路地裏の猫 (2022)      Acryl / SM
路地裏の猫 (2022)      Acryl / SM

画廊通信 Vol.232         月夜のセレナータ

 

 

 H・ウィルダーノと云う小説家を知る人は、今やほとんど居ないだろう。私自身、学生の時分に都内へ出た折りに、たまたま迷い込んだ路地裏の小さな古本屋で、百数十円程度で手に入れた文庫本が、その稀有な作家との出会いだったが、それから今に到るまで幾多の書店を物色したにも拘わらず、ウィルダーノと云う作家名とは一度も再会する事がなかった。それもその筈、解説によるとウィルダーノは、生涯にたった一冊の作品集が刊行されたきりで、よって一握りの理解者を除いては、ほとんど世に知られる事もなく、貧困と不遇の内に短い一生を閉じたのだと言う。20世紀初頭、文学の変革期に、時勢とは全く関わりのない、酒にまみれた懶惰と無頼の生涯を送った人物らしいが、その手になる作品は一様に奇

妙な雰囲気を纏いつつも、何処か澄んだ静謐な情趣を湛

えるものだった。その一冊に、私はゆくりなくも出会っ

てしまった訳だが、以降如何なる音沙汰もないと云う事

は、たぶん出版社が商売上の理由から「再版に値せず」

と云う判定を下し、時と共にいつしか忘れ去られたのだ

ろう。「月に憑かれた街で」と云うタイトルの角川文庫

版で、200ページに満たない程の短篇集だったが、思

えばそれから何度この薄い本を読み返した事か。カヴァ

ーのグラシン紙は破れて疾うに無いが、今もその書は日

に焼けた背表紙を、本棚の隅にひっそりと並べている。

 

