祈り (2021) アクリル / WSM
祈り (2021) アクリル / WSM

画廊通信 Vol.227             肖像の魅惑

 

 

 時に憂いに沈む眼差しで、時に何処か放心したような瞳で、或いはうつむいて閉じた瞼の中で、少女達はそれぞれに何かを見据えている。この静かなたたずまいを見せる女性像の、一見は押し並べて柔らかな表情を浮かべる顔容が、実は多様な情感を秘めたその瞳に収斂される事を知る時、見る者はいつしかその視線の行先を想う。

その不可思議な眼差しの先に在るもの、止められた時の狭間に彼女達の見据える何か、そしてその何かが彼女達の心奥にもたらすであろうもの、そんな直接には描かれずともそこはかとなく喚起される連想が、見る者の中に豊かなファンタジーを醸成する。以前に、彫刻家・舟越桂の版画展を開催した事があって、その折にこの通信に記した文中に、上記の人物像に共通する一節が有った事を思い出したので、以下にその部分を抜粋してみたい。

 

 この一度目にしたら忘れられないような彫像が、他の

 多々ある彫刻と極めて異質な趣を見せる一因は、他で

 も無いその「眼差し」にあるのだと思う。言うまでも

 ない事だが、彫刻家の作品を鑑賞するという事は、彫

 刻そのもののフォルムを見る事に他ならない。これは

 どんな彫刻においても、通常なら至極当然・自明の理

 だ。むろん舟越桂の場合にしても、誰であれまずは彫

 刻そのもののフォルムを見る事になるのだから、そこ

 までは通常と何ら変わりはないのだが、しかしその不

 思議なリアリティーを漂わす人物像と時空を同じくす

 る内に、いつしか「作品のフォルムを見る」というレ

 ベルを超えて、私達は別の次元へと想いを到らせてい

 る。彫像の今見ているもの、その眼差しの先にある何

 か、知らず知らずの内に彫像の前に立つ人は、彼の茫

 漠と見つめるその「何か」を想う。それは初め、対峙

 する私達の遥か後方、何処か遠い時空に在るように思

 える。しかし、作品よりしんしんと響き到る、言葉に

 ならない微細な声に耳を傾ける内に、実はその時空と

 は他でも無い、作品の前に立つ私達の中にこそ在るの

 ではないか、いつしかそんなあらぬ思いに捕われる。

 きっとその眼差しは、私達の心の遥かな深みを見てい

 るのだ。作品を見る私は、作品に見られている……。

 

 以上はあくまでも彫刻について記した文章だが、これ

をそのまま今回の人物像に当て嵌めても、何の齟齬もあ

るまいと思う。試みにどの作品でもいい、しばしの間、

彼女達に目を合わせてみると良い。するといつしか、却

ってこちらが見られているような錯覚に陥るのは、私だ

けではないだろう。いや、つい「錯覚」と言ってしまっ

たが、これはそんな幻覚現象とは異なるものかも知れな

い、もしや私を見る彼女の眼が、いつか私自身の眼と重

なるのだとしたら。ならば彼女の眼は、即ち私の眼でも

あるのだとしたら。すると今、目前にたたずむこの人物

は、私を見るもう一人の私とも言えるのだろうか……、

こんな想いが脳裏にあれこれと浮かんで尽きないのは、

やはりこの不思議な魅惑を湛える女性像が、静かな容相

をまといながらも、強度の磁力を放つが故だろう。作者

は増田泰子、当店では初めての登場となる画家である。

 

