画廊通信 Vol.273 描くという事、見るという事
先日、案内状に掲載する作品を戴きに、東金のアトリエまでお伺いした際に、壁に立て掛けられていた一枚の風景画を見て、ああ、これが斎藤さんなんだと、改めて溜め息の出るような思いをした。スペイン南部、アンダルシア地方の山間に造られた、古い集落を描いた作品である。「モンテフリオ」20号、15年ほど前の取材を元にした、新たな描き下ろしと思われたが、一見してこのような風景を描ける画家が、果たしてどれほど居るのだろうかと、これは紛れもなく現代風景油彩画の、極点に位置する一枚だろうと思った。どっしりとした量感を
湛えた石造りの民家、赤茶けた屋根が幾重にも連なる街
並み、その間隙を縫って奥へと伸びる街路、その上には
遥かな郷愁に染まる大空、力強い描線と豊かな色面が相
俟って、眼前には堂々たる品格を放つ風景が、悠遠の彼
方へと広がっている。試みに、西洋風景をテーマとする
他作家を思い浮かべる時、例えば佐伯祐三はこのような
風景を描けただろうか。陰鬱な色調に染まるパリの街角
に、抑え難き憂愁が暗澹とうねり、時にそれは荒々しい
激情となって画面に叩き付けられる。大胆なフォーブの
タッチを特徴とした、あの強烈な印象を齎す作品のほと
んどが、20代の若さで描かれている事を考えると、や
はりその画業は天才の為せる業としか言いようがない。
しかしそうではあったにせよ、手元の画集を繙きつつ思
う事は、現在の斎藤さんのような風景画は、当時の佐伯
には描けなかっただろうという事だ。要因は二つある。
一つは制作方法が異なる事、斎藤さんがアトリエでじっ
くりと筆を重ねるタイプであるのに対し、佐伯は現場で
の制作を信条とした。よってそれは、勢いのあるリズミ
カルな描画を可能とはしたが、片や熟成の妙味を醸すに
は難があった。もう一つは年齢とキャリアが異なる事、
佐伯の早逝はその画業を伝説としたが、斎藤さんはその
3倍にもなんなんとする歳月を生き抜いて、しかも未だ
その長い道程の途上である。顧みれば、画業そのものが
疾うに還暦を超えた今、もはや何を衒うのでもない、何
を飾るのでもない、ただひたすらに自己と向き合う事か
ら生み出されるその画境は、どんな天才であれ20代と
いう年齢からは生じ得ないものだ。むろん、若い年代に
しか出来ない表現がある。それは絵画に限らず、音楽で
あれ、文学であれ、老年にはとても出来ないだろうとい
う表現を若者は軽々と成して、新たな時代を切り拓いて
ゆく。一方で、年齢を重ねて歳月を経なければ、決して
成し得ない表現もある。画集に残された佐伯の風景をつ
らつら眺めるに、これは才能や手法を云々する前に、端
的に斎藤さんのような風景は、佐伯には遂に描けなかっ
たのだと、それは如何ともし難い年齢とキャリアの差に
よるものなのだと、そう考える他ないと思えた。もちろ
ん、長く描けば誰もがその境地に到れるのかと言えば、
そんな甘い話がある筈もなく、問題はその歳月を倦まず
弛まぬ努力で、活かし切れるかどうかであり、斎藤さん
は正にそのような孤独な研鑽を、常々自らに課して来た
画家なのだ。「モンテフリオ」20号、ここにはそんな
遠く長い歳月の集積がある。斎藤さん特有の重みと深み
を湛えて、アンダルシアの古い山間の集落は、いつまで
も進まない時の中で、尽きない情趣を放ち続けている。
30年を超える画家とのお付き合いを顧みて、改めて
つくづく思うのは、斎藤さんほど「語らない」画家は居
ないだろうという事だ。もちろん、聞けば親切に答えて
くれるのだが、聞かなければ何も語らない。この絵はど
こそこの街並みを描いたもので、予定には入っていない
たまたま通りかかった場所だった、午後も遅い時刻だっ
たから誰も通りには出てなくて、休もうにもカフェ一つ
