二人 (2022)     mixed media / SM
二人 (2022)     mixed media / SM

画廊通信 Vol.236            サーカス断想

 

 

 近代サーカスの発祥は、フィリップ・アストリーという退役軍人がロンドンで催した、曲馬ショーと言われている。時にして1768年、ハノーヴァー朝ジョージ3世の治世下で、ロココ文化華やかなりし頃に当たるが、一方でジェームズ・ワットの蒸気機関・アークライトの水力紡績機等々、画期的な技術革新が相次いだ事から、産業革命への新たな胎動が、生起した時代でもあった。曲馬ショーが人気を呼んだ事から、アストリーは更なるショーアップを発案して、演目に馬以外の動物芸や人間の曲芸も導入し、加えて道化による喜劇等も取り入れ、従来の「見世物」を飛躍的に発展させた、いわゆる「サ

ーカス」の形態を作り上げてゆく。その後、アストリー一座出身の曲芸師や後進の興行師達によって、サーカス

は急速にヨーロッパ各国へと広まり、やがてはロシアや

アメリカ大陸にまで及ぶ広範な発展を遂げる。そんな経

緯の中で、100年を超える歳月をかけて確立したもの

が、人間による技芸・動物芸・道化芸の3種に大別され

る、今日のサーカス・ショーである。この内「人間によ

る技芸」とは、空中ブランコや綱渡りに代表される空中

芸、足芸や肩芸を駆使した軽業を筆頭に、バレエやダン

スの彩りを添えたミュージカル・ショー、更には手品や

奇術等も加わって、多様な展開を見せる。「動物芸」は

前述した曲馬芸の他に、ライオン・トラ・クマ・ゾウ・

チンパンジー等によって、三輪車・自転車・縄跳び・火

の輪くぐり等々、様々な芸が披露されるが、近年は動物

保護の観点から、動物の使用を控える傾向が広まりつつ

あると言う。そして「道化芸」、これは19世紀初頭の

パントマイム役者達によって「失敗ばかりして観客の笑

いを取るトリックスター」というスタイルが確立された

と言われるが、真っ白な化粧を施した顔に、だぶだぶの

衣装を定型とする、いわゆる「ピエロ」のキャラクター

は、サーカスでは欠かせない要素となって現在に到る。

とは言え20世紀に入って、レビュー等の華やかなエン

ターテインメントが都市部に流行し、加えて大戦後には

映画やテレビに代表される、新たなテクノロジーが出現

した事から、サーカスは衰退の一路を余儀なくされる。

そんな中で1980年代以降、欧米ではニュー・サーカ

スと呼ばれる新しい動向が生まれ、ここ日本でもカナダ

のシルク・ドゥ・ソレイユがロングランを記録して、多

くの観客を動員した事は記憶に新しい。動物芸の廃除・

ストーリー性を重視した舞台構成・最新のテクノロジー

を用いた音響視覚効果・芸術性の高い身体表現等を特徴

とする、従来のイメージを一新するような大規模なショ

ーは、最早「サーカス」というジャンルを超えた、新し

いエンターテインメントと言えるだろう。日本において

も、昭和期にはサーカスが大衆娯楽として活況を呈し、

一時は20~30団体を数えたと言われるが、現在は木

下サーカスとポップサーカスの2団を残すのみである。

 