 増田さんとの出会いは、16年ほど前にさかのぼる。

もちろん当時から個展活動はされていたのだが、私にと

って増田さんは、まずは作品を購入してくれる良きお客

様であった。事の詳細は省くとしても、今までどの位お

買い上げ頂いたかは、にわかには思い出せない程だ。こ

んな言い方をすると、一般にはよほど裕福な奥様かと思

われがちだが、ここではそれを頭から否定するよりは、

画廊に寄って頂いた機会の多くが、訪問介護のお仕事の

途中であった事を記すに留めたい。だから画廊の前には

いつも、訪問家庭を回るための自転車が停めてあった。

常々思うのだが「絵を買う」という行為は、画家が身を

削って描き上げたその成果を、こちらも身を削って評価

する事に他ならない。「鑑賞」はたやすいし、それに伴

う褒め言葉もたやすい。何故ならそれらは常に第三者、

つまりは傍観者としての安全圏から為され、よって何ら

かの痛みを負うような危険は、その人には一切及ばない

からだ。しかし「買う」即ち「身銭を切る」という行為

は、文字通り「身を切る」事に他ならない。それは最早

「鑑賞」というような次元を超えて、一枚の絵を、延い

ては一人の作家を、危険を顧みず自らの生に取り込む事

に等しい。「◯◯が好き」とは誰もが言う台詞だが、口

だけではなく、それを行動で表す人は極めて少ないにも

拘らず、増田さんはそのような困難な行為を、正に身を

以て体現されていた。後年増田さんは、長年に亘って蒐

集したコレクションを公開するために、故郷の上田市に

「心の花美術館」と名付けた私設ミュージアムを設立す

る事になる。紙面の関係もあって、ここでは「画家」と

しての増田さんにテーマを絞りたいので、蒐集家として

の側面は多くを語れないが、関心のある方は美術館のホ

ームページをご覧頂ければと思う。そこで開催された企

画展の記録も掲載されているので、増田さんの熱意溢れ

るもう一つの活動を知る事が出来るだろう。それに関連

して一言添えておきたいのは、それらの活動が作家とし

ての制作活動と、どう結びついて来たのかという事だ。

これは、歴史に残る画家の多くが、他作家の作品を買い

求めている事実にも繋がる事なのだが、それらの事例は

或る動かし難い法則を、明瞭に物語っている。つまりは

「買うほどに」絵が好きな作家こそが、人を「買うほど

に」好きにさせる絵を、描く事が出来るという法則を。

好きこそ物の上手なれ、ここには何の理屈も要らない。

 

 顧みれば知り合った当初から、増田さんは個展活動を

積極的に展開されていた。諸処から展示会のオファーが

有るようで、時には銀座のギャラリーだったり、時には

地方の展示施設だったりと、多忙を極める活動を続けら

れていたが、或る時分に目出たくご懐妊されて、以降は

画廊に見える毎に、お腹が大きくなってゆく模様であっ

た。そんなこんなで年が明けた頃、傍目にもそれが限界

と思えるようなお腹で画廊に見えられ、いつもと変わら

ぬ口調で「展示会が迫ってしまって、今朝も描いてたん

です」云々といった話をされているので、思わず「ご出

産の方は大丈夫なんですか?」とお聞ききしたところ、

「もう、いつ産まれてもおかしくないんですけどね」と

事も無げなご様子、私は唸るほど感心した。のみならず

後日のお話では、無事に出産を終えて数日後には、脇に

小さな娘さんを寝かせて、制作を再開したのだと言う。

私はそんな増田さんの姿に、画家の生き様を有り有りと

見た気がした。そして数多の画家の中から、このような

「覚悟」を持った人だけが、生き残ってゆくのだと思っ

た。世に自称画家は数多いが、同時に彼等は、絵を「描

けない」理由も、数多く持っている。曰く「仕事が忙し

い」「結婚した」「子供が出来た」「画室が無い」等々、

しかしながら如何なる状況にあろうと、描く人は描くの

だ。以前、美術教師をしているという方が来店されて、

仕事に時間を取られてしまい、今は描きたくても描けな

いのだと言う。いずれ退職したらアトリエを作って、制

作に専念するつもりだと話されていたが、私はそんな夢

を傍で聞きながら、ああ、この人は一生絵は描けないだ

ろう、と思った。本当に絵を描きたいのなら、描けない

理由を探す前に、描き続けるための方策を何としても探

し出すだろう、それが「覚悟」というものではないか。

 