なく……といった具合に、その時々の状況やその場所を
巡る思い出は語ってくれるのだが、肝心の絵そのものに
ついては、自分から解説を加えるような事はしない。加
えて、今まで様々な美術誌等において、その画業を紹介
される機会は多々あった筈だが、例えば「画家、自らを
語る」といったような定番の企画で、斎藤さん自身が自
作を語りその理念を記したような事例も、おそらくは皆
無であろう。何も語らない、何も記さない、ただ絵だけ
を描く、そんな最も純粋な画家としての来し方を、斎藤
さんは何十年にも亘って貫いて来た。翻って今、何とお
喋りな画家の多い事か。個展会場では盛んにギャラリー
トークやパフォーマンスを開陳し、これ見よがしにコン
セプトや制作手法を語り、画家によっては「こんな才能
もありますよ」とばかりに、文筆家よろしく評論めいた
著作を出版し、インターネット上でも得々とアートに関
わる戦略を披露して、それだけではまだまだ足りず、毎
日のように自らのつぶさな動向を、誰に聞かれた訳でも
ないのにSNSに投稿する、それが情報化時代の新しい
画家の在り方なのだと、厚顔無恥に開き直る向きもあろ
うが、そんな屁理屈では言い訳にもなるまい、要は黙っ
て居られないだけなのだろう。押し並べてそんなお喋り
好きの為す表現は、端的に言って「弱い」、それもその
筈、絵画だけで勝負する強度に欠けるからこそ、過剰な
お喋りで補っているのだろうから。どんなに時代が変わ
ろうと、変わらない哲理が有る。創造の根幹には孤独な
沈黙が有り、そこからしか真の表現は生まれ得ない、沈
黙に耐える事から表現は始まる──これは芸術創造に関
わるあらゆる表現者が、自明とすべき哲理であろう。斎
藤良夫という画家は、正にそんな表現者の在り方を、誰
に誇るでもなく、誰に標榜するでもなく、実に坦々とそ
して悠揚と体現して来た人だ。ただ絵を描く、絵だけで
勝負する、そこに余計な思想は要らない、声高なメッセ
ージも要らない、仮に思想が有るのだとしたら、或いは
何らかのメッセージが有るのだとしたら、それは徹して
絵で語るものだ、あえて言葉を用いずとも、自ずから発
し得てこそ「絵」ではないか。所詮は描く事、それだけ
が画家の仕事だ──斎藤さんの来し方はそんな画家の在
り方を、静かな信念を、無言の内に提示して已まない。
ゴッホの手紙は、彼の絵に何を付け加える訳でもあり
ません。興味深いものですが、それだけです。ゴーギ
ャンの手紙も、それ以上のものではない。私はエック
スの近くで度々過ごしたのですが、セザンヌに会いに
行こうと思った事は、一度もありませんでした。芸術
家はその最良の面を、自分の絵の中に表わします。そ
れが充分でないような絵は、仕方がない。芸術家の言
葉は、本質的に重要ではありません。画家は、彼の絵
を通してしか存在しないものです。私は若い弟子たち
に、よく言ったものです。──画家になりたいんだっ
て? ならば何よりもまず、舌を切り落とさないとい
けないね。絵画以外の手段で表現する権利を、君は失
ってしまったのだから。~マチス・画家のノートより
心象風景という言葉がある。結局私達が絵画に求める
ものは、画家が作品に込めた心象である。心象の感じら
れない風景は、つまりは写真と同じであり、いや、写真
でさえ撮影者の心象が入り込む事を思えば、そこには絵
画で表現するという行為自体の、意味が成り立たない。
むろん、画家は様々なスタイルで風景を表現するから、
撮影された風景とは異なる様々な形象が、そこには描き
出される事になるが、それはあくまでもスタイルや手法
の発現であり、よって如何に現実の風景とは異なる形象
が描かれたにせよ、作家独自の心象がそこに表わされて
いるとは限らない。そう考えてみると、真の心象を内在