 ざっとサーカス史を概略してみたが、美術史上でサー

カスが数多く描かれるようになったのは、概ね19世紀

後半からである。ドガ・ルノワール・スーラといった印

象派に始まり、以降ロートレック・ルオー・ドラン・ピ

カソ・シャガール・ビュッフェ等の後進が続き、邦人で

は藤田嗣治や国吉康雄等に、サーカスを描いた秀作が見

られる。ただ、彼ら歴史的な偉人達も、画業の或る一時

期をサーカスに魅了され、それをモチーフとして取り上

げたに過ぎない。つまり画業の全般に亘ってサーカスを

描き続けた訳ではなく、換言すればサーカスの魅惑は、

画業の或る期間を彩るに留まっている。私の知る限りで

は、サーカスというテーマに生涯を懸けて取り組み、現

に今も尽きない探求の最中にある画家は、ただ一人であ

る。舟山一男──この特異な画家は、あらためて説明す

るまでもなく、サーカスを自らのメインテーマと定め、

実に画業の大半をそのテーマで貫いて来た。小さなサー

カス小屋こそが舟山さんの舞台であり、天幕の下で織り

成されるドラマに人知れず寄り添い、それを静かに温か

く見守り見続ける詩人が、即ち「舟山一男」という画家

に他ならない。しかも舟山さんは「サーカス」という限

られたテーマから、凡そ人世の有りと有る哀歓を引き出

して、喜怒哀楽は元より愛憎の機微に到るまでを、実に

表情豊かに描き出す。現在もサーカスを描く作家は多々

有るが、概してメルヘン趣味の浅薄なエキゾチズムの域

を出ないものがほとんどで、舟山さんのようなスタンス

を取る画家は皆無に近い。その意味で、舟山さんにとっ

てのサーカスとは、単なるモチーフに留まるものではな

く、正にあらゆる「世界」を生み出す舞台なのである。

 何故「サーカス」か──という問いは、思うにあまり

重要ではないのだろう。舟山さんの履歴には1973年

・21歳の時に渡仏し、以降足掛け5年に亘る歳月をパ

リに過ごしたと有る。この間、エコール・デ・ボザール

(国立高等美術学校)にて美術を研鑽し、サロン・ドー

トンヌ等に出品したと記録されているが、略歴にはそれ

以上の記載はない。よって、それ以上を知りたければ本

人にアプローチする他ないので、以前それについて率直

にお訊きした事があるのだが、パリに居る時にサーカス

の一座と知り合う機会があって、少し手伝った事がある

のです──と、それだけを聞き得たのみであった。だか

ら私の場合、17回展を迎えようとしている今に到って

も、それ以上の事は寡聞にして知らない。もし幾星霜の

後に、日曜美術館辺りで舟山さんの特集を組む事が有っ

たとしたら、このパリ時代の青春ドラマを中心に、お得

意の「物語」を作りたがる事だろうが、どっこいそうは

問屋が卸さずという訳で、スタッフは大いに困り果てる

事だろう。所詮「物語」は、私達がそれぞれに思いを馳

せれば良いのであり、ここでは「物語」よりは「事実」

のみを語りたい。帰国して以降、数十年に亘ってサーカ

スを描き続ける事になるような、言わばそれからの人生

が決定される事になるような、そんな心奥に深い刻印を

残す原体験が、画家のパリ時代に有ったであろう事、そ

れだけは確かな事実だ。おそらくはその時、画家は天幕

の下に人世を見据え、延いては世界を見たのだと思う。

 

