藤良夫」という画家の真価に

触れた、紛れもない原点となっている。今も手元に一枚

だけ、当時の折込チラシが残っていて、時折それを見る

毎に、上記のようなあれこれのドラマが思い出される。

「トレド」20号、あれから長い時が経ったけれど、現

在においても私にとって、それは忘れ難き故郷である。

 

 以降トレドを初めとして、前述したシグエンサ・フェ

ンデトードス等々、中部イベリア高原に点在する見果て

ぬ集落を、私は絵の中にどれほど見て来た事だろう。斎

藤さんの手によって、繰り返し繰り返し描かれるそれら

の街々は、その度にまた新たな表情を見せつつも、常に

濃厚な大地の香りと、遥かな天涯の郷愁を湛えていた。  

 2002年秋に「斎藤良夫展」で画廊を開けて以来、

今期で斎藤さんの個展は24回を数えるが、開設より5

年ほどを経て10回展の区切りを過ぎた頃から、その年

に渡欧して取材した地域を描き下ろす、地域別のシリー

ズへとコンセプトを切り換える運びとなった。よって斎

藤さんは毎年欠かさずに渡欧し、その際に訪れた地域に

よって、ヴェネツィア・アンダルシア・トスカーナ・マ

ジョルカ・プロヴァンス・パリと云うように、テーマも

年毎に移り変わり、その度に変化に富んだ新たな側面を

見せながら、画家は絶えざる挑戦の旅路を、描き止めて

行った。よってトレド周辺の地域は、10数年に亘って

描かれる機会が無かったので、昨年は実に久々の再訪と

なった訳だ、長い時を経て再び帰り着いた古都を、画家

はどのように描くのだろうか、いやが上にも期待は高ま

るのである。先日お伺いした折りには「いや~、もう歳

ですね。なかなか捗らなくて……」とぼやいておられた

が、まあいつもの事でもあるし、あまり同情はしないの

だ。ただ、いつもと違ったのは、ほとんど足を踏み入れ

た事のない仕事場へ「見てみますか?」と、ご案内に与

った事である。アトリエでは、絵具だらけのイーゼルに

描きかけのカンヴァスが無造作に置かれ、その周囲にも

大小の未完成作品が、所狭しと並べられていた。まだ輪

郭だけの段階も多かったが、あの懐かしいトレドの街並

が、茫漠とその姿を現しつつある。「あと一ヶ月もない

んですよね。間に合うかなあ……」「間に合わなくても

いいですよ、どうかご無理なく」と申し上げて来たが、

斎藤さんの事だ、搬入でお伺いする日には、また絵具だ

らけの作業着で出て来て「今朝も暗い内から描いてまし

てね、何とか間に合いましたよ」と、爽やかな笑顔でお

っしゃるだろう。斎藤良夫84歳、未だ奮闘中である。

 

「街の周囲は、荒れ果てた原野なんです。その中に、小

さな集落がポツンと在りましてね」、顧みればそんなお

話を、何度画家からお聞きした事だろう。この場でも斎

藤さんの描く村落を、度々そのように紹介させて頂いた

のだが、実のところ私自身は、その原野の風景を見た事

がない。前頁でも「茫々たる荒野の香りを孕んだ集落」

云々と、既知の場所のような形容をしているけれど、当

の「茫々たる荒野」と云うものを、私は知らないのだ。

これではいけない──と、猛省している内に、そうだ、

この際だから、今回の案内状に掲載した「シグエンサ」

への道を辿ってみようと、また無益な事を思い立った。

むろん実際には行けないのだから、一昨年辺りパリの街

路を探索した先例に倣い、今回もグーグルマップの助け

を借りようと云う魂胆である。ミシュランの地図による

と、シグエンサはマドリードとサラゴザの中程に位置す

る山間の集落で、距離にしてマドリードから100km

ほど、まずは街道を北東へと走れば良い。さあ、画面を

ストリートビューに切り換えて、荒野の街へ旅立とう。

 