 画業と個展活動、美術館の運営、介護のお仕事、それ

に育児とご両親の介護も加わって、千葉と長野を頻繁に

往復しながら、見ているとハラハラするような多忙の中

を、増田さんはめげずに泳ぎ抜いて来た。案の定、倒れ

て救急車に運ばれたり、そのまま入院になってしまった

りと、そんな危機も幾度か有ったようで、近年はさすが

に美術館等の仕事は減らして、肝心の画業に専心されて

いる模様だ。そんな経緯の中で、今回のような女性像に

モチーフを絞られたのは、凡そ3年ほど前からである。

そしてこの特異な人物表現において、増田泰子という画

家のスタイルは定まったように思える。ここでは獲得の

非常に困難なあの「オリジナリティー」が、誰のもので

もない表現として息づく様を、見る事が出来るだろう。

 翻って現在、女性像は美術シーンに溢れている。その

多くはいわゆる「美人画」で、長らく根強い人気を保ち

続けているが、概してそれらは「写実系」と「アニメ系」

に大別されるようだ。写実系の眼目が、写真と見紛うよ

うな描画を生み出すその技術にあるのに対して、アニメ

系はより感情表現を重視する傾向に見えるが、ここでは

その「感情表現」について、少々掘り下げてみたい。ま

ず問題となるのは、それが誰の感情表現であるかだ。仔

細には、描かれた人物の感情表現なのか、或いはそれを

描いた作家自身の感情表現なのか、さてどちらだろうと

いう問題だが、特に若手作家の表現から次第に見えて来

る事は、彼等にとってはどちらにせよ同じ表現であると

いう事実だ。つまり、描かれた人物が作家の分身(昨今

はアバターと言うらしいが)であるとしたら、両者の差

異は無くなるのである。ならば作家はその感情表現を通

して、何を見せたいのだろう。私の哀しみ、私の痛み、

私の憂い、私の陶酔……、ここには消し難く「私」が付

きまとう。逆の言い方をすれば、哀しみに暮れる私、傷

ついている私、憂いに沈む私、私が好きな私……、多く

の絵が「私を見て」と言っている。これは、インスタグ

ラム等々のメディアに顕著な傾向であり、考えて見れば

今ほど自己露出の欲求が安易に肯定された時代もない。

よって、自己露出を自己表現と履き違える作家が、今ほ

ど多くなった時代もないと言えるだろう。たぶん古今東

西「私を見て」と言った時の「私」が、真の自己であっ

たためしがない、多かれ少なかれ、人は自分を飾るもの

だから。逆説的な言い方になるが、ひたすら純粋な表現

に徹した時、自己は我知らず表現に溶け込んで、むしろ

狭隘なパーソナリティーは消滅に向かうのではないか。

謂わばこの「無私」とも言える状態に達してなお、そこ

から否応なく滲み出すものが有るとすれば、それが当人

の意識さえ及ばない事もあるだろう、真の「自己」と言

えるのではないかと思う。こうして自己が「表現」とし

て昇華されて初めて、それは多くの他者にも訴え得る、

ある種の普遍性を持つ。この普遍性を持ち得ない限り、

それは卑小な自己露出の域を出ないだろう。増田さんの

描く女性像と、巷に氾濫する美人画との、決定的な違い

もそこにある。軽佻な感情表現を抑えた、その見るほど

に謎めくような女性像の前で、人はそこからなおしんし

んと滲み出す、或る掛け替えのない精神を知るだろう。

 

 先述の舟越桂は、こんな発言も残している──本当に

ある人物を描き切れば、個人を描いた筈ではあっても、

全ての人間についての考え方がそこに現れるだろう──

即ち、個人という特殊が真に究められれば、万人という

普遍に達するだろう、と彫刻家は言うのだが、これもそ

のまま増田さんの人物表現に、符合する言葉だと思う。

そこはかとなく漂うロマネスクの香りの中に、いつの時

代とも何処の異郷とも知れない、無国籍的な少女達がた

たずむ。その不可思議な眼差しにいつかしら見入る時、

閉ざされていた世界への扉は、音もなく開くのである。

 

                     (22.03.18)