紫陽花 (2022)        油彩 / 6P
紫陽花 (2022)        油彩 / 6P

画廊通信 Vol.235            夢覚めやらず

 

 

 2年ほど前、銀座の画廊で開催されていた藤崎さんの新作展を覗いた折り、圧倒的な作品と遭遇した。優れた芸術との邂逅はいつも劇的ではあるけれど、その作品は正に「圧倒的」としか言いようの無い衝撃を孕んで、壁面に息づいていた。「南瓜」M12号、横長の画面に中

身をえぐり取られた南瓜の切れ端が、えも言われぬ存在

感を放って打ち置かれている──それだけの絵だが、そ

れは何と言いようの無い威光を、沈黙の中に津々と放ち

続けていた事か。「えも言われぬ」と書いたが、いや、

それではまだ弱い、むしろ「有無を言わせぬ」と書くべ

きか、そんな形容が決して大仰ではない程の強度で、一

切れの南瓜が置かれた画面は、ダイレクトに見る者の肺

腑を衝く。この強烈なインパクトは何だろう、この漲る

ようなアウラは何だろう、ただの南瓜の切れ端から伝播

する、もはや戦慄的と言っても過言ではない魂の響きを

感じながら、見る者はただただ立ち竦むのみであった。

「描いてしまった絵」というものが有る。「描いた絵」

を、全てが作家のコントロール下で成された制作とする

ならば、そうではない、画家の意図や意識をいつしか超

えて、不意に向こうから立ち現れ、画面に降り立ったか

のような表現、それは画家から見れば、自らの制御を離

れた思いも寄らぬ邂逅であり、実はそれこそが制作者の

自我の殻を破り、もう一段高く広い領域へと画家を押し

出すのである。ある程度の力量と経験があれば「思った

通りの絵」を描く事に、それほどの困難はない。しかし

それは、例えるなら設計図通りに家を建てる「建築家」

の仕事であって「画家」の仕事とは言えない。畢竟真の

画家とは、自ら「思ってもみなかった」絵を描きたいの

であり、むしろそのために必要な邂逅を、自ら呼び込む

のである。以下、藤崎さんの至言に耳を傾けてみたい。

 

 絵に向かっていると、その中から必ず「何か」が出て

 来る。後はそれに何処まで従えるか……、奴隷のよう

 にね。画家はその現われる瞬間を、ただ待つだけなん

 だ。「待つ」という事だよね、絵を描くという事は。

 

「奴隷のように」という言葉が印象的だ。ゆくりなくも

立ち現れたものに、ただただ盲目的に従う、それにひた

すら自らを委ねる、これは創作家にとって非常な困難を

伴うものだと思う。何故ならそこには、それを解釈しよ

うとする「知性」が立ちはだかるからだ。ただ純粋な感

性に自身を任せるには、それをキャッチした自らの感性

を、徹頭徹尾信じなければならない。そもそも「待つ」

という行為自体が、何らかの訪れを信じなければ、成り

立たない行為であり、その結果、手探りの模索の果てに

到来したものに、知的な解釈を捨てて身を委ねるという

事は、即ち自らの感性を絶対的に信頼する事に他ならな

い。所詮「待つ」とは「信ずる」事に等しい──前述し

た「南瓜」は、藤崎孝敏という画家を貫くその最要の原

理を、見事に具現化した作品に思えた。待つ事によって

現れたもの、その顕現にひたすら奴隷のように従い、そ

れを呼び込んだ自分を徹して信じ抜けば、あのような絵

画を「描いてしまう」のだ、表現におけるそんな逆説と

も言える方程式を、あの絵は自らを以て「正しい」と証

明していた。これは「芸術表現」を「自己主張」と履き

違えている徒輩には、ついぞ理解出来ない原理だろう。

 

