ジェルソミーナ (2021)  混成技法 / 20F
ジェルソミーナ (2021)  混成技法 / 20F

画廊通信 Vol.215             新樹の歌

 

 

 太宰治に「新樹の言葉」と云う小篇がある。或る若い兄妹の姿をみずみずしく描いた秀作だが、今回はそれに倣って上記のタイトルにした。それしかないと思ったのだ。そんな訳で、以下は或る若いご夫妻のお話である。

 

 4年ほど前の残暑の頃、或る若いカップルが見えられた。どう見ても20代、当店の来客としては珍しいほどに若い。私の場合近視の進んだ故か、若者は全て学生に見えてしまうと云う症状にあるため、この時もつい「学生さんですか?」と訊ねてしまったのだが、意外にも結婚して一年になる社会人だと言う。平成の生まれらしいから、私の娘よりも更に5~6歳ほど若い計算だ。話を

聞くと、共に千葉大学で文化人類学を専攻した英才であ

る。私など学が無いもので、それだけで「恐れ入りまし

た」となるのだが、このご夫妻それだけの学歴を誇りな

がら、有名企業に就職するでもなし、手堅い公務に従事

するでもなし、どちらかと言うと皆の歩むエリートの王

道を、綺麗に避けている様子である。もちろん、共に仕

事には就いているが、あくまでもそれは当面の生活のた

めであり、やりたい事は別にあるのです、と断固たる意

志のようだ。「今は都内のギャラリーを回って、主に同

世代の作家を見ています。その上で、買える範囲の作品

をコレクションしているのですが、実は最近また絵を買

ってしまって、その額装を頼みに額屋さんを訪ねたとこ

ろ、ちょうどこの画廊の案内状が置いてあったんです。

そこに載っていた絵が素晴らしかったので、ぜひ実物を

見たいと思って来ました」、目を輝かせながらそんな経

緯を語るお二人の傍らで、顧みればその年齢の時分、私

は一体何をしていただろうと、自らを振り返らざるを得

なかった。こうして、いっぱしに画廊主のような顔はし

ているけれど、実は30を過ぎるまで画廊なんて足を踏

み入れた事もなかったし、そもそも画廊と云う存在さえ

関心の範疇に無かった、愚かなものであったと思う。さ

ておき、その額縁店に置いてあった案内状と云うのが、

他でもない「榎並和春展」の案内であった。「これが本

物ですか! 印刷も良かったけど、実物はもっと良い」

と、お二人は感嘆しつつ店内を回っていたが、やがてご

主人、或る作品の前で動かなくなった。「つまみな」と

題されたサムホールで、若菜を摘む女性の絵である。娘

さんの年齢には見えないから、たぶん小母さんなのだろ

う、片手に籠を抱え、深く腰を折って菜を摘んでいる。

しげしげと見入るご主人の脇で、奥さまのにこやかに言

うには「その内に好きな作家を集めて、千葉でイベント

を開催したい。いずれはギャラリーをやりたいと思って

るんです」、その言葉を聞いて、私は一瞬耳を疑った。

即座に「いけない」と思った。カフェをやりたい、雑貨

店をやりたい、それなら分かる、実現するといいですね

と、私は爽やかに首肯する、しかし画廊はいけない、不

健全である、勝算なき博打、負のループ、蟻地獄だ、若

い君達が関わってはならない。と云う訳で、私は明快に

「やめた方がいいですよ」と申し上げ、何故やめた方が

いいのかを説明した。しかしこのご夫妻、感じが良い割

にはなかなかに一徹で、人の誠心の忠言に、てんで耳を

貸そうとしない。こうなっては已む無し、そこで私は、

最も率直にして分かり易い警告を直言した、即ち「私の

ようになっちゃいますよ」と。この「私のように」と云

うのが、具体的にどのような状態を指すのかは、ここで

説いても墓穴を掘るだけなので、委細は省略させて頂く

が、二人は下手な冗談とでも思ったのか、朗らかに笑っ

て取り合わない。ここでは仮にIさんと呼ばせて頂くと

して、これがIさん夫妻との初めての出会いであった。

 