 マドリードを出ると、グアダラハラの台地を貫く街道

が彼方へと伸びる。この一帯は、かつてラ・マンチャと

呼ばれた広大な平原で、時代によって様々な帝国が覇権

を争った、長い複雑な歴史に彩られているが、現在はた

だ平坦な草原が広がるばかりだ。その真っ只中を横断す

るノルデステ自動車道を、どこまでも飽きるほどに進み

ゆくと、その内にアルマドロネスと云う地区に入り、程

なく見えて来た小さなインターを左方へ分かれれば、そ

こからがシグエンサへの道となる。分岐して暫くはうね

うねとした登り坂が続き、やがて丘陵を超えると、眼下

に広漠たる原野が豁然と開けた。無数の灌木が斑紋のよ

うに大地を覆い、乾燥した叢草が果てしない草原を形成

し、至る所に赤茶けた地面が顔を覗かせる。見渡す限り

の茫漠とした原野、それが彼方まで渺々と広がり、地平

線で遥かな天際と接している。時折、車窓の片側に切り

通しの崖が現われ、バーントシェンナの荒々しい岩肌を

曝け出す。道はなだらかなアップダウンを繰り返し、限

りなく延々と続く荒野は、場所によって灌木も叢草も排

して、原初のむき出しの地肌を見せる。それを荒原と言

うのか、もしくは砂漠と言っても良いのか、地貌の分類

は知らないが、いずれにしろ荒涼落莫とした風景だ。し

かしながらそれは、寂寥・寂漠と云ったような情緒を一

切寄せ付けない。もっと人為を離れた、些細な人心など

は遠く及ばない、超えて大きな風景とでも言うべきか、

やはりこの地は遥かユーラシアの果て、極東の島国とは

異なる「大陸」なのである。荒れ果てた原野の上、天空

を覆う雲は低い。垂れ込める暗雲の下を、時として道端

に殺伐と佇む廃墟を見やりながら、細い車道は緩やかな

カーブを描きつつ、果てるともなく先へと伸びてゆく。

 私は以前、斎藤さんの描く「空」について、このよう

に記した──それは多くは描かれず、建物の狭間から僅

かに覗く。しかしながらその垣間見る天空は、押し並べ

て悠久の詩情に染まっている。それが天涯の荒野であろ

うと、都邑の雑踏であろうと、上方に覗く空はいつも遥

かな趣を湛える。だからこそ、その下で営まれる無数の

人生は、限りない愛しさを帯びるのだろう──このよう

に書きつつも、そのスケールが何処から来るものかは、

分からないままであった。しかし、何処までも広がる荒

原を走り続ける内に、不意にその所以が腑に落ちたよう

に思えた。たぶん斎藤さんの空は、その下に広がる荒野

を映している。広漠たる原野が湛える悠遠の孤愁が、無

窮の天空へと反映された時、空はあの雄大な郷愁に染ま

るのだ。斎藤さんの描く空は、荒野をいだく空である。

 ふと気が付くと遥かな前方に、街を斜面に頂く小高い

丘が見えて来た。頂には厳めしい城塞が屹立し、その下

に屋根が幾重にも連なって中腹を覆っている。やがて丘

の麓に到った道を、城へと右折して緩やかな坂道を登れ

ば、そこが目指すシグエンサの街である。長い星霜を刻

んだ煉瓦の壁が奥へ奥へと連なり、路地から振り仰ぐ屋

根の上には教会の尖塔が覗く。古い街であった。厳しい

荒野の中に微かな明かりを灯すかの如く、小さな集落で

あった。ここを斎藤さんは幾度も訪ねて、あの深い情趣

を湛えた、数々の秀作を生み出したのだ。さて、私も街

の奥へと分け入ろう、追憶の路地を歩む画家を探して。

 

                     (20.09.20)