 描いては潰し、描いては消し、また描いては潰して、

更にまた消す事になるだろう描画を重ねてゆく──潔い

破壊と懲りない再生を、何度も何度も飽く事なく繰り返

す、その類例のない特異な制作法について、或るお客様

から「どうしてあんな描き方をするのでしょう」と、疑

問を呈された事があった。「最終的に残る絵を、最初か

ら描けばいいのに……」と、つまりはそう言いたかった

のだと思うが、もし合理性のみを求めるのであれば、そ

の論理はなるほど正しい、しかし翻って言えば、そのよ

うな考え方自体が、全頁に述べた「建築家」の思考法な

のだ。確かに建築家から見れば、造っては潰し、造って

は壊し、などという行為は単なる無駄であり、言わば非

合理の極みだろう。けれど画家から見れば、合理性など

というものは正しく無用の極みである。合理的な無駄の

ない制作から、制御を超えた何かが現われる事など、有

り得ないからだ。画家は、画面に仕掛けつつ「待って」

いるのである。何もしなければ、何も訪れない、だから

描いては潰し、描いては消し、画家は果敢に仕掛け続け

る、つまり一見無駄に思われるそのような制作は、何物

かの顕現を「待つ」行為に他ならない。それによって、

画面は破壊と再生の度毎に強度を増し、深度を増し、来

たるべき瞬間への土壌を醸成する。やがて思いも寄らな

い何かが遂に訪れた時、絵画は正に圧倒的な力を孕むも

のとなるだろう、有無を言わせぬアウラを漲らせつつ。

 

 実は身近な同業者で、上述の「南瓜」を買おうとした

女性が居る。この機会に少々、それについて記しておき

たい。2年前の話だから、当時彼女は齢30というとこ

ろ、やはり銀座の個展で「南瓜」を見て、言葉にならな

い衝撃を受けたと言う。ここまでは私と同じだが、その

瞬間彼女はこう思ったのだ、「これはどうしても買わな

ければならない」と。12号のサイズだったから、価格

にして70万円強、高価である。よって私なら、どんな

に心を動かされたとは言え、自らの万年逼迫状況を顧み

て、即座に「買おう」とは思わない。でも彼女は後先も

顧みずにこう直感したのだ、「これは万難を排しても買

うべきである」と。その話を聞いて、私は唸るほど感心

した。何しろ30という妙齢である(私から見ればの話

だが)、おまけに私同様「画廊」というやくざな職業に

携わっているのであれば、私の貧しい経験から推し量っ

て、懐も決して楽ではない筈だ。しかしそんな事は不世

出の傑作を前にして、些事瑣末に過ぎないではないか、

画廊のくせにそのチマチマと卑俗な損得勘定、恥ずかし

くはないか、こうなったら矢でも鉄砲でも持って来い、

一枚の絵に向けられた、彼女のそんな捨て身の献身を前

に、私は自らの卑小を恥じた。その夜、彼女はご主人を

説得して同意を引き出し(奥様の暴挙に快く同意するご

主人もまた、兵である)、個展を開催中の画廊に、注文

のメールを入れたのだと言う。しかし已んぬるかな、画

廊オーナーがそのメールに気付かず、翌朝折も折、同じ

作品に注文の電話が入り、そちらの客に売却されてしま

ったというのが理不尽な顛末、不運であったとしか言い

ようがない。事の経緯を語る、彼女の無念溢れる述懐を

聞きながら、私は絵を見る「眼」というものを、あらた

めて考えていた。人はよく「目利き」というような言い

方をするが、実は一枚の絵画を識別する能力とは「鑑識

眼」や「審美眼」といった高尚なる眼識ではない。それ

はむしろ動物的な「嗅覚」に近いものであり、そこに知

的な見識の入り込む余地はない、知性は却って嗅覚を鈍

らせるからだ。彼女のそんな直感的な嗅覚と、芸術への

無償の熱意を前に、私は「負けた」と思った。しかし、

それは何と爽快な負けであった事か。「南瓜」への無念

は残るにしても、それを一瞬で捉えた嗅覚と、その嗅覚

を一途に信じた勇気は、彼女の中に脈々と生き続けるだ

ろう。そして、一人の人間をそんな無謀とも言える行動

へと駆り立てた、藤崎孝敏という画家の表現を思う時、

私は芸術の確かな「力」を再認識する。それは優れた芸

術だけが等し並みに放つ、存在への強靭な肯定である。

 