 翌日、再度Iさんが夫妻で見えられた。ご主人がどう

しても昨日の「つまみな」を忘れられず、また見に来て

しまったとの由、「絵は色々と見て来ましたが、一種の

遊びと思ってました。絵を見てこんな気持ちになったの

は初めてです。遊びとは全然違う。この絵が家にあれば

心が安定して、生きてゆく励みになると思いました」、

そんな真摯の言葉を聞いて、却って私の方が心打たれる

思いである。一方の奥さまは、他に好きな作品がある様

子だったが、しばしの話し合いの末に「あなたの後悔の

ないようにすれば? 私もずっと見ていたらきっと好き

になると思う」、こうして「つまみな」は、Iさん宅へ

と貰われてゆく事になったのだが、以降Iさん夫妻は、

足繁く当店に通ってくれるようになった。二人揃っての

来店が多かったが、片方が仕事の時は一人の時もあり、

休日は当然として、仕事の帰りの道すがらや、時には朝

早く、出勤の前に立ち寄ってくれる事もあって、今まで

にない清新の華やぎが、店内をしなやかに吹き抜けるよ

うであった。のみならず、他作家の作品まで時折買って

もらう事もあって、年齢としては自分の半分程度の若者

に、随分と出費をさせる成り行きとなってしまい、その

度にこんな事で良いのかと、罪深い気持ちを覚えたもの

だ。さて、そうこうしている内に年が明け、いつか春も

盛りとなり、また「榎並和春展」の時節がやって来た。

 

 作家来廊日、駆けつけてくれた二人を画家に紹介し、

ギャラリーの話をさせてもらったところ、榎並さん間髪

を容れず「それはやめた方がいいと思うけどなあ」、I

さん夫妻「そうですかあ…」と聞くふりはしていたが、

内心てんで聞いちゃいない事ぐらいは、一年も付き合っ

ていれば分かるのだ。私自身、無謀な画廊開設を何度止

めた事か、しかもそれだけでは効果が無いので、作家来

廊日に誘っては、画廊と云うものを最も熟知しているの

は画家だから、彼らに忌憚なき意見を求め、結果ことご

とく皆が反対してくれたのだが、それでも諦める素振り

さえない。こうなって来ると、二人の尊敬する榎並さん

でも無理だろうと思ってはいたのだが、やはり予想は正

しかったようである。この時は、前年のサムホールより

も大幅にアップして、何と8号の作品を買い求めてくれ

た。当然大きさがアップすれば、比例して価格も大幅に

アップする訳だが、今度は奥さまの方が「どうしても欲

しい」と言い張って、ご主人が譲歩する成り行きとなっ

たようだ。この奥さま、ご主人に輪を掛けたつわものな

のである。以降も、Iさん夫妻には多大な散財をさせて

しまい、私はいずれ、若者に高額の絵を売りつける非道

の画商として、本邦の美術界に名を刻む事になるやも知

れぬ。それにしても、一枚の絵に向かう二人の真摯な態

度、そして絵画に捧げる無償の愛と、純粋にして献身的

なその情熱には、いつも頭の下がる思いがした。私はこ

のような仕事をしている関係上、自分を相当に絵の好き

な人間と思いなして来たが、この二人には潔く兜を脱ご

う、私の負けである、全く素直にそう思えたのだった。

 