 この本に収録された15の短編は、いずれも「レヴィ

ータ・ディ・ヴァレージオ」と云う架空の街が舞台で、

これはウィルダーノが生涯を送った「チヴィタ・ディ・

バニョレージョ」と云う特殊な集落をモデルにしたもの

だ。イタリア中部、ボルセーナ湖の東方に広がる丘陵地

帯を進むと、突如目前に、急峻な断崖の頂に石造りの集

落を乗せた、息を呑むような光景が現れる。標高にして

450m程、断崖を登る300mにも及ぶ架橋を渡った

その先が、天空の街チヴィタ・ディ・バニョレージョで

ある。約2500年前にエトルリア人によって築かれた

と言われ、中世にはフランシスコ会派の修道院が建立さ

れて、長らく宗教上の要地でもあった。しかし現在は、

その痕跡すら残っていない。それはこの土地に運命付け

られた、或る悲劇的な特性に因るもので、それ故にこの

街は「死にゆく街」と云う不穏な呼称を冠される事にな

った訳だが、それについて少々話しておきたいと思う。

 そもそもチヴィタを擁する丘陵地一帯は、125万年

前の火山活動で作られた地形で、そのため凝灰岩の地層

で厚く覆われている。この凝灰岩層が、風雨や河川の侵

食に弱い地質である事に加えて、火山地帯には付き物の

地震も頻発する事から、この一帯は古今に亘って、常に

地滑りや崖崩れが頻発する経緯となった。チヴィタの街

もその定めには抗えず、まずは1450年、修道院の在

った北側の地区一帯が崩落し、続いて東南の集落一帯が

丸ごと地の底へと消えた。加えて17~8世紀には、大

規模な地震が頻繁に発生した事から、多くの犠牲者を伴

う崩壊が続発する。特に1764年の大震災時には、街

に入る尾根伝いの道や付近の村落までもが崩れ落ち、正

に陸の孤島となって現在に到っている。結果として幾星

霜を経る間に、街の面積はかつての3分の1にまで縮小

し、現在は最長部でも200mに満たない。人口も中世

には3000人を数えたと記録にあるが、現在は10人

を割ってしまったと云うその数値から推し量っても、崩

壊の過程が如何に凄絶なものであったかが分かる。むろ

ん現在も侵食は止まらないのだから、悲劇の街は唯ひた

すらに、来るべき死へと歩まざるを得ない。いずれこの

街には、全てが崩れ落ちて壊滅する日が来るのである。

 チヴィタの東端には小さな庭園が在って、その中を通

る小径の端には、狭い下り階段が続いている。それは7

段ほどを降りた所で突如切れて、その下には底知れない

断崖が奈落へと落ちているのだが、かつてこの階段は、

或る女子修道会の施設へと到る通路であった。それが数

百年前の震災で崩落して、階段のみが数段残されたもの

を、街の人々が地の底へ消えた修道女達を偲んで、長ら

く当時のままに放置し続けたのだと言う。ただ、近年観

光客が増えるに連れて、その危険性が指摘されるように

なった事から、20年ほど前に安全柵が設置されて、階

段は塞がれる経緯になった、と街史には記されている。

 

 説明が長くなった。自らの住んだこのチヴィタ・ディ

・バニョレージョをモデルに、ウィルダーノがその特異

な想像力で造り上げたのが、前述した架空の街「レヴィ

ータ・ディ・ヴァレージオ」である。ウィルダーノはこ

の街を、実際の標高を遥かに拡大して、ボルセーナ湖畔

に屹立する3000mを超える峻嶺上に設定した。その

街を舞台に、共通する限られた登場人物を(何せ狭い街

の話なので)、各話毎に主人公を替えて用いながら、日

常の些細な出来事を題材に、ほとんど展開のない文脈で

散文詩のように綴るのが、ウィルダーノ独自の作風なの

だけれど、何と言ってもまず魅了されるのが、舞台とな

っている街の描写なのである。せっかくだから、その一

例を抜粋してみよう。以下は第一話「月に酔う」から。

 

 レヴィータの街は、下界から隔絶した雲の上にある。

 よって太陽が近いため、昼は強烈な陽光が降り注ぐ。

 そのため街の人々は、長い歳月を経る間に、容赦のな

 い太陽に支配される昼間よりは、夜の活動を主とする

 ようになった。住人にとって何よりも助けとなったの

 は、月が太陽よりも更に近いため、巨大な形相となっ

 て空に昇るので、夜が常に仄明るい事である。それは

 満月の頃には、室内でも字が読めるほどの明るさで、

 街並みの石壁に到っては、自ら青白い燐光を放つかの

 ように見えるので、街灯を全く必要としないほどであ

 る。このような環境に何百年も身を置く内に、人々は

 必然的に音の無い夜のしじまに適合して、音声を伴う

 騒がしい会話よりは、音声を使わないパントマイムで 

 会話をするようになった。だからこの街を訪ねると、

 人々が諸処の街角や店先で、軽やかなパントマイムを

 演じている光景に出会うだろう。そして、その傍らに

 はいつも気ままな徘徊を楽しむ猫達が居て、夜目に慣

 れれば路地からも屋根からも、到る所から彼らは顔を

 見せる。元来、夜の主人公は彼らだった訳だから、夜

 を主体とするこの街では、当然の事ながら人よりも猫

 の方が多い。秋の満月祭の頃には、一年の内で最も月

 が大きくなる故か、その磁力で猫達は宙空に浮き上が

 り、街中を高く低く飛び回る。年に一度の祭りには、

 尾根伝いに三日三晩をかけて、旅芸人の一座もやって

 来るので、手回しオルガンの懐かしい音色に乗って、

 数々の曲芸で宙に舞う若者達と、空を飛び回る幾多の

 猫達が、えも言われぬハーモニーを奏でると言う。そ

 のような日々の中で、やがて人々の体は陽光と背離を

 来し、朝日を浴びると気を失うようになった。そして

 日が沈み、月が昇ると息を吹き返す。ただし、意識の

 ない間は時が流れないので、当人にとっては失心と蘇

 生の境は、瞬間的な暗転としか感じられない。こうし

 て街の人々は、果てのない星月夜を生きる事になり、

 レヴィータは永遠に朝の来ない街となったのである。

 