 再度申し上げれば、何故「サーカス」か──という問

いに、それ程の重要性はない。それよりは「サーカス」

という限られた時空から「世界」を引き出す、そのスタ

ンスが重要なのである。画家がテーマを扱う姿勢を鑑み

る時、そこには2種のタイプが有るように思われる。一

つには様々な場所を歴訪して、諸処それぞれの心象を多

様に描き上げるタイプ、一方は或る限られた場所に留ま

り、そこだけを深く掘り下げてゆくタイプ、むろんどち

らにも優れた画家は存在するが、例えばクロード・モネ

は、その両者を体現した画家である。モネは略歴に当た

ると、若年よりフランス国内を頻繁に旅行して、時にオ

ランダやヴェネチア等の国外にも足を伸ばしながら、様

々な状況で自らの手法を試行している。それが還暦以降

はアトリエを構えたジヴェルニーに留まり、自ら作庭し

た睡蓮の池にテーマを絞り、そこだけを集中的に描き続

けてゆく。その変遷には、もちろん年齢的な理由もあろ

うが、それよりはモネが睡蓮の池に大自然の真髄=宇宙

を見た事、換言すれば睡蓮の浮かぶ小さな池から、画家

が宇宙を引き出せると確信した事、最たる理由はそこに

有ったのだと思う。晩年の「睡蓮」を見れば、その一念

が有り有りと具現化されている事は、最早言うまでもな

い。最後にモネの描いたものは、睡蓮の浮かぶ池の風景

には非ず、水面に映った悠久の天空=宇宙なのだから。

 紙面に限りが有るゆえ、多くの例は挙げられないが、

アンドリュー・ワイエスは生涯アメリカの片田舎を出る

事なく、その地とそこの住人だけで、正に人世の全てを

描いたし、革新的な静物画で知られるモランディに到っ

ては、狭いアトリエの卓上だけで全てが事足りた、その

程度で例証は充分だろう。そして舟山一男という画家も

また、彼らと同じスタンスに立つ作家なのだと言えば、

その揺るぎない立脚点をご理解頂けるだろうか。あまね

く諸方を訪ねれば人は「広く」なる、一つ所をひたすら

に掘り下げれば人は「深く」なる、そしていずれもそれ

を徹すれば、そこに世界は立ち現れるだろう。言うまで

もなく舟山さんは、後者に立脚する画家なのである。そ

して付言するのなら、現世の細やかな機微は後者に在る

人にこそ、その豊かなディテールを垣間見せるだろう。

 

 履歴から推し量ると、舟山さんは1970年代のサー

カスを見た事になるから、それは半世紀近くも前の舞台

という事になる。前述の如き新鋭のエンターテインメン

トが出現する前の話だから、未だ古き良き時代の香りを

残すサーカスが、街外れに鮮やかながらも少々色褪せた

天幕を、御伽の国のように張り巡らせていたのだろう。

思うにその頃のサーカスは、一体どんなものだったのだ

ろうか。むろん、往時の絵画や資料からその様相を窺い

知る事は出来るが、しかし当然の事ながら、今やショー

そのものを見る事は出来ない。と、そこまで考えた時、

古い映画ならその記録が残されているだろうという、す

こぶる安易な推論に到った。どうせなら70年代と言わ

ず、もっと昔年に遡った方が、より盛況だった頃のサー

カスが見られるかも知れない、ならばかのチャップリン

に、他でもない「サーカス」という作品があるではない

か──という訳で善は急げ、早速DVDを取り寄せてみ

た。上映は1928年と有るから、ここに記録されてい

るのは1920年代のサーカス、つまりは約100年前

の興行風景である。言うまでもなくモノクロームの無声

映画、以下はケースに記載されていた作品紹介である。

 

 あるサーカスの一座。団員の若い娘は傲慢な団長に虐

 げられ、些細な失敗で責め立てられていた。ある日上

 演中のサーカスに、スリと間違われた放浪者チャーリ

 ーが飛び込んで来る。警官から逃げ回るチャーリーの

 おかげでショーは滅茶苦茶になるが、お客は拍手喝采

 の大喜び。団長はそんなチャーリーを、サーカスで雇

 おうとするが…。警官とスリの追っかけ、道化師達と

 のパントマイム、動物達との共演、そしてラストの詩

 情。約2年をかけて制作された本編は、チャップリン

 のスラップスティック・コメディーの集大成である。

 

 空中ブランコが有り、綱渡りが有り、奇術ショーが有

り、動物のショーも有るのだけれど、100年前のサー

カスは古の旅芸人の一座を、少々拡大した程度の印象で

ある。むろん、舟山さんの描く憂愁の表現とは似ても似

つかぬドタバタ劇だから、その色合いはかなり異なるも

のではあるにせよ、しかし舟山さんの見たサーカスも、

これに近いものだったのではないだろうか。例によって

主人公は、若い娘に恋をして呆気なく振られ、にも拘わ

らず、娘が思いを寄せる曲芸師へのキューピッド役を担

って二人を結び付け、団長の薄遇から彼女を救い出す。

そんな物語を顧みると、やはりここにも様々な哀歓のド

ラマが有って、ドタバタの喜劇ではありながらも、チャ

ップリンの見事なパントマイムが、人世の機微を浮かび

上がらせる。そして、物語の全てがサーカス小屋で展開

されているのは、チャップリンもまた、天幕の下に「世

界」を見ていたのだろう。そう思えた時、ふいに舞台の

カーテンの影に、若き詩人の姿を見たような気がした。

 

                     (22.11.30)