「西千葉駅の北口側に、良い物件を見つけたので、そこ

に決めようと思います」、そんな報告を受けたのは、そ

れからちょうど一年後の事である。その間二人は、仕事

の合間を見つけては頻繁に都内のギャラリーを訪ね、そ

の中から将来の取り扱い作家を探し出す等々、着々と開

廊の準備を重ねていた。時によっては、遠隔の京都辺り

まで足を延ばし、注目する作家の展示を見た後、その日

の内にとんぼ返りをすると云う離れ技を、いとも楽しげ

に決行する事もあった。そんな二人の軽やかなフットワ

ークを傍で見ながら、遅かれ早かれそんな日が来るだろ

うと予測はしていたのだが、あまりにも早く、その日は

到来したようである。二人の希望に溢れた話を聞きなが

ら、私はつい自分が開廊した頃を顧みて、その差違に呆

然とする思いだった。私なんざ、この地に画廊を出した

当初は、取り扱い作家は一人しか居なかったのだ。いい

加減なものであった。対してこの二人、実に手堅い、事

業とはこうでなくちゃならぬ。2ヶ月後、遂にIさんは

賃貸契約を取り決め、画廊スペースを確保した。ただ、

オープニングを依頼した作家の事情もあって、オープン

は翌秋になると言う。それまでこのスペースをどう活か

すかが、当面の課題との話だったが、とにかくもIさん

夫妻は、開設実現へ向けての大きな一歩を踏み出した。

意志と勇気だけを胸に、ルビコン川を渡ったのである。

 

 既に分かっている事を描いても面白くない。それより

も、何故それに引っかかりを感じたのか、その想いの中

味を知りたい。そして、それを選んだ自分を知りたいと

思う──かつて榎並さんは、このように記されていた。

そして今、その想いの中身を、それを選んだ自分を、画

家は知り得ただろうか。おそらく何かを知り得た瞬間、

それは画家にとって「既に分かっている事」となり、も

はや興味の対象とはならない。何故画家はその地点に安

住しないのか、その先には何も無いからだ。十全なる答

えを得たその時、人は道が閉ざされた事を知る。常に新

たな地平を、見晴るかす彼方に見る者は、長い道程の果

てに知り得た何かを、再び新たな問いへと変えて、また

果てのない一歩を踏み出す。きっと榎並さんはそのよう

に歩んで来たのだろうし、現に今この時も、そのように

歩んでいるのだろう。問う事、それはある意味、答える

事よりも困難である。答えは問いから導き出せるが、問

いは虚無から探し出さねばならない。榎並さん特有の画

法、つまりは幾重にも絵具を塗り重ね、掛け流し、垂ら

し込み、消し潰し、時には破壊を加え、再び描き始める

と云う行為、それは画家にとって、正に何かを問い続け

る作業に他ならず、それは同時に「描く」と云う行為そ

のものでもあるのだろう。やがて時が来て、いつの間に

天啓の如く「何か」が画面に降り立つ。それは往々に人

物の形を取り、或る時は修道士となり、或る時は旅芸人

となって、茫洋とその姿を現わす、「答え」としてでは

ない、常に「問いかける」者達として。彼らは私達見る

者の中に、様々な心象をもたらすだろう。時にその心象

は、私達の培って来た観念、手垢の付いた感性を揺さぶ

り、新たな生への扉を開く。それは作家の魂が、見る者

の心と共振する瞬間であり、言うなれば作家の発した問

いから、見る者が或る答えを引き出す時だ、所詮答えと

は、見る者の心奥にこそ潜むものだろうから。こうして

榎並さんの発した問いから、Iさん夫妻は確かな答えを

見出した、そしてそれは再び新たな問いとなって、多く

の人の心を揺さぶるだろう。美の系譜に終わりはない、

問い続ける画家と、そこに何かを見出す者の在る限り。

 

 昨秋、一年間のプレ・オープン(日曜だけの内覧)を

経て、Iさん夫妻は念願のギャラリーを開いた。「企画

画廊くじらのほね」、商売敵の出現である。今回の榎並

和春展は、一時休戦しての合同企画となり、私の所では

通常の混成技法によるタブロー、くじらのほねでは水彩

によるドローイングを展示する。徒歩でほんの5分程だ

から、ぜひドローイング作品も、併せてご高覧頂ければ

と思う。30年前の私のような爽やかな青年と、麗しい

才媛の奥さまが、にこやかに出迎えてくれる筈である。

 先日Iさんから一枚のCDを戴いた。奥さまの作詞作

曲した歌を、二人で演奏したものだ。多才なのである。

その中に「つまみな」と云う曲があった。どこか懐かし

い素朴な小曲で、この曲だけ歌詞のないヴォカリーズで

ある。全ての始まりとなった一枚の絵には、清らかな沈

黙こそが相応しい、そんな声が聞こえたように思えた。

 

                     (21.04.15)