 現在の画廊を開設したのは、2002年11月の事で

ある。むろん「千葉に一流の芸術を」等というような、

ご立派な指針が有った訳ではない、単に成り行き上の苦

し紛れ、飛んで火に入る夏の虫、熟慮の猶予もないまま

の軽挙妄動であった。七転八倒の末、何とか5年を持た

せた時分、私はこの画廊通信に次のように記している。

 

 「蒼蠅驥尾に附して万里を渡る」という格言がある。

 取るに足らない小さな蝿でも、駿馬の尾にしっかと掴

 まれば、万里の彼方へも渡れるの謂だが、私は正に力

 なき者でありながら、芸術という無上の驥尾に附し、

 良き作家と良きお客様に助けられて、この5年という

 歳月を渡らせて頂いた。ご存じの通り、私は「画廊経

 営者」というイメージに有りがちな、優雅にして富裕

 なエリートではない。昨今は「ギャラリスト」なんて

 スマートな呼称も有るらしいが、冗談じゃない、私は

 ジタバタと格好悪く生きて来た、紛う方なき細民であ

 る。どうせ危うい綱渡り、いよいよゴールは遠ざかっ

 て見えず、波瀾曲折止みそうにもないのだから、私は

 更にジタバタと悪あがく、懲りない愚人でありたい。

 

 それから更に5年の年月を経て、いつの間にやら開設

10年を迎えてしまった折には、以下のように記した。

 

 十周年という区切りに臨んで、何かのイベントを打つ

 べきかどうか、これでも少しは考えたのである。かと

 言ってパーティーという柄でもないし、そういったも

 のは勘弁して頂きたい方なので、結局通常通りの個展

 開催となってしまった。相も変わらず面白みのない人

 間で、大変に申し訳ないとは思うのだが、しかし考え

 てみればこの大きな区切りに、画家の新たな気概に満

 ちた新作を展示する事こそ、皆様に表わし得る最大の

 感謝と言えるのかも知れない。つくづく思うのだがこ

 の十年、私は良き画家と良きお客様との、ささやかな

 橋渡しをして来たに過ぎない。この画廊をここまで存

 続させてくれたものは、画家のご好意と共に、身銭を

 切って一枚の絵を評価してくれたお客様の、芸術への

 一途な熱意と愛情である。未だ安全圏から傍観するだ

 けの物見遊山が多い中で、そんなお客様の純粋な献身

 に、私は何度心打たれ勇気付けられた事か。願わくは

 この先も、そんな素晴らしき同志の皆様と、この道を

 歩んで往けたらと思う。風立ちぬ、いざ生きめやも。

 

 それから5年後の画廊通信には、15周年に関する記

載が何も無かったので、たぶん回顧の余裕など無いよう

な局面に在ったのだろう。そして今、当店は20周年を

迎える運びとなった。未だ安定には程遠いにせよ、信じ

られない思いである。大きな節目ゆえ、案内状には「画

廊開設20周年記念」と、一応は小記させて頂いたが、

例によってこの度も、特別な企画など何一つ無い体たら

く、誠に申し訳ない限りである。しかし10年前の弁明

を今一度繰り返せば、今回も同様に「画家の新たな気概

に満ちた新作を展示する事こそ、皆様に表わし得る最大

の感謝と言えるのかも」知れず、加えてその画家が他で

もない「藤崎孝敏」であれば、これ以上の感謝の形は無

いだろう。これぞどんな企画にも勝る、最大のイベント

とご理解頂き、多くの皆様のご来廊を願って已まない。

 顧みれば何の成長も無いようで、現在に当たって思う

事も、前述した画廊通信の記述と何一つ変わらない。年

齢だけを、いつの間に重ねただけである。この20年、

運営上の世事は別として、何か目眩くような夢を見続け

て来たかに思える、覚醒した瞬間に全てが瓦解するよう

な夢を。ならばこの先も正気に戻る事なく、酔い続け、

狂い続けてゆければ本望である、夢覚めやらぬままに。

 

                     (22.10.30)