 本題に入ろう。安元さんの描くあの独特の街、即ち大

きな月が空に架かったあの無国籍的な街並みを、かつて

初めて目にした時、何故かしら奇妙な既視感を伴った、

そこはかとないノスタルジアを覚えたものである。見た

事もなければ訪れた事もない、つまりは全く記憶にない

風景の筈なのに、それでも確かな感覚として湧き上がる

この懐かしさは、一体何処から来るものなのか、当初は

それが判然としなかったのだが、不意にあのウィルダー

ノが描いた架空の街に、酷似した風景であった事を思い

出したのである。安元さんも、一つ所に留まって事足り

るような作家ではないから、その時々に作風は自在な変

化を見せて来たが、ただ一点、描かれた街景の醸し出す

独特の雰囲気だけは、数十年来変わらないのではないだ

ろうか。数々のユニークな人物像、猫を初めとした様々

な動物達、謎めいた植物や静物、これら安元さん特有の

モチーフを見ていると、往々にしてそれらの背景には、

たとえ画面には描かれてないにせよ、あの月夜の街並み

が色濃く影を落とす。特に幾多の表情や姿態で描き出さ

れる猫達は、そんな幻想の街を象徴する「精霊」とでも

言える存在なのだろう。彼らは、街を満たす夜気と月影

の滴りを一杯に孕んだ、夜を生きる妖精達なのである。

 作家ご自身のお話によると、安元さんは夜間に制作さ

れるのだと言う。昼間はやはり喧騒の感があって落ち着

かないので、自然と夜の制作が主になってしまった、だ

から月の昇る頃にアトリエに入り、日の昇る頃に仕事を

終えるのだと、手話で語って頂いた事を思い出す。そん

な環境で密やかな制作を続ける内に、画家の絵はいつし

か消し難く「夜」を孕んだのだろう。そして夜の浸透し

横溢した形象として、あの独特の「街」が造られて行っ

たのだと思う。おそらく、画家の描き出す世界の根幹に

は、この「街」が在る。それは、常に大きな月が空に架

かる夜の街、と言うよりは、永遠に朝の来ない街なので

ある。そこを舞台として縦横に活躍する、数多くの不思

議なキャラクター達は、言わば街の見せる様々な側面で

あり、限りないヴァリエーションと言えるのかも知れな

い。以下、自らの描いた人物像に、安元さんの冠したタ

イトルを少々列記してみたい。これだけでも、画家の紡

ぎ出す虚構の街の物語が、聞こえては来ないだろうか。

──月の番人・樹の番人・雨の訪問者・月を掴む女・月

の仕掛人・風の奇術師・風の預言者・黒い賭博師・脚本

家・サルタンバンク・異邦人・喜劇役者・伝道師・大道

芸人・夢の旅商人・夜の操り・詩人からの手紙、等々。

こうして、安元さんの揺るぎない王国が形成される。こ

こは月に憑かれた街の住人達が、自在に各々の幻想譚を

繰り広げる、妖しくも懐かしい無言劇場なのだ。前回の

個展時に、お買い上げのお客様から、作品の裏に何か一

言添えてもらえれば……とのリクエストがあったので、

来廊の折りにお願いしたところ、画家はスラスラと猫の

素描を描いた後、その脇にサラサラとこう記してくれた

──「無音の世界に感謝し/わが路をゆく 安元亮祐」

 

 短篇集の後書きによると、ウィルダーノは酔いが回る

と、小型の手回しオルガンを肩から下げて、それを陽気

に奏でながら、深夜の街を闊歩したと言う。旅芸人の一

座から譲り受けたもので、その自動演奏が奏でる素朴な

恋唄(セレナータ)を、こよなく愛したらしい。

 32歳になった秋の夜更け、したたかに酔ったウィル

ダーノは、例の手回しオルガンを持ち出して肩に掛け、

蹌踉とした足取りでハンドルを回しながら、チヴィタを

走る唯一の街路を、東端の小さな庭園へと向かった。と

ても上機嫌な温容であったそうだ。園内に入ると小径を

廻り、ひとしきりオルガンの懐かしい調べを奏でた後、

その端に続く下り階段を踊りながら降りて行った、「い

とも楽しげに」と記録にはある。そして7段で途切れて

いるその先に、まるで月への遥かな尾根道が続いている

かのように、ためらいもなく足を踏み出すと、そのまま

断崖を底知れない奈落の闇へと落ちて行った。遠ざかり

ながらも暫しの間は、甘く軽やかなセレナータが、崖下

から聞こえて来たと言う。

                     (22.08.04)