する表現は極めて少なく、多くはスタイルや手法といっ
た表現の形状によって、心象を代替しているに過ぎない
ように思われる。言わば心象という精神の内的現象を、
絵画という外的な目に見える形象に変換する事、それこ
そが画家にしか出来ない行為なのだけれど、やはりそれ
は一筋縄では行かない、困難を極める作業なのだろう。
思えば「視覚」という感覚は、甚だ限られたものだ。
通常は誰もが全く自覚していないのだが、改めて考えて
みると、私達は自身の二つの眼からしか、外界を、即ち
世界を見る事が出来ない。顔に開けられた二つの小さな
窓、そこに装着された二つの小さなレンズ、一生涯徹頭
徹尾、そこからしか世界を見る方法が無い、どう足掻い
てみたところで、それ以外の見方は不可能なのだ。だか
らこそ「絵を見る」という行為は、特別な意味を持つ。
絵を見るという事は、画家の眼を通して、世界を見る事
だ。換言すれば、それによって世界を新たに見直すとい
う事だ。画家という特殊な眼と、そこに連結する特殊な
感性が捉えた、私達にはついぞ見る事の叶わなかった思
いも寄らない風景、それを目の当たりにする事にこそ、
絵を見る事の、なかんずく風景画を見る事の、この上も
ない醍醐味があると言えるだろう。そして再言すれば、
その「画家という特殊な眼と、そこに連結する特殊な感
性が捉えた」風景こそが、正に上述した「心象風景」で
あり、故にその特殊なフィルターを通さない表現は、や
はり心象風景と呼ぶに、値しないのではないだろうか。
以上の意味から、斎藤さんの描く風景は生粋の心象風
景である。それがイベリア高原の寂れた集落であれ、ト
スカーナの城砦の街であれ、或いはモンマルトルの裏通
りであれ、そこに描き出された余情溢れる風景は、斎藤
良夫という画家にしか見る事の出来なかった風景、つま
りは画家の特殊なフィルターを通してこそ、初めて見る
事の叶った風景に他ならない。もちろん現地に足を運べ
ば、それはそれで異国ならではの情緒が、目前に広がっ
てはいるだろう。しかしながらそれは、斎藤さんの手に
なる風景とは凡そ異なるものであるに違いない。詮ずる
所、それは大多数の凡庸な眼に映った風景であり、凡庸
という言い方は大いに失礼であるにせよ、それは画家の
眼が特異である事の、紛れもない証左なのである。描か
れた建物の崩れかけた石壁にも、うねるが如き坂道の石
畳にも、茫漠と広がる欧州の大地にも、それら全てを覆
う遥かな天涯にも、斎藤さんの掛けた心象のフィルター
は、隅々にまでその深い情趣を、浸潤させて尽きない。
見たままの風景を描くのは、簡単だ。しかし美しい風
景を綺麗に描いたって、何も見えて来ない、それだけ
では本当の絵にならないんだ。写生で良ければ楽なん
だろう。でもそれじゃダメなんだ、そこに斎藤良夫の
風景が、描かれてなければ。~斎藤さんとの会話から
斎藤さんの絵には故郷が在る。故郷とは何だろう。仏
典に「南無」という言葉があるが、それは故郷という言
葉に酷似する。南無という文字自体は、サンスクリット
の音写ゆえ意味を持たないが、訳して「帰命」と言う。
帰とは「帰る」の意、命は「命く」と読んで拠り所とす
るの意を表わす。常に立ち帰り拠り所とする事を南無=
帰命と言うのなら、それは即ち故郷の謂に他ならない。
斎藤さんの絵に故郷を見る時、それは言うまでもなく郷
愁・懐郷の思いを孕むが、故郷とはその意味だけではな
い、私にとって斎藤さんの絵に見る故郷とは、かつても
今この時も、常に立ち帰り拠って立つ場所であった。そ
して誰にとっても真の故郷とは、そのような場所なのだ
と思う。今一度言おう、斎藤さんの絵には故郷が在る、
そこは長い歳月を歩み来た画家の、質実の地だ。そこか
ら響き出すあの悠久の想いに、私はいつも心打たれる。
(25.10.03)